自分で年越し蕎麦を打つ おもろいけど、そろそろ・・

今日で11月も千秋楽。
明日から師走、みんな走りだす一か月。
コロナがだいぶ治まってきて、人も車もではじめた、と思ったら
またアフリカで、おみくじで凶がでたみたいな名前の新種ができたらしく、
鎖国状態になりそうな気配。サンタクロースも、隔離されるんじゃスケジュール管理が
むずかしくなりそうな感じ。

昨日は寒かったけど、朝から卵かけごはんに、いっぱい人がきてくれはった。
TKG(たまごかけごはん)は、世界一の朝ごはんやと思う。
メキシコにしばらく住んでいて、昨日から近くのシェアハウスに引っ越してきた芸術家青年が
卵かけごはんにきた。ちょうど、その時、鼻歌うたいながらチャリンコでおかまのMくんがお店
の前を通る。直観で、この青年とおまかのMくんは、なんやら縁があるのじゃないかと思った。

卵かけごはんが終わって、おかまのMくんにショートメールしたら、電話がかかってきて
「さっき、お店に入ろうとしたけど、人がいっぱいいたので、遠慮したわ・・・木曜日に
その青年と近所のカフェであいたいわ・・・」ということになった。

オッサのアトリエがあった長屋にも、京都出身のアーティストが引っ越してくるらしい。
「大阪で生まれた女」じゃないけど・・・・♪またどこからか人がくる ・・・ 
みんな、この星の束の間の旅人なのです!
で行く人来る人 行く年くる年 の季節。
年末の「自分で年越しそばを打つ」という人のスケジュールも、だいぶうまってきた。
なんとなく・・・この企画も今年が最後のような気がする・・・

こんどの12月3日(金曜日)は、法事のため臨時休業にいたします。
12月6日から12月17日(金)まで能登休み。

タコは宇宙人か?仲間同士で言葉をもっているみたい!

昨日は、「ゆるゆるヨガ」だった。
元気な女子たちがヨガりにくる。
ヨガった後のそばは格別のようだ。能登の隣の畑の柿の木の渋柿を
200個ほどもいで、東京で干し柿にした。野菜とか、到来ものをもってきてくれる人
たちとぶつぶつ交換してきたりしたけど、昨日のヨガの後に、一個づつ食べてもらったら、完売になった。
隣の客は柿食う客の輪が、いっぱいひろがった感じ。渋柿を干したり、へたんところに焼酎をつけて密封させると
甘柿よりも、おいしくなる。鳥たちもよく知っていて、甘柿よりも、渋柿を熟すのを待っているみたい。
だから、先人たちは、「鳥のため」に、枯れゆく晩秋の柿の木に実をいくつか鳥のために残して冬を迎える。

そういえば、先月ラジオで「シジュウカラは、仲間同士で言葉をつかって会話をしている」という特集をやっていた。
ちっつちっつ・・とかいう地声と、ジュジュジュルジュという囀(さえずり)り、は野鳥に興味がある人ならだれでも
知っているけど、仲間に危険を知らせる時に「地面にヘビがおるばい」というのと、「上空にカラスがおるっちゃ」という
鳴き声が、別々にあるらしい。「あぶない」だけじゃないんやね。ひょっとしたら「あの女には気をつけろ」なんていう言葉
もあったりして・・・

能登にいると、天気のいい日はタコ釣りをする。二日に一匹はつれる確率になってきた。
6月から11月くらいが旬で、6か月180日、天気がいい日が120日。タコすかしという能登の伝統的な漁法でとる名人が
だいたい150匹くらいとるらしい。一日一匹ちょっと・・・・ぼくはまだ東京に半分以上いるので、もしかして、完全に移住して
タコ釣りを毎日やったら、名人級になる計算・・・トラタヌ計算。
その、たこを釣っていてわかったのだが、タコにも「言葉があるとばい」(なぜだか、すぐに九州弁になる)
ときどき、いわしの頭とか、かにとかをいれた籠を海にしずめてタコをとっている漁師がいる。
あまり知られていないけど、能登、とりわけ輪島周辺はフグの漁獲高が日本一。だから昔から、年に何人もフグ
の毒にあたって天国に召される人がいる。「あぶないばい」という警鐘言葉を無視して、「よかよか」といって食べて死ぬ人
があとをたたない。

