地籍調査 って どげなもんかろう?

来年、能登の集落近辺の「地籍調査」が、はじめて行われる。
それに先立って、昨日近くの公民館に集まって、航空地図と一筆書かれた土地の所有者の名義
や土地の広さなどが書かれた地図を並べて、事前の打ち合わせをした。
ぼくの家は、母家があって、隣に畑があり、一段あがったところに駐車場と倉庫があり、
その裏に柿の木と栗の木と、里山につながる畑がある。でも、登記は母家のとこだけにし、
そのほかは、名義を変更していない。倉庫などは「ご志納(しのう)」という形で、地権者に毎年きまったお金を
払うシステムにしている。税金問題云々ではなく、ごちゃごちゃしているのがきらいな性分だから・・

地籍調査とは、市町村が主体となって、一筆ごとの土地の所有者、地番、地目を調査し、境界の位置と面積を測量する調査のこと。「土地に関する戸籍」みたいなもの。登記所で登記され、売買や相続や固定資産税の算出の基礎になるもの。「登記されていて当たり前」
と普通は思うのであるが、山があったり、船着き場までの道をつくったり、風をよけるために、横並びに家をたて、それぞれの家の前を
私道を公道よろしく、行き来当たり前の集落では、いろいろ暗黙の了解や、口約束だの、曖昧模糊とした話も多く、そんなことがいざ鎌倉
の時に争いになる。そんなことも含め、集落の人たちは「まんぞう」という形の予備のお金を毎年積み上げている。「ならわし」みたいな
ものだが、都会から移住してくる人たちは、その土地土地に、そのようなものがあることを頭に入れておかないと、トラブルのもとに
なることも多いみたいだ。

残り時間の少ない老人たちが、虫メガネを片手に「この土地は本来わしのもんだった」「この山は今はやめたばってん、
もともとわしが果樹園をやっていた」「去年まで田圃をやっていた土地だ」・・・・とかいいながら談論風発。
さいわいまだ、地元の方言が理解できぬところもあり、岡目八目の他人様のような顔して、じいちゃんたちの話を
おもしろおかしく聞いていた。施設におられる老人たちも、通帳がなくなった、とか、財布がぬすまれた、みたいなお金や財産
のことを、挨拶がわりにいうようになる、という話をよく聞く。他人事のように思っていたけど、いずれいく、すぐいく、今その道
なのかも知れないと思い、胸に手をやった。井原西鶴の時代から「人間は欲に手足がはえたもん」なのです!

そんな四方山話の最中に、矍鑠(かくしゃく)としたじいちゃんの鶴の一言。
「すぐに山は藪になるし、家には子供孫はかえってこない。その家も朽ちる。わしらもみな近い将来召されんとしている。
こんな調査も、マイナンバーといっしょで、お上が一円でも多く徴収しようという目論みじゃないのか?」。
といって、「わし、かえる」といって踵(きびす)をかえしてでていかれた。みんな一瞬静かになったが、それぞれ腑にストン
と落ちた様子。
みんなオギャーと裸で生まれ、なにももたずに死んでいくのが、天地自然の理。なかなか「無一物」という
境地になれないみたいだ。

もともと・・・をたどれば、この星の土地なんて空気や水みたいなもので、みんなのものであり、おれんちも、きみんちもない世界。
断捨離という言葉だけ流行しているけど、「財産」とか「家」とかに縛られながら生きて死んでいくつまらぬ人生観そのものを
断捨離せんとあかんのかもなんばん。荷物を減らし減らし 我が道を歩く。   感謝。

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