月曜の朝は卵かけごはん

朝ごはんをちゃんと食べる。お茶(珈琲でも)の一服至福時間をもつ。
それだけで、いい日が始まる。ひとりごはん、ひとり茶もいい。

昨日は、新婚ほやほやの甥っ子夫婦が、味噌作りにきた。
コロナ時代なので、結婚式もできず、「人生はじめてのふたりの共同作業」です
の代名詞・ケーキ御入刀のかわりに、煮た大豆と塩と麹に、ふたりの菌を入れて、
味噌をつくった。

彼が妹のお腹の中にいる時、ぼくは京都の病院で、生きるか死ぬるかをやっていて、
妹には病気のことを告げずにいた。もしもその時に、召されてていたら、「生まれかわり」
のように、甥っ子はいわれたに違いない。幸い、永眠せずに住んだので、彼らしい人生を
歩んでいるように思う。昨年は蕎麦打ちを伝授し(まだ半ばかな?)、今年は「炭火焙煎」
の修行にくるらしい。

同じ時間に、蕎麦打ちにくる予定だったそばもんから電話。
「今朝、三回目のワクチンを打ったら、発熱し、眠くなってだるかけん(九州人)
やすませてください」とのこと。
今年は、100人ちょいの味噌作りの人の10人ちょいがコロナになって(もしくは濃厚接触)、
味噌作りのスケジュールが変更になったり、おまかせコース(こちらで全部やる)になった。
ワクチンを打って具合が悪くなった人も、ふたり・・・

コロナだけでも、サバイバルな時代の到来をひしひしと感じるうえに、第三次世界大戦みたいな
雲行きになってきた。まさに「大惨事」な時代だ。毎日毎日をちゃんと生きていこう、と思う。感謝。

大豆の煮汁

昨日から、小春日和。
ペレットストーブの出番がないのが、すこしさみしい。
石油ストーブと、炭の手あぶりで暖をとりながら、味噌作りの大豆をことこと煮ている。
今回の「能登の大豆」は、煮た後の煮汁が、似て非なる味がする。料理家なども味噌作りに
きているけど、唯一無二な味にびっくり。できあがった(正確には仕込んだ)味噌をもって
帰るのに重いので、煮汁をペットボトルにいれて、帰らない人も多い。昨日はそんなひとりが
「あまりに美味しいので、あまったらください」と、空のペットボトルをもってこられた。
・・そのくらい、ほんとうに美味い。そばもそうだけど、煮ると、旨味とか大事なたんぱく質などの養分が
水に溶けてしまう。そばは、蕎麦湯にしてルチンなどの大切な養分をもどしてとることができる。
大豆の煮汁も、ぜひもってかえってほしい。

大豆というのは、畑で育てていると、空中の窒素を集めて、その土地を豊饒にする働きがあることを、
農家の人にきいたことがある。
豆腐や味噌や醤油になっても、栄養満点な天地自然の理を、小さな豆の命がもっているらしい。

今日も味噌作りと、そばもんがふたりやってくる。
もしも大豆の煮汁があまったら、「かえし」を入れて、そばつゆをつくり、
そばを手繰ってみよう。
「寺方蕎麦」という、お寺に伝わった精進蕎麦の原点の味がするに違いない。

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」
2月は逃げる。二月最後の「卵かけごはん」 味噌作り玄関の間、みそ汁も大豆の煮汁を
ベースにつくっておりまする。大豆・大豆で、ダブル効果の「おからだおだいずに」。

悲喜こもごもの味噌作り

昨日は、珈琲のお弟子様が味噌作り。
今年あたり、お店をオープンさせる予定で、味噌も3つつくる。
しかし、一人暮らしのお母様の体調がすぐれず、急遽「おまかせ」
になった。今年は100人ちょいの味噌作りで、10人がコロナになったり、
濃厚接触者になったりして、スケジュールを変更したり、おまかせに変更したり・・
こちらが、コロナに感染したら、100人の家族の「味噌」が糞になるので、
かなり神経をとがらせた。筆子さんは、この一か月、ほとんど外出していないし、外食も
していない。わたしも、時間があれば徘徊散歩はするばってん、カフェやお店に出入りするのを
極力減らしている。味噌つくりもあと10人を残すだけ・・・

