今日から「まんぼう!」

シンコロ時代になって、みずから時短をし、ライブも夜の勉強会も
やらなくなって久しい。売り上げは半分以下になったし、10日は能登で
暮らしているので、うらぶれた街に、倒れそうな佇まいのお店は、まさに風前の灯火、
といった具合である。でも幸いに「霞を喰うレシピ」を公案し、能登でお金のかからない暮らしの実験中
で、「まんぼう」がきても「びんぼう」にならないような気がしている。(実際には、貧乏という棒をふりまわし
ながら、毎日そばと格闘しているのであるが・・)
今日から東京都も「まんぼう」。平日は18時閉店が当たり前なので、なんら変化なし。
「お酒」も昼からでも時間内ならOK牧場だ。

水曜日、小学校時代からの親友のまったいと、横浜駅南口で待ち合わせて、「そばやで一献」の新年会。
小学校、中学校時代は、北九州の黒崎という繁華街でよく「うどん」を食べた。もちろん酒は飲まない!
「横綱」というお店がふたりとものお気に入りで、「ごぼ天うどん」を食べるのが、ならわしだった。
お互いに、東京で暮らすようになったけど、「東京駅の地下に美味い博多うどんがある」といっては
行き、最近は有楽町の駅に近い「博多うどん」を食べながら酒を飲んだりしていた。

そんな「うどん派」のまったいが、週一ペースで横浜の「そばや」で、昼酒を飲むようになった。
三度目になる。一度目は、「このお店は、岸信介とか政治家が通った店だ」という説明をきいた。
政治家(昔の)は、「井戸塀」といって、民のために働き、けっきょく残るのが井戸と塀、
そんな格言に似た名前のお店だな~、というのが印象で、升に注がれる冷や酒をお替りするだけで、
「そば」にたどりつかなかった。

お店の名前は「いどべい」ではなく「かどへい」という。だいだいののれんに「角平」という字を
確認できたのが二回目にいった時だ。その時は、もうひとりの小学校からの友人の松下くんが、
社長に就任したお祝いをかねての「そば会」だった。彼も小学校高学年あたりから、親の秘蔵の酒を
くすねて飲むような左党で、3人で「そば前」(そばの前に飲む酒)を、学生飲みし、
そばを手繰るまでいけなかった。

「三度目の正直」だと勇んで、のれんをくぐる。
いつものようにそば前に、新潟の地酒「鶴齢」を一杯頼む。まったいが「のんちん(ぼくの小学校時代からのあだ名)、
ここのそば食べたことあったっけ?」と聞くので「なかよ」と答えた。
「じゃ、わすれんように最初に頼もう」ということになり、「つけてん、ください」と注文した。
何・・・?つけてん 漬物の天ぷら?今流行りのとりの天ぷら?不思議な顔をしていたのか
「ここは、つけ天」が名物だといって、メニューに「元祖つけ天」と書いた看板メニューの写真を見せてくれた。
ちょうど、升酒がなくなるころあいで、「つけ天」がでてきた。そのタイミングで、緑川政宗のぬる燗がやってきた。
もりそばの横に、平茶碗みたいな器に入った暖かい甘汁に海老天が、器からあふれるような感じでのっている。
「天ぬき」(天ぷらそばのそばぬき)みたいなんに、そばをつけて食べる、のが、流儀らしい。
なるほど、飲んべえには、たまらないそばの酒肴みたいな蕎麦だ。「ぬき」と「もり」の両方が楽しめるわけだ。

昔から、そばやは、いろんな人生や歴史の「変わり目」の舞台になってきた。そんな風情を久しぶりに
味わいながら、横浜の街を梯子しながら、徘徊した。鼻歌は♪横浜 たそがれ・・・
ふたりとも、65歳を迎えた。いっしょに梯子した仲間たちの何人もが、場所を天国に移して飲んでいる。
たそがれ、よりも、かわたれどき、に近い季節を迎え、足のおぼつかぬ猿が三番叟を踊っているがごとくであるが、
「死ぬまで生きられる」をモットーに、ときどきそんな酒を楽しんでいる。感謝。