友あり 遠方よりきたる またうれしからずや

論語の有名な一文。
「順受の会」という四半世紀続いた別名「論語の会」がなくなって2年になる。
二階でやっていた「普茶料理の会」も、上場会社の偉いさんたちが、自粛を余儀なくされ
しばらくやっていない。
ほかの勉強会、ライブもなくなり、二月は味噌作りに明け暮れているけど、ゆっくりとした流れで
毎日を過ごしている。さきほど、ラジオからサッチモの「ハロードーリー」が流れた。
大学時代に、よく先斗町にある「ハロードーリー」にいって、バーボンのロックを飲みながらジャズを
聴いた青春がよみがえってきた。

火曜日の昼間、グレーのカシミヤのコートに、仕立てのいいスーツを着た紳士が玄関のドアを開けた。
大学時代からの悪友のIだ。同じ法学部でありながら、英米文学研究会に属し、ロレンスやヘミングウェイの短編
などを原書で読んだ仲でもある。一年の夏休みには、合宿を能登でやった。今は昔、遠い昔のころ、まだ能登の珠洲
まで電車が通っていて、外浦に沈む夕陽に感動した記憶がもどってきた。
Iは、卒業して、一部上場で大阪本社の商社に就職し、その道一本を邁進し、昨年から、その上場企業の社長になった。
名刺には、CEOと印刷されている。こちらも、小さな会社の社長を40年くらいやっているけど、CEO
というより、能登のCEO(塩)を出汁にしたりするのに、悪戦苦闘する毎日である。

「わが道は一以(いちも)って之を貫く」という論語の有名な一文みたいな人生だ。
小鳥でさへ、ひとつの歌を歌い続ける。「ひとつごと」を続けることは大事。

「男子三日あわざれば、刮目(かつもく)してあうべし」という言葉もある。毎日毎日の「今ここ」を大事にして、
努力を惜しまない人は、いつかひとに刮目(目をこすって、びっくりする)されるようなひとになる。

本来なら、お祝いをもって大阪に参上するか、大学時代の悪友を集めて京都で祝杯をあげたい気分だが、
世が世で、ままならぬ。「花巻そば」を手繰っている折敷の上に、久保さんの黄瀬戸の盃に、立春朝搾りをついで、
プチ祝杯。滞在時間、わずか15分で、東京の支社へ飛んでいった。

少し遅咲きの感はあるが、人生の晩節であり、林住期をかっこよく生きている姿に、悪友として鼻高々な気分になった。
最後の10年を黄金期に・・・という林住期の合言葉は、なるほどみな憧れの生き方ではあるが、
いつか若いころに、外浦の海になかば沈んでいながら、その残照があたりを照らし、あたかも極楽浄土のように見える夕陽
・・・そんなささやかな「輝きかた」に、黄金期があるのかもしれない。

そして、ぼくの大好きな論語を思い浮かべた

「人知れずして、うらみず。また君子ならずや」