「能登」にのむら暮らしが紹介された・・

昨日「能登」という雑誌に掲載された記事を、表紙にはりつけてもらった。
校正前のゲラで、珈琲の豆をひいている写真が、「蕎麦をひく」になっていたりするけど、ドンマイ。
発売された本には、ちゃんと「そば」になっている。能登の知人たちからメールがきたり、電話が
きたり、ホボブラジルの注文がきたり、で、東京の雑誌などに紹介された時よりも、
反応があって、半農半Xみたいな生活に加速がつきそうな風向きに、老体に鞭打ちながらがんばっている毎日。

昨日、たけちゃんが、道具をもってやってきた。15年前の改装の時、電気工事を請け負ってくれた職人。
それからこっち、古い建物(築77年)についてある、ソケットや電気器具・・・いろいろ故障した時に連絡すると、
すぐに飛んできてくれる。昨日は、碍子(がいし)まわりの漏電とか、アースみたいなものを点検しながら、今年の
やるべき箇所を提案してもらった。椅子のとうの張り替えを昨年夏、般若くんにやってもらって、あと15年は
大丈夫になった。碍子は京都の骨董屋から購入したものを、たけちゃんが上手に配置してくれて、古民家の風合い
みたいなものを醸し出してくれた。古い建物と同様、電気とか水回り、屋根なのどメンテをしっかりやっていると、
今どきの家よりも、持続可能なのである。

その京都の骨董屋は、もともと藍染で財をなし、人間国宝になった陶芸家・近藤悠三や芸術家を応援した。
福岡の玄洋社の遠山満翁が関西に行く時に逗留した家でもある。その家の床の間には「南開」と揮毫された頭山翁の書が飾ってあり、ぼくも
何度かその部屋に泊めてもらった。お礼に、その部屋の茶箪笥の中にあった近藤さんの宝瓶(ほうひん)で玉露を淹れ、
女将さんたちにふるまったりしたことが懐かしい。(能登の雑誌にのっている我が家の床の間の掛け軸で、ひとつは、南條先生の寒山拾得、もうひとつ「一・・・」は解説文はないけど、頭山満の書である。翁の大フアンのおかまのMくんが、見るたびに、「これ、頭山先生の字にしてはうますぎるので贋作だと思うから、うちにタダで頂戴、とおねだりされる・笑)

話が脱線した。
いろいろな職人たちが、がんばってくれて、この古い建物を維持してくれている。
ここの改装に参加した人たちが、その後近くでカフェやシャアハウスなどをつくって、街を
彩ってくれる。最初に「ぶんかん」ができた。昼の店長だった「なつきくん」は、島原
に移住し「くちのつ巷珈琲焙煎所」をつくり、そこの電気もたけちゃんが駆けつけて工事をした。
夜の店長だった「ユーホーくん」も、熊本に移住して無農薬の米をつくっている。
今月はそのユーホーくんが住む古民家の改装に、たけちゃんが駆り出されるらしい。
日本中に、負動産とかいわれる古民家がいっぱい空き家になっている。
うまく活用していけば、限界集落どころか、味のある「まち」や「むら」に、懐かしい未来の灯が
ともる。ほんとうの「ゆたかな生活」にもどす絶好のチャンス到来時かもなんばん。
アホな政治家が発するオーム返しの「持続可能・・・」の合言葉は、うすっぺらい。自分たちの毎日の暮らしの中で培っていきたいものだ。感謝。

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