大山の鮨の名店

昨日は、かよちゃんの生徒の「オーボエは発表会」やった。今年で10回目。

その前に、店の前にチャリンコがとまった。ときどき大山からチャリでやってくる同い年のおっさん。
岩本弘行という。ネットで、「ボクサー 岩本弘行」で検索すると、彼の唯一無二な人生
がでてくる。今は、「鮨処 いわ本」を奥様と切り盛りされていて、奥様は、うちに味噌つくりにきている。

ぼくさー、押上にくる前は、池袋でギャラリーとITの会社をやっていたっちゃん。
将来「どこかで自分のお店」を目指していたので、体力つくりのため、目白の「ヨネクラボクシングジム」
まで往復一時間半くらい歩いて、ボクサーと同じような内容トレーニングをした時期がある。
今は米倉会長が体調をくずし、ジムはなくなったばってん、その当時は、まるで明日のジョーがいた下町の 丹下ジムのモデル?
といった風情の古色蒼然たる建物の中にあった。壁には、歴代のチャンピョンたちの雄姿が飾られてあった。その中に、
ちょぼひげをはやして、日本タイトルを防衛10回の「岩本弘行」の写真があった。

ある日、トレーニングをしていたら、生いわもとが大きな声で「こんちわ」といって入ってきた。現役のボクサーたちも
畏敬の念をもって、動きを一事静止して「こんにちわ」と挨拶する。男くさい世界の大事なしきたりみたいなものだ。
お互いにまだ40ちょい才くらいで、わかかったけど、ボクサーの平均年齢からいうと、倍近く、不思議におもった
のか「現役ですか?」と聞いてくるので、「はい、もちろん、世界をめざしています」と答えた。
そして、リングで彼がミット打ちの相手をしてくれた。彼が得意だったフリッカージャブも教えてもらった。

ちょうど大山で「いわ本」を開いたばかりのころで、それからちょくちょく鮨をつまみにいくことになり、
むこうも、うちのギャラリーにきて、南條先生や若いアーティストたちとふれあってくれた。20年以上のコブシを振り合う縁。
「お店いつまでやるの?」と聞かれたので「死ぬまで」と答えたら、「おなじだ」といって笑った。
リングはかわったけど、今も輝いているナイスガイだ。

今日は日曜日。4時まで営業。