その「海のおとり籠」を前日にしかけ、翌朝海からあげると、タコと河豚がいっしょに入っていることが多い。
その時、だいたい河豚の目がタコに食べれれて、骸骨みたいな状態のことが多い。つまり、タコは親や先輩や仲間から
「河豚を食べたらあかんよ。目だけにしちょきないよ」という言葉をもっているのだ。
にわかに信じがたいとおもうばってん、能登のタコを食べると、都会のスーパーにならぶアフリカあたりでとれるものとは、
似て非なるものだということがわかる。危険だけど、美味い河豚(目だけど)や、さざえなんかをうまく8本の足をつかって
食べているのです。能登はUFOが昔から飛来し、羽咋にはコスモアイル羽咋というUFOの博物館まである。能登のタコ
はUFOでやってきた宇宙人ではなかろうか?と思うことしきり。

これから「卵かけごはん」
メニューに「花巻」(のりのかわりに、能登の岩のりを使い、能登合鹿碗にいれてだす)
をつくった。そのために毎月、岩ノリとか海藻類を能登からもってくる。月曜の朝の味噌汁の実には
そんな海藻類も登場する機会が増えた。

脱炭素化の切り札?サロンパスみたいに、ペタッと貼るだけ・・

昨日は、織田流煎茶道のかわいらしい後輩先生が蕎麦を手繰りにきた。
生徒さんも増え、来年の新年のお茶会を二階でやりたいとのこと。
もちろんOK牧場の二つ返事。

うちでお茶会をやる時には、福岡県の星野村の玉露をつかってくれることが多い。
ぼくの大好きな星がきれいで、山紫水明どころ。「明日で地球がおわり」だという日が
きたら、そこでお茶会をしたいと思っている。10年くらい前、お花の原田先生とは、星野村でお茶とお花の会を
したことがある。

その美人先生が、柱時計の下においてある赤絵の瓶にビットがたって「これなんですか・・?」
と聞いた。昨日は、親が血圧が上がってこまっている人、とか、本人がガンになったみたいな人が
何人かカウンターに座った。ぼくは医者でもなんでもないけど、その「魔法瓶」(それにお茶をいれたら
12時間で水素茶ができる)で、水素茶を飲むことをすすめている。大半の人は「それって、オカルト商品?」
みたいな顔をするけど、わかる人は、10秒もせずに納得。美人先生は、3秒後に近くのコンビニまで小走りして
お金をおろして、「還元くん」を買っていかれた。ぼくは、家元にお茶を教えてもらったけど、こんど生まれ
てきたら、彼女みたいな美人先生に教えてもらいたい、と思う。
「還元くん」は天真庵のHPに説明されている。アマゾンとかいろんなサイトで買えるので(うちはネット販売はしてへん)
、「!」の人はどうぞ。

カウンターに座っていた近くのIなんやら学院?(コンピュータの学校)の生徒が、「天真庵はあやしい商品が多いですね」
と笑った。という本人が、先月「うめ星」をふたつ買っていかれ、「夢が違ってきた」とか「体の調子がいい」
とか・・・不思議な話をし始めている。還元くんを買うと、元気シールを一枚プレゼントしている。
その時、「その怪しげなシールはなんですか?」と聞いたので「元気シール。TQといって、花の咲くエネルギーを波動転写してんねん。
うちのシーアイでもあるばってん」というと、「そのシーアイってなんですか?」と聞く。
「おまえ、シーアイも知らないの。よう大学うかったな・・・シールを愛す のでシーアイいうんや」
と答えたら、「ふーん」と半信半疑な顔をするので、「アルファベットでCI コーポレットアイデンティティのこっちゃ」
と教えてあげると、自分のスマホをしゃかしゃか動かして、「なるほどなるほど」と納得していた。
カウンターごしのリモート学習。

