川端康成翁はやはり天才だった?
車で関越道を北へ向かって走っていると、長野に入ったあたりから
トンネルごとに、積雪量がかわり、一駅、いや人トンネルごとに、雪国感が
ましてくる。樹氷の木も雪で幻想的になり、どんよりと覆いかぶさりそうな雲の先には、
「まったく違う世界」が待っているかのごとくの幻想をいだくような気分になる。
さすがに豪雪地帯の妙高高原あたりにくると気温もマイナスになり、パーキングに駐車して、トイレにいくにも、気合がいるし、
足元を一歩一歩確かめながら歩く、そんな感じだ。
いつもは、道の駅までスルーできる「新井」で、道の駅の直売所で、野菜や山菜や、地元のおばあちゃんたちが
つくる総菜、おにぎりなんかを調達するところばってん、今回はそこをスルーして、能登を目指した。
上越から北陸自動車に入ったあたりで、魚津の先のトンネルで玉突き事故の案内があり、魚津から雪景色の
下道を走ることになった。死ぬと生きる、は紙一重。なんども通った道だけど、歩き目線で雪積る街を走っていると、雪国のくらしの厳しさ
が想像できる。そのまま氷見まで下道を走り、いつもいく「よしのや」みたいな名前の「すしのや」で、鮨をつまむ。
ノンアルコールビールを頼み、春夏秋冬の旬を感じられる地元の魚をにぎってもらい、最後に「氷見のぶり三種」(背のみ、はらみ、あぶり)
を食べてお勘定。いつも滞在時間15分ちょい。お勘定もひとり2000円強。東京の銀座あたりで食べると、2万だしても食えないレベル。
それから、ナビを「道の駅 ころ柿の里」にセットすると、能登の家から近い温泉があり、ゆっくりと都塵を洗い落とし、
りせっと。こころも真っ白なホワイトボードになったごとくで、湯舟の中で、今年のありようをイメージ・・・
日々の暮らしも、世界経済も、政治も・・・渾沌を極めるばかりで、希望がもてないけど、そんな中にあっても、毎日陽気に
暮らしていく工夫と努力をしていきたいと思う。「足るを知る」レベルで充分やと思う。
風呂上りに、その温泉近くの升本酒店で、地酒を3本ほど調達して能登の家に向かう。
20日東京で暮らしているので、20日ぶりの家は、夏はかび臭く、冬はめちゃくちゃ寒い。
囲炉裏の炭をおこし、鉄瓶で湯を沸かし、錫のチロリに酒をつぎ、熱燗ができる間に、車と家を何往復かして、
食材や医療や、仕事道具や本・・・などを運ぶ。
その日の夕餉は、「料理しない」を基本にしている。東京からもってきたおせちの黒豆、かずのこの粕漬け、牛筋だいこん・・・
などを酒肴に、熱燗を飲む。石油ストーブの湯がたぎってきたら、湯たんぽにいれ、あまったお湯は空のポットにいれ、
洗い物に使う。この生活を始めて、3年になるけど、まだプロパンも契約していないし、給湯設備もなにもしていない。
たいそう貧乏しているような暮らしだけど、基本的に「お金のかからない生活」を旨としている。
計算はしたことないばってん、たぶん能登に住む10日間の生活費は、ふたりあわせても一万円弱程度やと思う。
このペースだと、能登で一か月の生活費は「3万」(ただし、東京から食材とかを運んでいるので、ずっと能登に住んで
いると、5万円くらいかかるかな?)でくらいだろうか・・・?
家をキャーで買って家賃がかからないというのもあるけど、能登は家を借りても、月3万もだせば、6部屋くらいの
豪邸?に住める。そこで何をなりわいにして喰っていくか?・・・・そこにこれまでの経済学とか、アホっぽい首相の提案する
「新しい資本主義云々・・」の方式で計算すると、答えがでなくなる。
極端なことをいえば「どうにかななる」とか「どうにかすればよい」のだと思う。それこそが「これからのたつき(経済)」
ぼくは、この鳥じゃないとこれないような不便な場所で、天気がよければ海辺まで、移動式の焙煎機を
運んで、ガラガラと珈琲豆を焙煎するような毎日。秋までは、朝まずめにタコや雑魚を釣り、晴耕雨読の
だれにも鑑賞されない生活をゆっくりしている。気持ちは、「この豆が銀座やニューヨークのマンハッタンのカフェあたり
まで旅しますように」(銀座や六本木には、もうすでに浸透しはじめているばってん)な気分だ。今年は「豆の旅」がどこまでいけるか・・・そんな不埒なことを初夢に見た。でも本音を言うと、「何もしなくてもゆったりと、みんなで、ゆたかに毎日を過ごせたらいいね」と思う。感謝。