味噌作りは、一年に一度。この一年でみなの生活や家庭環境などが、がらっと
変わってしまったので、つもる話も濃い。恋の話ならともかく、複雑な濃い話が多い。
そしてまた、世界が「戦争」モードになってきたので、将来への不安は積るばかりだ。

夕方、近くの「お世話しあうはうす」の80歳のお世話係さんが、そばを手繰りにこられた。
白内障の手術をしたらしい。「すっきり見えるようになったでしょ」と尋ねたら、
「鏡を見て、『わたしこんなにシミだらけなの』と思いがっかりよ」とのこと。
「それに、掃除したと思った部屋にゴミがこんなにあるの・・にびっくりよ」とのこと。
補聴器をつけて、これまで聞こえないものが雑音として聞こえ、見えなくていいもんが
見えてがっかり・・・・そのおばあちゃんの口癖は
「認知症のひとって、みんな忘れることで、幸せそうよ。」

最近物忘れがはげしくなってきたけど、もしかしたら「幸せ街道」を歩きだしたのかもなんばん。感謝。

イッチとお茶会

三輪福さんから、こないだ20歳で旅立ったイッチこと、市松(ミニチュア・ダックス)の
写真がおくられてきた。さっそく天真庵のHPの「のむら暮らし」にアップした。
5年前まで、清住白川で住んでいた。能登に移住して、おいしい空気を吸いながら、天地いっぱいの
力を借りて、20歳3か月生きた。
犬は虹の橋を渡ってあの世にいくらしい。きっと元気(天真庵の看板犬兼副店主)がお迎えしたに違いない。

もう一匹、天真庵7の常連さんの犬で「サクラ」というミニュチュアダックスが20歳まで全うして旅立った。
たまたま、か、どうかわからないけど、その二匹とも、17歳くらいの時、ピンチがやってきて、なにげに
「うめ星」(隕石粉の入ったセラミック・・・能登ジェラトン、という)のちっこいバージョンを首にぶらさげた。
たまたま常連の「かりすま動物病院の先生」が「医者として、信じるわけにはいかない」とのことだったが、
世の中には不思議なことがいっぱいある。

今、味噌作りの後半戦。昨日と一昨日で、10人こなし、なんとなくピークが過ぎた感じがする。
この味噌つくりの間に、「うめ星」と夏の「梅干し仕事」の予約がいっぱい入った。

なんやら、第三次世界大戦がはじまった、そんな様相。
お米・味噌・梅干し・・・・ますます大事になってくる。「うめ星」も、有事に有難いコトをやらかしてくれる?
相変わらず、土を耕すことも(不耕なひと)、お米も野菜も作らず、お金でお金を増やそう、みたいな輩ばかり
が跋扈(ばっこ)しているけど、「まさかの時」(まさに今のような時代)は、お金よりも、
いい友達を持つほうが大事やで~。

いい友達を持つコツは、まず「自分がいい友達になる」ことだ。感謝。

おからだお大豆煮

今年は、能登で知り合った「地球知足」さんの大豆が大活躍している。
これまで、いろんな大豆を使って、味噌をつくってきた。「借金なし」
とかいう名前の大豆もよかった。最近は「黒豆」で味噌をつくる人も多い。
昨年は、ひよこ豆でもつくってみた。今年は「くらかけ豆」と「緑豆」の味噌にも
挑戦する。大豆と麹は、自分で選ぶことができる。お塩は、気にいった塩を持参しても
OK牧場。

でも圧倒的に「能登塩」(揚げ浜式)という古来より伝わる伝統的な作り方の塩
でつくる人が一番多い。夏の梅仕事にも大活躍するので、能登にいる間、珠洲の塩屋さんには
必ず顔をだす。名人のじいちゃんは「神の手」をもつ職人だが、昨年は寄る年波で、少し体調を
くずされた。どの世界も「後継者不足」に悩む。知足と不足は、似て非なるほど、違う。