そういえば先週、新車の一ケ月点検に車やさんがきて、点検おえて車をもってきた時、興奮した顔で
「Eーパワーの車より燃費がいいですね」という。車体のボディーには、大きいな元気シール
(TQ処理はされていないが)を貼っている。「元気の足形のシールを貼ると、燃費が20%以上あがるみたい」
というと「またまたそんなあやしげなこといって・・・」といいながら、「ほぼぶらじる」を飲んでいた。
小さなグラスをふたつ用意して、彼のコーヒーカップの中の珈琲をつぐ。その一つの底に「元気シール」をおく。
3秒後にそれを飲んで、その車やさんが「え~  なんでですか・・・?」と驚嘆した声をだすので、
「TQ」のことを説明。

さすがに車のエンジニアであった彼には、納得がいった様子。エンジンルームとか、ガソリン吸入口とか、
タイヤなどに、元気シールを貼ると、燃費があがるみたいだ。最近の車はエンジンをとめると、デジタル表示で燃費がでる。
これまでは、あまり説明せんかったばってん、そげな風になるみたい。燃費があがったら、油やさんは儲からんばってん、
異常な高騰のガソリンで困ってる人が多いのと、世界中がオウム返しのように「ダツタンソ」いってるような昨今、
「ペタリと貼るだけで、ガソリンの燃費や、石油ストーブのタンクあたりにペッタと貼ったり、スマホにペッタンすると、
電池の持ちもよくなる(ぼくはスマホをつかっていませんが)」みたい。

昔から「めさき1000人めくら1000人」という「わかるひとはわかる わからないひとはわからい」
世界中の人が関心ある脱炭素。半分の人が「元気シール」を買っていかれると、うちの会社は世界的な会社に
なる可能性がある?クワバラ クワバラ  だけど・・・エネルギーまわりのことをでしゃばってやっていると、
いつのまにか消された・・みたいな話がゴマンとあるので・・

今日も16時まで営業。それから「蕎麦打ち教室」 二階では「ゆるゆるヨガ」。

年越蕎麦をさくっと自分で打つ・・かっこいい もてるよ!

木曜日のお仕覆の女子たちは、かっぽれ仲間。
先生は80歳になる。サマーズの三村くんのおばさん。10年くらいやっているので、生徒のかっぽれ女子
たちも、そこそこの歳になった。この一年は、酒器のお仕覆をつくっていたため、
なんとか月に一度は顔をあわせ、近況を語ったりしながら、蕎麦をたぐり、ほぼぶらじるを
飲みながら、ちくちく運針をする楽しみがあったが、来月が最終になる。
世の中的には、忘年会はまだまだタブーな感じだけど、ささやかなお別れ会になりそうだ。

よく「夜の勉強会は始めないのですか?」とか「そろそろライブを始めるのですか?」とか
聞かれる。「いや、もうやりません」と返事をする毎日。
ピアノの近くのカフェに譲渡することになった。きっとこの町のどこかで、小さなライブやコンサート
は引き継がれていくと思う。押上天真庵の役割は、ひとつくぎりがつきそうな、そんな思いがしている。

男子のかっぽれの相方が、昨日の夕方にきた。
天真庵の煙突のようなスピーカは、相方が月に一度きて、「タイムドメインの試聴会」
なるものをやっていたころ(池袋時代から15年近く続いた会)に預かっていたもの。
昨日は、それを返した。あとはライブハウスにもおいてあるPA。それも金沢のライブハウスに・・
それらがなくなると、うちは普通の「喫茶店」になる?か?

自分で風をふかせたり、その風にふわってのっていくようなタイプではない。
知らぬ間に、「風がここちよい」くらいの気分で、その時代の流れに身をまかせてきた。
原田先生の花の会は「風興の会」といった。花鳥風月を愛でる風流人が多い会だったように思う。
原田先生も会報の編集長の武内さんも、天国へ引っ越した。ときどき、能登の梅茶翁の山を散策
していると、ふたりの声が聞こえてくることがある。先週は、楓と矢羽すすき、あとは名前をしらない花
たちをポケットに忍ばせた京都安重の花鋏で切り、久保さんの信楽の大壷に投げ入れてみた。ふたりの「まだまだ」という声がした。
「ゆとり」とは真逆の方向に世の中がすすんでいるばってん、ときどきは、風狂のような境涯になって
「夢」など語りあいながら、花を愛で美味い酒を飲みたいものだ。

