よくばりな七輪で珈琲を焙煎!

天真庵のHPに「能登で始める3日坊主の珈琲教室」というのがある。
天気のいい日は、ネコ(農業用の一輪車)に七輪、手回し焙煎機、炭、生豆、風呂桶(焙煎した豆入れ)、うちわ(火の調整)、
くるみ油(焙煎機の潤滑油)などを入れ、徒歩3分の海の見えるところで、ガラガラと焙煎をする。
天地(あめつち)いっぱいの恵みの中で「生かされている」を感じる瞬間。手回し焙煎のリズムは、般若心教を唱えながら
やると、呼吸がぴったりになる。ギャーテー ギャーテーいいながらガラガラ回すと、なんだかうまくいく。
ぼくの珈琲のお弟子さまで、プロになっている人も、この焙煎機を使ってやっている。でも東京でテナントでお店を
やる時に、契約書では、炭火はOKじゃない牧場になっているところが多いので、なかなか炭火焙煎ができる場というのが限られる。
天真庵は、もともと建築やさんの事務所で、下が土間だし、サッシもなく冬なんてすーすーすー(風がすーすー入ってきて、呼吸しとるけんど、寒か~
という九州弁)ので、炭火はOK牧場で、15年間ずっと冬の暖は炭火と石油ストーブ、2年前からペレットストーブも仲間入りした。

その七輪であるが、もともとアウトドア用に、買ったので焙煎したことがある。好奇心の強い、でも飽きっぽいお弟子さま
(彼女は煎茶の教室で、一日目の一煎目に「私には向いてない」といって、退出した)が「私炭火でやってみたい」
と、いわっしゃるので、「よかよか」と、炭火を七輪に入れ、ガラガラ始めた。都市ガスでやると、だいたい15分かそこらで、
イチハゼ(パチパチ爆ぜる)のだが、30分たっても、一時間たっても、いっこうに爆ぜる気配がない。案の定「わたしには向いて
いない」といって、そのまま横に卒業した。その後、炭をいろいろ変えたりして紆余曲折があったけど、珠洲の珪藻土の七輪と、珠洲の炭を
使うようになって、効率があがった。食べ物の世界に「身土不二」(しんどふじ なるべく生きている場所の近くでできるものを食べる、のが
体によかよか、みたいなこと)というのがあるけど、半島のかなりの土が珪藻土である能登半島では、その土を切り出した七輪に勝るものがなく、
その大地から養分をもろうた木々を使った炭で、火を起こす、というのも天地自然の理、なのかもしれない。
その不遜のお弟子さんは、毎月のように「ほぼぶらじる」を400グラムほど買っていかれる。それだけは、飽きずに続いている。
先日「腕をあげましたか?これまでの珈琲よりも、封をあけた段階で香りが違うし、飲んだときの後味もベツモノ」とメールがきた。
「きみのおかげで、試行錯誤を繰り返し、やっとここまできたバイ」と返事をした。不思議な師弟の物語はまだ続く・・

先月、お弟子さまに頼まれて、珠洲の七輪やさんに「よくばり七輪」(ぴたっとくる蓋がついていて、火消し壷にもなる。
巣ごもり期間に、ソロキャンプや別荘で活躍していて、生産がまに合わない)を買いにいった時、スタッフにむりくり
「ほぼぶらじる」をごちそうした。鶴の恩返しの珈琲編?やっぱ変?社長がちょっと迷惑顔していたけど、お世辞で「うまいな」
といってくれた。自分的には、大事で神聖な儀式やった。ここから世界に優美に広がっていく文化なんや。
先日、その社長から電話。「こんどついでの時に、珈琲豆のおいしいのを選んで200gもってきてもらえますか?」とのこと。
「うちは、ほぼぶらじる、しかありません」と答えたら、笑いながら「それはいいわ。粉にしてもってきてください」とのこと。
やはり先月感じたことが実現する。豆が売れた、とか、そんなことはどうでもいい。七輪をこつこつつくっている人たちに、
その七輪で焼いた珈琲豆で、一服する「ゆとり」をお返しできることがうれしい。
先月は、家で淹れた珈琲をポットに入れていったけど、今回は、久保さんの新作の「輪花のドリッパーと、片口サーバー」
を土産にもっていく予定。
今日は、近所の梅の木の剪定。

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