「足るを知る」の洒落ではないけど、昨日は陶芸家の愛子さんが味噌をつくりにきた。
彼女は、2007年の4月の天真庵のオープンイングパーティーの時、カウンターで
たこ焼きを焼いてくれた。陶芸の腕もあげ、昨年はスイスで陶展をするほど世界的になったが、
たこ焼きの腕も、玄人はだしレベルだ。
味噌つくりも最初のころは常滑の壷をつかっていたが、今は樽(たる)を使ってつくる。
「樽の力を知っている」のだ。陶器と違って、空気が入りやすいので発酵の力は一番。欠点
としては、カビがつきやすい、という両刃の剣みたいな特徴がある。酒作りもしかりだけど、
その樽にのこる菌が、また次の味噌作りの時に大いに活躍してくれる、というのもすごい。

伊賀にある彼女の窯にお邪魔して、陶工の仲間たちと酒を酌み交わしたことも懐かしい。
今流行りになりつつあるが、東京と伊賀のデュアルライフを10年以上続けている。
能登の家にコンポストトイレを設置したのも、彼女の助言が大きかった。
「薪ストーブもいいわよ」という助言は無視して、ペレットストーブを東京のお店に置いて
実験中。薪を割ったり、それを保存する場所をつくったり・・・寄る年波がおしよせる老体には、
「ペレット・・」のほうに軍配があがりそうだ。

今日も朝から、そのペレットストーブの上に、大豆を浸した寸胴をおいて、暖をとりながら
ことこと大豆を煮ている。
少し東北なまりのやさしい言葉が匂いたってくる。「おからだおだいずに・・」感謝。

能登牛筋カレーライス

今朝はちょっと寒い。
厨房の中に、「びんぼう」という名の、そばの「のし棒」がおいてある。
ときどき、胡桃油とか、ホホバオイルで、磨いてあげる。今朝はそのホホバオイルが
凍っていた。南米の砂地に育つホホバの木、そこで抽出されるホホバオイルは摂氏10度以下
になると凍る。朝そばを打つ時、ひとつのメルクマールにな~る。
寒い時には、そば粉に水が入りやすくなる。最後の化粧水という仕上げの「一雫」(ひとしずく)を
油断して多めに入れたりすると、そばが台無しになる。
余談ではあるが、ホホバオイルというのは、油なのだが、皮脂を体外にだしてくれる働きがある。
化粧水以上に、すごい。「若いとき、いろんな化粧水をぬったぐったけど、結局何もぬっていない『おしり』
が一番きれい」と悟る前にお試しを・・・

毎日、味噌作りが忙しい。昨日は「せんしゃくん」一家が味噌をつくりにきた。
もう10年せんしゃ、もとい選手。彼は「びんぼう」がつくほど器用で、そばも、すぐに
師範代レベルになった。でも継続は力なりの実力を軽視する傾向(器用なひとの特徴)があり、
しばらく「びん棒」を振り回していない。昨年末に「年越しそば」を久しぶりに打ったけど、
普通のそばもんに成り下がりだった。ま、人のこと・・どうでもよかばってん。

100人ちょいの「醸しびと」(味噌作りの人)のうち、10人ちょっとが、シンコロの陽性や
濃密な関係のために、スケジュールの変更余儀なしだったり、「おまかせコース」に変更だったり
した。ニュースで発表されている以上に、感染者が多いような気がする。
糖尿病や高血圧や通風の人みたいに、「一生薬やワクチンを打ち続ける」というような人生になるのかしらん?
昨晩仕事が終わって、「能登牛筋カレーライス」を食べながら、秩父で調達した「イチローズモルト」
のロックを飲みながら、そんなことを考えていた。
普段は、好んでカレーを食べない筆子さんが「このカレー、月曜日だけの限定裏メニューにしたら?」
とツイートした。

