木曜日のお仕覆の女子たちは、かっぽれ仲間。
先生は80歳になる。サマーズの三村くんのおばさん。10年くらいやっているので、生徒のかっぽれ女子
たちも、そこそこの歳になった。この一年は、酒器のお仕覆をつくっていたため、
なんとか月に一度は顔をあわせ、近況を語ったりしながら、蕎麦をたぐり、ほぼぶらじるを
飲みながら、ちくちく運針をする楽しみがあったが、来月が最終になる。
世の中的には、忘年会はまだまだタブーな感じだけど、ささやかなお別れ会になりそうだ。
よく「夜の勉強会は始めないのですか?」とか「そろそろライブを始めるのですか?」とか
聞かれる。「いや、もうやりません」と返事をする毎日。
ピアノの近くのカフェに譲渡することになった。きっとこの町のどこかで、小さなライブやコンサート
は引き継がれていくと思う。押上天真庵の役割は、ひとつくぎりがつきそうな、そんな思いがしている。
男子のかっぽれの相方が、昨日の夕方にきた。
天真庵の煙突のようなスピーカは、相方が月に一度きて、「タイムドメインの試聴会」
なるものをやっていたころ(池袋時代から15年近く続いた会)に預かっていたもの。
昨日は、それを返した。あとはライブハウスにもおいてあるPA。それも金沢のライブハウスに・・
それらがなくなると、うちは普通の「喫茶店」になる?か?
自分で風をふかせたり、その風にふわってのっていくようなタイプではない。
知らぬ間に、「風がここちよい」くらいの気分で、その時代の流れに身をまかせてきた。
原田先生の花の会は「風興の会」といった。花鳥風月を愛でる風流人が多い会だったように思う。
原田先生も会報の編集長の武内さんも、天国へ引っ越した。ときどき、能登の梅茶翁の山を散策
していると、ふたりの声が聞こえてくることがある。先週は、楓と矢羽すすき、あとは名前をしらない花
たちをポケットに忍ばせた京都安重の花鋏で切り、久保さんの信楽の大壷に投げ入れてみた。ふたりの「まだまだ」という声がした。
「ゆとり」とは真逆の方向に世の中がすすんでいるばってん、ときどきは、風狂のような境涯になって
「夢」など語りあいながら、花を愛で美味い酒を飲みたいものだ。
今日明日はいつものように「12時から16時まで営業」
その後は「蕎麦打ち教室」 今年は自分で打ったそばを田舎にもってかえって、家族といっしょに
食べる、がまた再会できそうな雰囲気。年末の「自分で年越しそばを打つ」の予約がぽつぽつ入ってきた。
31日が混む。今年から「一時間でそばが打てる人」だけが、31日。「うーん、どうかな?」
の人は、30日か29日にシフト。