今日明日はいつものように「12時から16時まで営業」
その後は「蕎麦打ち教室」  今年は自分で打ったそばを田舎にもってかえって、家族といっしょに
食べる、がまた再会できそうな雰囲気。年末の「自分で年越しそばを打つ」の予約がぽつぽつ入ってきた。
31日が混む。今年から「一時間でそばが打てる人」だけが、31日。「うーん、どうかな?」
の人は、30日か29日にシフト。

金沢カレーといえば・・

やっぱり、ゴリラの看板のあるゴーゴーカレーがいのいちばんにあがる人が多いと思う。
関係ないけど、うちの炭火珈琲は、創業以来「ほぼぶらじる」である。
もしも石川県で、喫茶店をやる日がきたら、かんばんに「ボボブラジル」を掲げようか?
などと思うことがある。往年の悪役でありながら、日本人になぜか人気が高かったプロレスラーを
知る人も少なくなってきたが・・・ネットで「ボボブラジル」を検索すると昭和の名レスラーの写真がでる。

上池袋に天真庵があったころは、みんなJR板橋駅でおりて、桜並木のある通りを歩きながらやってきた。
その板橋駅に、ある時ホテルができた。天真庵で個展をやる人で京都や金沢とかの人は、それまでは
大塚界隈のホテルに長逗留していたが、近くにホテルができたので喜んだ。
石川県発症の「アパホテル」だ。埼京線のホームにたつと、あのモナリザのような微笑みを浮かべた
社長がいつもそこにいるようになった。今は全国区になったけど、あのころはまだ「はじめり」のころ。
いきなりステーキもない時代、「いきなりモナリザ?」
泊まった人たちの話を聞くと、細部に細かな気配りがあって、「これはいけるかもなんばん」なんて思ったものだ。

このホテルには、隠れた(隠れてないな、きっと)金沢カレーがある。
その名もずばり「アパ社長カレー」という。企画担当者は、やはりゴリラマークの味を意識したらしい。
パッケージには、やはり「モナリザの微笑み」がある。CI(コーポレットアイデンティティ)の極みである。
おそるるなかれ、このカレーは700万食を達成した。ホテルのフロントに置いてあるだけで、そんなにでるものでは
ない。やっぱり開発コンセプトや営業戦略が、並外れて一流。しかも、少し肩破れでおもしろい。

昨日は、お仕覆の会やった。縫物女子たちが、酒器を包むお仕覆を一年がかりでつくっている。
お昼に蕎麦をだした後は、いつもの「徘徊散歩」。昨日は合羽橋界隈を徘徊した。
隅田川を渡り、田原町からまわる時と、浅草の六区から入っていく場合がある。昨日は田原町経由。
その道すがらに、アパホテルがある。きのうは立ち寄って「アパ社長カレーをふたつください」
といったら、係の人が手際よくだしてくれて、お会計。ひとつ390円也。その時に「よろしかったら、お部屋の番号を
教えてください」というので、「え、そんなサービスがあるのですか?」と、よこしまなスケベ根性
で話かけたら、マスクを吹き飛ばすくらいに噴出しておられた。

そのこころは
宿泊した人には、QRコードつきのカードがわたされ、そこで「口コミでホテルをほめてくれたひと」
の中で、年間100名さまに、「アパ社長カレー」5個をお送りしています、とのこと。
一個390円のカレーだけど、その中にはいろんな食材のスパイスのほかに、「これからの時代のありよう」
のヒントがいっぱいつまっている。全国の郵便局でも買えるようになっているみたい。

ちなみに、ぼくの一押しの「金沢カレー」は、西田幾多郎記念哲学館にいく時に立ち寄る
「こいのぼり食堂」。ときどき無性に食べたくなる。ここのシェフも宇宙人みたいな人である。

金沢カレーには、能登珈琲がよく似合う?

