能登暮らし 一日目

日曜日。新しい車は間に合わず、日産の人が、白いセレナを代車に、と
もってきてくれた。南條先生の寒山拾得の屏風を九州の実家にもっていく時
にも、セレナで運んだことがあるので、OK牧場だ。
佐久平で仮眠。3列あるシートの真ん中を後ろに下げ、運転席の枕をとって、倒したら
けっこう並行になる。車中泊がはやっていて、この車の人気があるのがよくわかった。
「まくら」をとる、のがポイント・・・そこまでけっこう時間がかかったのやと思う。

いつものように「すしのや」ですしをつまんで、温泉にいく。新聞を読んでいて柳家小三治さん
の訃報を知る。彼こそ「まくらの小三治」といわれた名人。

池袋に住んでいるころ、毎週一二度のように目白にあった「ヨネクラボクシングジム」に通っていた。
明治通りをまっつぐ新宿のほうに歩く。池袋の雑踏を抜け、200mくらいいったところに、歩道橋がある。
小さな薬局の前を右折して、住宅街をてくてく歩いていくと、そこにジムがあった。山の手線の電車の窓
から、かわいいボクサーがグローブをした人形が飾ってあるのが見えた。柴田国明さん、ガッツ石松さんら
世界チャンピョンを5名。大山のすしや「いわもと」の岩本さんなど、日本チャンピオンもたくさん輩出した名門ジム。

ぼくは、練習が終わった後、同じ道を通って家に帰った。帰り道に、小さな喫茶店に立ち寄った。
ガチンコのボクサーたちには悪いが、ぼくは汗を流した後、その店の二人掛けのテーブルで「なんやら」(普段は黒ラベルが好きだが、その店にはそれしかなかった)いう小さなビンに入ったビールを飲むのがならわしだった。その店は、繁華街(目白・池袋)から少し離れているので、
いつもゆっくりできて、「こんな特別な場所、つまり家でも職場でもない、イドコロがあるから、東京はいいな」
と思う喫茶店だった。これまで誰にも紹介していない(笑)
たぶん、彼もそうだと思う。その店のカウンターには、よく小三治師匠がひとりでとまっておられ、お店のママさん
と談論風発しながら、おいしそうに珈琲を飲んでおられた。いつしか、その店であうと、頭をちょこんと下げ、
「まくら」がわりの挨拶をするようになった。もう20年も前の話だけど・・
何度か寄席や独演会で、名人芸を聞いたことがある。
最後にきいた「小言念仏」の、間、のうまさには、国宝を超えた技みたいなものを感じた。
あんな素敵な念仏を聞けたら、天国の人たちも寂しくあるまい。鎮魂。

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