そんなわけで、「月曜の朝は卵かけごはん」。どうぜ、ご飯を炊くなら「月曜限定の裏メニュー・能登牛筋カレーライス1000円」
ヨガの日に、二階で女子がヨガっている合間に、こそっとまかないで食べていたものを、裏メニューにします。
ごはんがなくなりしだい、おわり(でも、能登牛筋カレーそばは、OK牧場)。感謝。

そばもん

ときどき、奥秩父のおばあさんが打つそばやにいく。
お店には、店主のおばあちゃんがそばを打っている写真が飾ってある。
昔は、「そば打ち」は花嫁修業のひとつであり、そば道具は「花嫁道具」だった。
そんな雰囲気が漂っているモノクロ写真。

秩父セメント、というぐらいで、界隈の山は石灰質でゴツゴツした山があり、冬枯れの里山の風景も
日本人の原風景みたいで、気持ちがいい。そんな秩父に「武甲山」という名山があり、酒の名前にもなっている。
ぼくは、そのそばやで、そばを注文し、そば前に、豆腐で「武甲」をぬる燗で飲むのが大好きだ。
いつも三合ほど飲む。窓から見える枯れた木々の上を、ヤマガラやシジュウカラたちが飛び回ったりする姿を見ながら、
〆の蕎麦を手繰る。「そばやで一献」という幸せに勝る幸せって何だろう?というくらい満足する。

そのそばやから車で20分くらい走ると、小さな湯宿がある。日本百名山のひとつ、両神山の懐にあり、
そこの湯につかっていると、この世なのかあの世なのか区別がつかないような境地になる。
ちなみに、両神山、三峰山、武甲山をあわせて「秩父三山」という 。
その宿の玄関のソファで、珈琲を飲みながら、本箱に揃ってある「そばもん」というマンガ本を読む
のも至福の時間だ。ひさしぶりに「第一巻」を読み直した。余命いくばくもないおばあさんが、かつて
よくいったそばやにそばの出前を頼むお話。もう咀嚼も嚥下もできず、「ただ見るだけ」のそば。
でも「見るだけでわかる」ばあちゃんの、そばの話が秀逸だ。その話に「そば切り」の本質がぜんぶ入り。

昨日は、ベテランのそばもんがそばを打ちにきた。
アマチュアとしては、そこそこのそばを打つ。
どの世界もそうだけど、「これでいい」と自分に及第点をつけた時点で、成長がとまり、高みを目指さなくなる。
せっかく山がそこにあるなら、頂上を目指して登っていくほうが、楽しいのではないか、と自分は思う。
昨日は、師匠の高橋さんから譲り受けた包丁を、彼に貸した。
駒板をかする音、そばを切る音が、なんとなく明るい未来を奏でているような音に聞こえたが、本人に
届いたかは、また別問題ではある。みんなそれぞれ、自分のためにそれなりの蕎麦を打てばよいのだ。
ただし、茶道・華道・そば道・珈琲道・・・「道具」というものは「道」がつく世界に必ず「具」わっている。感謝。

味噌つくり、も後半戦

先週の日曜日あたりが、ちょうど50人ちょい、の醸し組が、今年の味噌を作り終え、
後半の50人ちょいの人たちの味噌作りが始まった。
毎朝、寸胴の中に浸けた大豆を石油ストーブやペレットストーブの上にのせ、ゆっくり
ことことの煮ていく。やさしい大豆が煮える香りの中で、そばを打つのもいいもんだ。

諸説あるけど、もともと蕎麦は精進料理のひとつとして、中国から禅や茶と同じ経路で
伝わってきた、という話がある。「寺方蕎麦」と呼ばれ、どうやら、名古屋とか中部地方のお寺に
伝わったらしい。長屋に「そば切り ふう助」という蕎麦屋がある。「ダメから始める中国語」!
のまいこ先生が、そこの主人の嫁になった。結婚披露宴の時、「ひとこと」を頼まれ、
「討ち入りの前夜、蕎麦屋の二階で最後の酒を飲んだり、歴史がかわる時には、そばやが舞台に
なってきたけど、そばやに討ち入ったような今回の話は、たぐいまれな歴史の一ページ・・・」
そんなスピーチをした。後で、ふ~助さんに聞くと、「ぼくもひとめぼれでした」とのこと。
「ごちそうさま」である。