能登から能登牛すじを連れてきて、「能登牛すじカレー」と「能登牛すじそば」
なる新商品をつくったら、思いのほか人気商品になりつつある。
ぼく個人的には、一週間に一回はカレーが食べたくなる。月に一度、「ゆるゆるヨガ」
の時は、みんなの蕎麦の準備をしながら、一階でカレーを食べる。
二階でヨガっている女子たちは、「あ~ん(へんなこと想像しないでね)、カレー食べてる」とバレバレなのだが、ヨガもカレー
もインドゆかりのものだし、「よかろうもん」という感じで勝手に食べている。

呉とか横須賀あたりの港街には、「海軍さんのカレー」なるものが残っている。
海の上で暮らす海軍さんたちは、日ずけの感覚がなくなるので、毎週金曜日がカレーの日
だったみたい。昔から腹が減ったら戦にならぬ、という腹の虫を、カレーがおさえていた歴史
がうかがえる。

蕎麦屋では、昔から「そばやのカレー」とか、「カレー南蛮そば」なるものがあった。
天真庵も、山男たちに大人気のカレーのスパイスを戸隠の山小屋からお取り寄せして、「そばやのカレー」
を供してきた。もりそばを丼に入れ、その上にカレーと半熟の卵をのせるタイプ。
今日日の「つけめん」に、慣れたイクメンちゃんたちには、そっちのほうがいいかもなんばん、と、
今月から、漆の器に、能登牛すじカレーと能登のネギを刻んで、そばを別盛りにするスタイルにした。
自分的には、残ったカレーに「もち麦ごはん」をいれ、〆る、というスタイルにすると、
もっとこの時代にぴったりする感じもするばってん、なんか「ラーメン文化」におもねりすぎだと
思い、もう一歩のところでとどまっている。でも明日は休みなので、そんな実験をしたい、とか思いながら、能登牛すじを
今朝もことこと煮ておりまする。これもある意味「牛歩戦術?」

さっき、能登のココナッツミルクがきいたカレーのおいしいカフェから「炭火珈琲2kお願いします」とメール注文がきた。
能登にいる時に銀座のカフェから注文がきたり、東京にいる時に、能登のカフェや金沢のイタリアン
から注文がくる。
でも、反対になっても、「配達しない主義」ですが・・・・小生、運転はできるばってん、先天的に方向音痴
なのでござりまする。それにしても、「炭火珈琲」が大人気になってきた。
カレーそばの実験など、してる場合ではないかもなんばんカレー。

でも、「金沢カレーには能登珈琲がよく似合う」(太宰の「富士山にはぺんぺん草がよく似合う、のパクリ)も、いいな~   感謝!

月曜日の朝は卵かけごはん

いつものように、朝そばを打ち、卵かけごはんの準備をしていたら、ネットで
埼玉の病院から「炭火焙煎ほしかばい」と大量の注文が入った。
女医さん・・・

日本語は難しい

女医さん・・・「女の医者」
それが
「医者の女」になると、ニュアンスがだいぶかわってくる(笑)

昨日の新聞に「なんやら」いう力士が、「ファンに珈琲を淹れる器具をもらって、
それで毎日珈琲を淹れて飲んだら、リラックス効果満天で、4連勝」というのがあった。
「朝一杯の珈琲」という「ゆとり」が、大事なんやな~
力士だけでなく、サラリーマンといわず、オーエルといわず、自営業や学生といわず・・

明日は旗日でもありし、「よっしゃ」とやり始めたら、やっと今終わった。

これから、自分たちの朝ごはん、「卵かけごはん」を食べる。
妙高高原の道の駅で調達した「なめこ」の味噌汁。
秋味ってのは、美味いものが多い。ごはんによし、酒によし・・

今日の真民さん

「かなしみはいつも」

かなしみは
わたしを強くする根
わたしを支えている幹
わたしを美しくする花

大山の鮨の名店

昨日は、かよちゃんの生徒の「オーボエは発表会」やった。今年で10回目。

その前に、店の前にチャリンコがとまった。ときどき大山からチャリでやってくる同い年のおっさん。
岩本弘行という。ネットで、「ボクサー 岩本弘行」で検索すると、彼の唯一無二な人生
がでてくる。今は、「鮨処 いわ本」を奥様と切り盛りされていて、奥様は、うちに味噌つくりにきている。

