2007年の一月、つまり、大震災の2か月前から「月曜の朝は卵かけごはん」
が始まった。翌年は、アド街で紹介され、スタジオまで卵かけごはんをもっていき、
芸人さんたちが、少しわざとらしく絶賛してくれる映像がオンエアされたので、しばらく
行列ができていた。「わざわざ押上まできて、卵かけごはん?」と思ったけど・・・
今は落ち着いて、常連さんたちが、きまったかのように、自分の座り位置の椅子に座り、
「天真庵風・卵かけごはん」を、お点前よろしく食べて、デミで供する100円の「ほぼブラジル」
を飲んで、月曜日の日常にかえっていかれる。ごはんと卵があまれば、ぼくらの朝ごはんも「卵かけごはん」。
もちろん、卵かけごはんのメインは生卵。それに具沢山の味噌汁と、香のもの(漬物)がでる。
味噌はもちろん「手前味噌」。今日は2年ものの麦味噌。北九州の小倉で産声をあげた小生、
小倉駅のうどんと、朝ごはんはやっぱり麦味噌が大好物っちゃねん。
昨日は、その「卵かけごはん」の常連さまが、3人べつべつに「味噌作り」にこられた。
ひとりの女子は「初体験」、ふたりはベテランでぼくのそばのお弟子様でもある。3人目の女子は
二度目・・・・・・そうやって、最初は小さな「点」で繋がれた縁が、優美に広がりを見せ、家族の
ようになっていく。味噌だけでなく、人間関係まで醸される、がごとくだ。
今朝の「香のもの」は、いぶりがっこ。
うらぶれた十間橋通りに「酔香」という日本酒の名店がある。店主のすがちゃんは、
立命館の3つ後輩で、うちの常連さまやった。奥方も秋田出身で、親戚の方たちが「いぶりがっこ」
をつくる名人。そんな縁で、天真庵では毎年冬になると、「ほんもののいぶりがっこ」が
届く。昨日はすがちゃんがわざわざ、といっても徒歩3分だけど、いぶりがっこ第二段を届けてくれた。
おまけにもらった「こんぶがっこ」を、久保さんの織部の葉皿にのせ、備前の徳利に「ほまれ」
という能登の銘酒をぬるめにいれ、斑唐津のぐいのみで、飲む。
早朝から、貧乏というのし棒を使って、蕎麦を打ち、能登七輪で炭火珈琲をガラガラやり、味噌をつくり・・
の疲れが、3合の酒で吹き飛ぶ、そんな風情だ。
今日は陶芸家になって3年目の広瀬陽くん夫妻が味噌作りにやってくる。今では「七宝焼き」といえば、陽くんみたいになってきた。
サラリーマンをやめ、陶芸家になるといわれた日、「喰えるまでたいへんだろうけど、ふたりで
この茶碗でごはんを食べなさい」と、久保さんの「皮クジラ」の茶碗をあげた。
昨年、なんやらいう有名な雑誌に、彼らの「暮らし」が紹介された。茶の間においた彼の作品の中に、
その茶碗がふたつのっていた。「ものつくり」をする人たちの苦戦が続く世の中だけど、確実に一歩一歩
すすんでいる感じ。伊東に古い家を買って、アトリエ兼住居の改装中らしい。NUSUMIGUI、OSAKENTARO、まーくん、
ひろせくん・・・・若いけど、みな羽ばたきはじめた。明日は、OSAKENTAROの「おっさ」が味噌作りにきて、若いアーティスト
たちの今年の味噌作りが無事終わる。3月第一週まで、毎日そんな好日が続く。感謝。