京都の「からふねや」は、1972年に下鴨神社の近くで創業した。
同じく、下鴨で1955年創業の洋菓子屋がある。「バイカル」。
昨日、煎茶の先輩で3年前に千葉から宇治に移住した先輩夫婦が
蕎麦を手繰りにきてくれた。お土産に「京都の洋菓子です」と少し京なまり(まだ80点)
で笑いながら奥様がバイカルのケーキを持参してくれた。京都から上京して40年近くなる。
その間、ちょくちょく上洛するけど、「バイカル」にいく用事もなく、京のみやげ
は「阿闍梨餅にして」と顔に書いてある(ウソ、漬物とかもってこられると・・・・
「長い付き合いになりそうなので言うけど・・漬物は薬ずけみたいなもんやし、これからは
阿闍梨餅にして」と自己申告したりしてきた。土産をいただく時に、大変失礼な話ではあるが・・)
ので、だいたい京都からの到来者は、阿闍梨さまが多い
(笑)
65歳になり、認知予備軍みたいな症状がときどきでる。最近のこと、人の名前、明日やろうとしていること・・
などを失念するのが日常的になってきた。あまりに日常茶飯になったので、「あれ、何しにここにきたんだろう」
と立ち止まっても、平気の平左状態のことが多い。
「バイカル」という言葉を40年ぶりに聞いただけで、瞬時にその時代の京都にもどることが可能だ。
あたかも、ほんやら洞(今出川にあった老舗の喫茶店・そこの主人の写真は秀逸やった。「笑う賀茂川」などの著作もある。)
の甲斐さんの写真のように、脳裏に浮かんでくる。
3つ下で、ぼくの親友の「まったい」の弟のつよしくんが、立命館に入学し、下宿を探していたので、元田中(当時はあまりがらのよくない街やった。
そやから、アパートの家賃が安く、学生に人気があった)を紹介した。そこの大家のおばあちゃんは、その当時すでに古希(70)を超えて
いらっしゃったので、もう今は天国に引っ越されたと思う。そのアパートには、都合3名の「からふねやマン」を紹介した。
ぼくのアパートは、下鴨西本町にあったので、いつものようにおばあちゃんの大好物のバイカルのケーキをバイカル本店に買いにいき、挨拶にいった。
その時、おばあちゃんがなにげなく、「ちょうどこんどの人(つよしくん)の部屋の上に、きれいな人がはいられはった
わ」とおっしゃった。個人情報がなんじゃのかんじゃのない時代だ。そのことを、弟くんに告げたら、引っ越しの挨拶(こんな風習もなくなった)
を、両隣さんにするのが普通だけど、しかも、両隣がたまたま同僚になるからふねやマンだったので省略して、真上の部屋の女性に
「バイカルのケーキ」をもっていったらしい。大分出身で、府立医大の看護婦をしていた美人で、その縁でふたりは結婚し、3人の子供と孫も
できたりして、幸せに暮らしている。
夕方、飲みともだちのともちゃんが珈琲を飲みにきたので、バイカルのケーキをいっしょに食べながら、そんな遠い昔の
「縁結び物語」を思い出したりした。ニヤニヤしていたのか、ともちゃんが「助平なこと考えているでしょ?」といった。
普通営業は今日でおしまい。明日からは「年越しそばを自分で打つ」モード。
年越そばも、「つなぎ」をいれて打つ。「来年もこの縁が、切れませんように」という縁起からきた。天恩感謝。