本当の豊かさを。移住と、里山ライフのカルチャーマガジン

そんな雑誌が創刊された。「Soil mag」(ソイルマグ)。
創刊の特集は「耕す暮らし」の創りかた。自分らしく紡ぐ、農的暮らしと自給自足のヒント。

10年前の311で、「安全な暮らし」を求めて、地方に移住するムーブメントが大きく動いた。
九州でも能登でも、そのタイミングの移住人組があまたいる。そして、長引くシンコロ自粛生活のおかげで
地方で生活しようという動きが加速しているように思う。
時代がいろいろ大変化している時なので、「えいや!」で移住するのではなく、最初は週末援農とか
ベランダに野菜の種を蒔く、でもいいと思う。

今回の特集に「半農半X研究所」の塩見直紀さんも大きく紹介されている。
著者は「おおもと」の聖地・京都綾部生まれ。2003年、日経新聞に大きく紹介され、「半農半Xという生き方」
を著し、移住をめざす人たちのバイブルみたいになり、綾部への移住が増えた。
天真庵が押上に結ばれてすぐの時、塩見さんがひょこっとカウンターに座って蕎麦を手繰りながら談論風発したことがある。
まさか、彼に洗脳されたわけではないけど、能登と東京の二股暮らしが始まり、田んぼや畑で「耕す暮らし」
が始まった。ぼくにとってのXは、「蕎麦打ち」とか「炭火焙煎」とかなんかがあてはまる。
Xはなりわいをたてる職業ではない。名刺(職業)というより動詞(つなげたい)というイメージらしい。
ぼくの場合は「蛸を釣る」にあたるか。

昨日は土曜日。「働きかた改革」みたいな感じで、この集落の人たちは、伝馬船で釣りをしない、潜って漁をしない、
釣をしない日。玄界灘の地島(じのしま)の人たちが、海を汚さないように、合成洗剤を禁止しながら生活する、
と同じように「生き方」と「環境」を考慮した結果の取り決めだ。各地に広がればいい。能登の美しい海にふれあいながらもそう思う。
朝散歩していても、伝馬船の音はなく、かもめやイソヒヨドリや、ときどき雉(きじ)がガラガラ声をだしながら
羽を一生懸命ばたつかせながら飛ぶ音しかしない。神社にお参りをしようとゆっくり歩いていると、漁師が
自宅の柿の木から柿を2個もぎり、無言で一個「食え」みたいに手渡された。
ふたりで、柿を喰いながらの男の井戸端会議。
釣の話、畑の話、能登地震の話・・・。彼の舟には「なんやら丸」というのがペンキで
かかれている。漢字は違うけど、うちの筆子さんと同じ名前だ。
「奥さんの名前?」と聞くと「な~んも」(違う、という能登弁)という。小指をたてて「昔の・・?」
と聞くと、柿の種を飛ばしながら噴出した。横の畑で、奥さんも笑っている。

彼は今年70歳になった。畑をやり漁をする。「半農半漁」という能登に暮らす人たちの典型。
夜はガソリンスタンドでアルバイト。年金があるため、月に15万以上の収入があると税金が高くなるので、
ゆっくりとセルフのスタンドで、お店番(自販機に紙幣がつまる そんなことがときどきあるらしい)
をやって10万ほど稼ぐらしい。「たったの10万だけど、ここでは、これで二人の生活費がまかなえ、
孫の小遣いになったり、釣り具を買ったり、ときどきカラオケや趣味のボーリングにいったりして、年金には
一円も手をつけない」と笑っていた。

ときどき蛸釣りをやっていると、なんとか丸の上で「ちょっとまってろ」なんて声がかかる。
それは「大漁」のあかしだ。伝馬船を陸にあげる手伝いをすると、アオリイカだったり、ふくらぎやがんど
というブリの出生前の若魚なんかのお裾分けがあったりする。
3年前、移住し始めのころは「ゆたかだな」と思った。そして3年後の今でもより「ゆたかだな」
と思うようになった。時代の性もあるだろう。こちらの寄る年波の性でもあるだろう。
でも若い人たちほど「これから」を模索し、何かXを始める、そんな時代がきたかな、とも思う。
な~んもあせることはない。ゆっくりできることから始めればいい。

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