名古屋と金沢は、とても縁が深い。石川の人は、「北國新聞」か「北陸中日新聞」を読む。
最初は?と思った。今でも石川の人は、なにかといっては「前田利家が好んだ・・・」とかいう話をする。
お茶や花の文化、それにまつわるお菓子や、茶器、花器などを、生活の中に入れているのも、前田利家さま
の影響だ。能登の家を建てた施主さんも、お茶を嗜み、「前田利家好みの和室」にこだわって、大工や左官さん
を選んだ、という話だった。

そして、名古屋と石川の共通候がもうひとつ。蕎麦屋の屋号に「そば切り なんやら」といって、
「そば切り」を冠にする名店が多い。
江戸がそば切りのルーツだと、江戸っ子気取りの輩が、鼻たかだかに通ぶったりするけど、どうも
、じゃなくて、対馬から九州に仏教と同じルートで渡り、めんどくさがりの九州には根付かず、
中部あたりの「寺」で精進料理のように芽生えた。古い蕎麦の文献を読むと、そのころは
大豆の煮汁に、醤油を入れて、「そば切り」にぶっかけて、食べていたようだ。
道元さんが、京都から福井に移住して永平寺を建立し、あちらで、ぶっかけの「越前そば」が生まれたのも、
そんな原点に焦点をあてれば「なるほど」という話になる。

今回、無駄のない縁で繋がれた能登の「地球知足」さんの大豆の煮汁に「かえし」(そばやの汁の肝心醤油)を入れ、
そばにぶっかけて食べてみた。「土を喰らう」ということは、こんな味なんだ、を痛感。
へんな「こだわり」を捨て、いろいろなモノやコトに挑戦すると、新しい世界が広がってくる。
今日は土曜日なので、16時まで・・・それから、一階では「蕎麦打ち」と「味噌つくり」。二階では
「ゆるゆるヨガ」。

銀ペリプロジェクト始まる・・

月曜日のブログに「銀ペリ」のことを、ひとりごとのようにつぶやいた。
その日に、銀座のカフェの店主が、蕎麦を手繰りにきて、カウンターに座った。
いつものように、「倍盛り」を二枚食べる。つまり4人前を、ズズズっと
みごとに手繰る。「ほぼブラジル」を石臼で挽いていると、目が輝きはじめた。
「これ、どこで売ってますか?」とのこと。

天真庵の珈琲用の石臼は、真壁(まかべ)の石臼職人さんのじいさまにつくってもらった。2010年、
開店して3年目。筑波山ふもとの石の里で、赤坂迎賓館の石も真壁で掘られたものだ。
2011年3月の第震災で、真壁も甚大な被害がでた。じいさまのアトリエも倒壊し、その後病に倒れ、
残念ながらこの珈琲の石臼は、つくられていない。

備前の「ペリカン」で珈琲を淹れていると、また銀座の店主が質問。
「そのサーバー、どこで売ってますか?」とのこと。
「これは、久保さんの新作なんで、ここで売っとーバイ」と答えたら、
「隕石入れてつくってください」と、注文をもろうた。「銀ペリ」が始まった。

思いが実現するスピードが速くなってきている。時代なのか、隕石効果なのかわからないけど・・
またここで書いたら、久保さんが忙しくなるし、銀座カフェの店主の資金繰りも忙しくなりそうで、書かないけど、
次のプロジェクトもまた、「銀座ならでは・・」を用意している。
昨日、奥秩父の山の中の小さな蕎麦屋で、武甲(秩父の地酒)のぬる燗を、そば前で3合ほど飲んでいた時に、ちゃねった。感謝。