ぼくさー、押上にくる前は、池袋でギャラリーとITの会社をやっていたっちゃん。
将来「どこかで自分のお店」を目指していたので、体力つくりのため、目白の「ヨネクラボクシングジム」
まで往復一時間半くらい歩いて、ボクサーと同じような内容トレーニングをした時期がある。
今は米倉会長が体調をくずし、ジムはなくなったばってん、その当時は、まるで明日のジョーがいた下町の 丹下ジムのモデル?
といった風情の古色蒼然たる建物の中にあった。壁には、歴代のチャンピョンたちの雄姿が飾られてあった。その中に、
ちょぼひげをはやして、日本タイトルを防衛10回の「岩本弘行」の写真があった。

ある日、トレーニングをしていたら、生いわもとが大きな声で「こんちわ」といって入ってきた。現役のボクサーたちも
畏敬の念をもって、動きを一事静止して「こんにちわ」と挨拶する。男くさい世界の大事なしきたりみたいなものだ。
お互いにまだ40ちょい才くらいで、わかかったけど、ボクサーの平均年齢からいうと、倍近く、不思議におもった
のか「現役ですか?」と聞いてくるので、「はい、もちろん、世界をめざしています」と答えた。
そして、リングで彼がミット打ちの相手をしてくれた。彼が得意だったフリッカージャブも教えてもらった。

ちょうど大山で「いわ本」を開いたばかりのころで、それからちょくちょく鮨をつまみにいくことになり、
むこうも、うちのギャラリーにきて、南條先生や若いアーティストたちとふれあってくれた。20年以上のコブシを振り合う縁。
「お店いつまでやるの?」と聞かれたので「死ぬまで」と答えたら、「おなじだ」といって笑った。
リングはかわったけど、今も輝いているナイスガイだ。

今日は日曜日。4時まで営業。

炭火焙煎の秘技を公開!

天真庵のHPに「能登で始める三日坊主の焙煎塾」という部屋をつくった。
稲刈りの前日、風が強かったので、能登の焙煎所(といっても、ただの倉庫)から「ネコ」(一輪車)に
七輪と焙煎機を積んで、母家の玄関に運び、炭火をおこし、焙煎機に生豆を入れ、般若心経をとなえながら
ガーラー ガーラー ガラソウギャーテ ・・・いいながら、生豆を供養し、昇華させる。
とても神聖な儀式。その模様を、天真庵のHPにアップした。感性のいい人は、炭火焙煎のコツを半分くらいは
飲みこめる、のでないかと思う。鮨の学校、珈琲の学校、そばの塾・・・だいたいプロになるためには、
100万円はかかる(それでプロとして喰っていけたら安い)けど、そのページの順番を家でやってみたら、
七輪と炭と手回し焙煎機(網だけなら3000円くらい)・・・一万円であなたも炭火焙煎士に・・・
焙煎する人のことを、最近世間ではロースターいうらしい。60過ぎたら老スター?

東京のテナントでは、炭火で焙煎、というのは賃貸契約の禁止事項に「やったらあかんばい」と書いて
あると思うけど、地方ではOK牧場の場所も多いと思う。薪ストーブ、とかペレットストーブなんかの「火」
が見えるのは、珈琲をうまくする演出としては最高峰にあると思う。そこで少し昔の、レコードかアナログ録音風のCD
で、バッハとかモーツァルトとか、ときには中島みゆきや島倉千恵子なんかを聴けたらいいね。

昔から、脱サラする時に「喫茶店でも・・・」というように、誰でもすぐ思い付きやり始める職でもある。
最近は、喫茶店がカフェという名前になり、もう一段軽く、けんけんでもするように、始める人も多くなった。
清澄白河ほどでもないばってん、ここ押上界隈も、スカイツリーという細い男根みたいなものができてからこっち、
雨後の筍のごた、いっぱいカフェができては、消えていく。浮世の無常のような様相だ。

まだいったことないばてん、同じ村で生まれた王子がつくった銀座の隕石カフェから、炭火焙煎の注文が
きた。銀座3丁目の住所を書いて、昨日発送した。
そこでは、久保さんの「能登ジェラトン(隕石粉いりセラミック)の珈琲カップで、天真庵の老スターが
炭火で焼いたせんべい、もとい珈琲が飲める。いっぱい770円なり。

今日明日は土曜日曜の時間割なので12時から16時まで営業。
その後は、「蕎麦打ち教室」  今日は「かよちゃんの弟子の音楽発表会」

風呂にマスクをつけて入ると?

