今日から11月。今年もあと2か月。
長かったような、あっと終わるような、不思議な一年。
新しい時代を彷彿させるか?と思った選挙やったけど、姑息な作戦が功を奏した?
のか、「な~んだ、変わらないな」という結果になった。
東京19区のスエクンは、なんとか当選したので、「おめでとう」
とメールで伝えた。立民にとっては、厳しい選挙結果だけど、末松くんみたいな気骨というか、
ちゃんとした「哲」をもった人間が残ったのは、彼の役割がまだまだあるちゅうことやと
思う。
昨日夜にグラリと地震があった。夜は昼間に車の上にモバイルのソーラーパネルを
置いて蓄電池に電気をため、それでPC、電気、ラジオの電気を賄っている。
かたわらに火鉢をおき、炭火の上の五徳に鉄瓶をのせ、その中に錫のチロリでぬる燗を
つくり、一献かたむけながら、本を読み、昨日は選挙の速報をきいていた。
寝る時は、炭に灰をかぶせる。そうすると、朝まで灰の中に火が残っているし、
五徳の上の鉄瓶の湯は、湯のまんま。朝は火起こしの手間もなく、温かいお湯で
顔を洗ったり、珈琲やお茶を飲むことができる。そして、残っていた炭のまわりに
新しい炭を上手におくと、「いきなり焙煎モード」にもなるし、暖もとれる。
先月から珈琲の焙煎を「炭火焙煎」にした。HPの「ほぼブラジルを自宅で飲む」
というところをクリックすると、「能登の焙煎所」の仕事している(その海で魚やタコを釣ったりもするばってん)
写真をアップした。ただそれだけだけど、先日ぼう出版社が取材にこられた。ネット時代というのは、
すごい。やっていることは、超アナログ、まるで縄文人が能登にいたころとかわらない暮らしだけど、
情報の伝達スピードが格段に違う。明日は、その「縄文焙煎機」みたいな七輪の会社のスタッフが
お店にこられる予定になっている。またうれしからずや・・・
新しいメニューが増えた。「花巻そば」・・・江戸時代から、そばやの定番やった。蓋つきの器
の中に、温かいそば、その上に海苔を散りばめる。蓋をとった瞬間に、プーンと礒の香りが・・
江戸の花街でそんな粋を楽しんだから、花巻になった、という説があるが、花街がなくなり、江戸で海苔が
つくられなくなって、自然消滅した感がある。天真庵では、海苔を能登の岩のりにして、奥能登でつくられていた
合鹿碗(ごうろくわん)で供することにした。
昨日は、その「花巻そば」がよくでて、合鹿碗が大活躍した。一段落したころ、「おっさ」がやってきた。
「竜とそばかすの姫」で大ブレークした中村佳穂さんのファッションを手掛けていたこともあり、もちろん
その前から知る人ぞ知る、のスタイリスト兼ファッションデザイナーであり、プレイヤーだったので、
近くにあったアトリエが狭くなり、先月世田谷の庭つきの一軒家に引っ越しをした。
「っちわっす」と、いつものような感じで入ってきて、いつものように「とりそば」を手繰り、珈琲を
飲み、豆を200g買ってかえった。世田谷で自転車でいろんなカフェにいって豆を所望しているが、
「これっというののが、ないっす」とのこと。はじめて炭火焙煎珈琲を口にして、いつもの口癖「これ、やばいっすね」
がでた。
簡単である。焼肉屋を炭火とガスでやってるところと、梯子(その日にやらんでもよか)して、食べ比べてみると、
一目(一味?)瞭然。
理論や理屈を超えたところに、「真実」があるように思う。
石臼と電動ミルが同じじゃつまらぬし、手打ちと機械打ちが同じであるハズがない。
「人間」が介するもの、そこに「ひと手間」かかっているものの価値、がわかる人になりたいと思う。
そんな話をしていたら、珈琲のお弟子様が、畑でとれた大根と自作のクッキーをもってきてくれた。
おっさと半分づつ食べた。少しかためのモノホンのクッキーを歯切れよい音をたて、「これもやばいっすね」
といって笑った。感謝。