輪花ドリパーから、ペリカンサーバー・・そして「ギンペリ」

今日は、こらから「卵かけごはん」
お味噌汁は言わずもがなの「手前味噌」。今まさに毎日が味噌作り。
先月27日から始まり、毎日、アーティストや、ジョギ(女義太夫)や、子育て中のママ友さん、
多士済々の人たちが集まり、四方山話をしながら、手前味噌をつくっている。
今年も100人超えで、昨日が折り返し地点。今日はギタリストのショーくんが味噌つくりにやってくる。

今年は、能登の「地球知足」という農家さんがつくる大豆が大活躍。これまで、東京から大分に移住して
農業をやっているTくんに頼んでいた。九州は亜熱帯地方になったみたいに、毎年のように豪雨期になって、
記録的な大雨などで、大豆がとれなかった。とくに、自然農や無農薬で、まじめにやっている農家さんほど、
影響が大のようだ。地球知足さんも、東京からの移住くみ、昨年の夏、金沢の般若くんの娘で、ぼくが名付けたM子が
「はじめてのおとまり」で、能登の家にくる日、最寄りの「羽咋駅」(はくい)、というUFOと自然農で
街おこしに成功したところまで迎えにいった。せっかくなので、コスモアイル羽咋にいき、地球知足さんで
カレーをテイクアウトして食べたりした。その縁で、今年の大豆が「能登産」になった。

実に、いろいろ「無駄のない縁」でつながっていき、矛盾がない。足るを知る、知足のおかげかな?
毎朝、珈琲やお茶をいれる。水は能登の「藤瀬霊水」。
母なる地球という生命体は約70%が水。ぼくたちの身体も、フラクタルみたいに同じ比率の水分で
命脈を保っている。その「水」の良し悪しが、健康とかかわること疑いなしだ。
そばを打つ時は、蕎麦粉の半分の水を使う。釜の中にはたっぷりの水を沸かし、そこで泳いだそばは
またたっぷりの水で洗われ、ざるそばになる。
珈琲やお茶にいたっては、9割以上が、水の如何に影響する。

「隕石直売所」が押上から銀座に引っ越して3年になる。昨年秋に、二号店が「松屋」の裏手にできた。
そこでは「隕石カフェ」を併設していて、ラテやアメリカーナやカプチーノを飲める。
令和版の銀ブラよろしく、「銀座でほぼぶらじる」を飲むのが流行ってきたようだ。
ぼくも先月いって、アメリカーナを770円だして飲んだ。半分ジコマになるけど、なかなか美味い。
名にしおう焙煎士(ロースター)が焙煎しているのだろう(笑)

そのお店のカップやドリッパーには、「隕石粉」が練りこまれている。「能登ジェラトン」という。
おまけに、エスプレッソマシーンにも
隕石パワーのシールが貼られていて、地球知足ではまかないきれない「宇宙味のコーヒー」を味わえる異次元カフェ。

ときどき、そのお店の店主やスタッフやお客さまが、天真庵に蕎麦を手繰り、珈琲を飲みにこられる。
天真庵では、備前焼きの珈琲サーバの上に、輪花ドリッパーをので、円錐のペーパの上に、石臼挽きした
ホボブラジルをいれ、珈琲を淹れている。最近、その組み合わせの器具がよく売れる。
サーバのほうは、片口になっていて、その口の形状が、「ペリカン」のような風合いで、勝手に
「ペリカン」と呼ぶようになった。

こんど銀座の店主がきたら「これ、お店で使ってみない」と提案したいと思っている。
「銀ブラ」というのが、本来は「銀座でブラジル」だったのが、「銀座をぶらぶら歩く」意味にかわってしまった。
「ブラタモリ」なんていうのが人気になって、ますますその傾向大だ。
これからの流行は「銀座でペリカン」。それを略して「銀ペリ」ってどう?
この3年、冗談半分で、そんな冗談みたいな話が、実現して、天真庵の中も、「隕石グッズ」であふれている。
これもきっと「隕石効果」なのでしょうか。きっとこのグログをこれから久保さんが読み、アトリエで土をこね、
桜さくころに、「銀ペリ」ができてくるような予感がする。感謝。

明日から3連休。