稲刈りした夜は、お酒のメートルもあがったこともあり、ゆっくり深い眠りにつつまれ、
朝6時の「さざえさん」が気が付かなかった。
縄文時代の後期に、日本に稲作が伝わってけらこっち、みんなで協力しながら、米を
つくってきた歴史の末席に座ることができたばい、と思ってすがすがしい朝を迎えた。

帰る日の道順はきまっていて、ナビに「自宅」といれるだけ・・・あとはナビなしでいけるようになった。

七尾にある「藤瀬の霊水」を汲みにいく。この霊水をつかって、蕎麦・珈琲・お茶を淹れる
と、まったくベツモンになる。天真庵では、そうしている。「霊水公園」になっていて、直売所のじいちゃんに500円払って、
水を汲む。人が多いときは、タンク5本まで、というのがルール。
いつも平日の朝早くにいくので、10Lタンク5本と、少し(帰りの車で飲むぶん)を汲んで、
そこの直売所で野菜を調達。近所のおばあちゃんたちがつくる能登ネギが美味い。
「能登牛すじそば」や「能登牛すじカレーそば」なる華麗なそばの薬味は、地味だけど、滋味豊かな能登ねぎ
を使う。

その後は能登島の「みず」にいって朝食。千寿荘という不思議な水素水が出る民宿の家族で
経営している。(身内に重大な病気をかかえている人、一度、藤瀬の霊水とか千寿荘の水をためすといいよ)
その水に感謝して、食堂の名前が「みず」。あなどるなかれ、の名店。
いつもだいたい「焼き魚定食」(880)を食べる。焼ける間に、おまけの3皿のお惣菜を
食べていると、デーンと大きなブリのカマがやってくる。ふくらぎ、がんど、ぶり、と出世途中の
ぶりのカマ。昨日は「ほぼぶり」のような感じ。東京で食べたら、これだけで1000円はいく。しかも養殖もんがほとんど。

その後は「総湯」。加賀屋など、和倉温泉の元湯。原油価格は高くなる一方やけど、ここは480円。
まだお昼前だけど、コロナもだいぶおさまってきたので、観光客が増えてきた。
駐車場に車をとめたら、大学生4人がタクシーを貸し切りにして、隣に座った。

袖ふる縁じゃなかばってん、旅は道ずれ・・大学生と温泉に・・・
受付で温度をはかる。ぼくが36・7度。残りの大学生は、それより少し低い。
「ははあ、ぼくが一番」みたいに、精神レベルが少年気分で、脱衣場へ。いつものように静かに
クラシック音楽がなっている。

ヨコで脱いでる大学生たちが、パンツを脱ぐだんかいで、タオルを腰にまいて、片手でパンツを
おろしている。4人とも・・・
まるで「全裸になる作法」みたいな科目が、彼らの学校にあるのかしらん?
と思っていると、ひとりが「マスクはつけて入るのですか?」と上にマスク、下に白いタオルをまいて、
真顔で聞いてきた。変態の変形ビキニスタイル?みたいな奇妙キテレツ姿。
「ここは、ぜんぶ脱ぐと」といって、下のタオルをがばっととってやった。
5人で露天風呂につかる。いつもは、じいちゃんたちのご用達みたいな風呂に大学生。ワカモノの裸は若々しい。
そんな趣味ないけど、おしりだって、ラフ(裸婦)みたいにキレイだ。
なんてこと思っていたら、BJMのクラシックピアノが、ラフ(裸婦)マニノフになっていた。感謝。