おでんのルーツ

昨日は、茨木で合鴨農法をやっている友達が、収穫したお米で
つくった「笑鴨」という日本酒をもってきてくれた。毎年暮れの行事。
今年は能登で、開墾から田植え、収穫まで、機械を使わずにやった。中退したけど、北九州の「さゆり保育園」に通っていたころ、
お昼になると、みんなで「お百姓さん、ありがとうございます」といってから
お弁当を食べていたことを思い出した。ほんとうに、お米を食べられる、というのは、ありがたいことだ。
最近は、マックとかケンタッキーとかを弁当なんかにする母親もあるらしい。
「カーネルサンダーさん、ありがとうございます」というのかしらん。
時代はどんどん変わっていく。

昨日今日と寒くなってきた。そんな時は、「おでん」に「熱燗」がいい。
だれかのエッセーに「おでん 熱燗 むかしの女」というのがあった。
おでんのルーツを若いもんに問うと、「セブン」とか「ファミマが先じゃない」「いや、ローソンでしょ」
みたいな会話になるいそうだ。
諸説あるけど、熊本の「田楽豆腐」が原点というのが、有力説?確かに「でんがく」に「お」をつかると、「おでん・・」。
もともと、田楽、というと、田植えや稲刈りの時に、お囃子や唄や舞をやっていた伝統文化で、歌舞伎のルーツ
だともいわれている。その後、「猿楽」に移行するけど、猿が烏帽子をかぶって舞う「三番叟」(さんばそう)
も、原点は五穀豊穣を祈る儀式である。お米つくりと日本の文化は、きってもきれない縁で繋がっている。

大学も中退(といっても、6年も在籍していたけど)、立命館の広小路校舎という御所に隣接している学び舎に
通った。歩いて5分のところに、「シャンクレール」という有名なジャズ喫茶があった。かのマイルス・デイヴィスも
来日すると通ったほどの名店。ぼくもその名の由来のように、ジャズを聴きながら思案に暮れた・・。
そこから100mくらい下った(京都では御所を中心に、上にいくのを「上がる」、下にいくのを「下る」という)
ところにおでんの名店「安兵衛」があった。いつも「とうふ こんにゃく 名誉冠(伏見の酒)」というのが入り口で、「うすあげ 名誉燗」
が出口。アルバイトのお金が入ったりすると、徳利を10本ほど並べた。給与前は「おいといて」といって、つけがきいた。
のんびりした時代。安兵衛の「うすあげ」は、手焼きしたうすあげ(おあげ)に、九条ネギの刻んだんがぎょうさん入っていた。
それに、和辛子(自分で練ったもん)をつけた酒肴にすると、3本くらいは飲めた。
今は夜の勉強会はやらなくなったけど、ときどきおでんをだした。みんながお勉強をしている時に、豆源郷(ここの主人は京都の豆腐屋で修行)
の大きなうすあげを、たっぷりのネギを刻んで、厨房の中にしゃがんで、一杯やることが極上の独酌タイムやった。

今日は夕方「ゆるゆるヨガ」
ヨガと蕎麦と珈琲がついて、2000円。
二階でヨガをやっている間、下でそばの準備をしながら「能登牛すじカレー」を食べるのがならわしになっている。
昔、京都の木屋町に「いんであん」というカレーやがあった。カレーの上に、牛肉がトッピングみたいに
ころんとのっかっていた。50年以上続いたけど、ある日閉店した。牛肉は贅沢だけど、牛筋で「いんであん風」。
「長く続くお店」には、そこにしかない流儀、みたいなもんがあるように思う。今だに「いんであん」のスパイシーな味が
脳裏にうかぶことがある。まるでボボブラジルからヘッドパット(頭突き)をされたかのように。。。
ぼくのお店は来年15年。珈琲歴を京都の「からふねや」から数えると、47年目になる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です