諫早

「いさはや」と読む。長崎県にある。
昨日は、諫早出身のあらかん(もうすぐ還暦)のそばもんが、そばを打ちに来た。
四半世紀以上続いた「論語の会」(順受の会)の幹事をやってくれた清水さんも
諫早出身。諫早高校の出身である。昨年の夏、雲仙で蕎麦会をやった時、そばを手繰り
にきてくれた。同じ高校の先輩に、芥川賞作家の野呂邦暢 (のろくにのぶ)さんがいた。

プロフィール (1937~1980)本名納所邦暢。諫早高校卒、小説家。昭和40年の『ある男の故郷』が文学界新人賞となった。昭和30年代の自衛隊員の日常を描いた『草のつるぎ』で、昭和48年第70回芥川賞を森敦の『月山』とともに受賞。生活や感情の起伏を詳細に描写する作品を描いた。向田邦子は「諫早菖蒲日記」「落城記」等の野呂邦暢の時代小説が大好きで、人柄も敬愛していた。

諫早のそばもんが、久しぶりに故郷に帰る、というので、「落城記」を貸した。
秀吉が朝鮮に出兵するとき、諫早の殿様は、逆らって出兵を拒否したので、佐賀藩の大軍に滅ぼされる
運命にあった。城主の娘が「わたし」という主人公で、逃げれば逃げれる立場にありながら、城とともに
する、そんな物語。歴史もの、というのは、一般に勝ったものが、勝手に事実をねつ造してつくられたげな話が
おおかけん、あまりすきになれず、大河ドラマも歴史小説も、歴史の教科書もほとんど読んだことがなく、
大学受験には苦戦したばってん、この「落城記」は、籠城する時のごはんの準備とか、水や塩のたくわえかた、
とか、いよいよ敵がせめてくる前の晩に、足軽と女中たちが、真っ暗な倉庫の中で、襷やら着物をぬいで、
最後の綾瀬を楽しむ描写とか・・・さもありなん、という人間描写がおもしろおかしく綴られていて、おもしろかった。

最近も人気が沸騰している向田邦子さんが、「彼の作品をぜんぶドラマ化したい」と言わしめたほど。
「落城記」は「わが愛の城」やったか、名前を変えて映画化されたが、向田さんは飛行機事故で
放映は見れなかったらしい。これが遺作になった。野呂さんも若くして旅立たれたので、あまり世間に知られていない。
あまりにおもしろいので、野呂作品をネットで注文して、能登の本箱にいっぱい詰めて、いくたんびに、
酒を片手に読んでいる。「読書の秋」にしては、秋らしきものは、一瞬に去った感がある。
人生も短い。今日投票を済ませたら、古本屋かネットで、「野呂邦暢さん」の本を注文して
読むのは如何?のろのろしていると、あっという間に人生が「おわり」になるばい。ほんなこつ・・感謝。

♪メタ(右手・ほんとはメテ)に血刀 ユンテ(左手)に手綱 馬上ゆたかな美少年・・田原坂

今朝も豆腐屋さんみたいに早く起き、近くのコンビニで新聞を買って、
炭をおこす間に、新聞に目を通す。
能登10日、東京20の「二股暮らし」なので、新聞は契約していない。
だから毎朝、朝刊太郎になった気分で新聞を買いにいく。
一面に、アメリカのなんやらいう会社がイメージチェンジのために、
「メタ」になるとの記事。

銀座にある「隕石直売所」の隕石ボールみたいやと思った。
直売所のHPをのぞいて、名前を確かめてみると、「メテミック」やった。
横文字はおぼえにくい。ちなみに、「メテミック」で検索すると、
「隕石不思議玉」の写真と、それを使うと、どげなことになるっちゃ、
みたいなことが詳しく書いてある。
製造元は、うちで、天真庵では「うめ星」という名前で販売している。
能登でとってくるモノホンの「梅干し」も販売しているので、お客さんが
「ウメボシください」というと、つい「何グラムですか?」と聞いてしまう。

昔、カラオケ(カラオケボックスではなく、スナック)にいくと、「田原坂」をうたった。途中から、カラオケから田原坂が
なくなったので、坂をころげるように、カラオケにはいかなくなった。
歌ううたがなくなった、というより、センズリかくように、マイクをはなさないような輩が増え、ついついセンズリ歌手に向かって
「お前の下手な唄を聞くためにこの店にきたわけじゃない」と、言ってしまう癖があったので、自分のほうからカラオケのあるお店にいかなくなった。

炭火珈琲をやるようになって、業界の人たちも、興味ありげに炭火珈琲を飲みにこられる
人が増えた。木曜日は、能登でタコ釣りの糸が下手ってきたので、錦糸町の「すみだ珈琲」
に立ち寄って、「これ飲んでみて」と、午前中に焙煎した炭火珈琲豆と能登の霊水を渡した。
お世辞がいえるような男じゃないけど「美味しかった」とメールがきた。

昨日はニューヨークでカフェをやっていた青年が、日本に帰ってきてカフェをつくる準備中だと
いうことで、炭火珈琲を飲んでいかれた。
新米みたいな珈琲豆がニュークロップとかいわれたり、反対がエージングとかいわれたりするようになった。
特別美味しいと思ったことがないばってん、「うちはスペシャル珈琲しかあつかってません」
みたいなお店も増えた。モカとか、デカマラ、もといガテマラのみを淹れたりするのを「シングルオリジン」
とかいう。どこかの弁当やみたいだ。きわめつけは「ラテ」。昔から銭湯で湯上りにゆんて(左手)を腰に
あてて飲んでいた「珈琲牛乳」が横滑りしたような名前。

明日は選挙。立候補している人たちは、田原坂みたいな心境かも。
人生には、「上り坂」と「下り坂」と「まさかの坂」があるらしい。
前のふたつの坂は、努力とか運とかで、なんとかなる坂。今は「まさかの坂」だ。
まさかの坂を乗り切るためには、「人間力」とか「普段のおこない」とかが大きく作用するらしい。
わたくしたち有権者もボーとしていないで、投票にいきましょうね。
ちなみに小生は、石川県人になったけん、先週期日前投票にいってきたまえぶね。感謝。

能登牛すじシリーズが大好評!

水曜日は、お仕覆(しふく)のお稽古。一年かけて、熱燗つけ器を
持ち運ぶきんちゃく袋みたいなんをつくっている。
午後一時から始まるのだが、希望があれば「そば」をだす。
「新しい能登牛すじそばを食べてみた~い ボリボリ」といわれ、希望をかなえた。
ひとりはネギがきらいなのだが、なかば強制的にネギを入れる。薬味、
というのは読んで字のごとく、薬になる。しかもそばとネギは、カモネギ
以上にいっしょに食べると、薬事法に抵触するくらいに、体にいい。

その後、「弟子にしてください」と近所に住む若者が訪ねてきた。「ハチコー出身」
、前の都知事のなんやらいうおっさんの後輩にあたる。福岡県立「八幡高校」。
まだ二人分残っていたので、「能登牛すじそば」をぺろっと食べ、「これ北九州で
だすと、大行列になりますね」と笑った。「やっぱり北九州は、皿うどんやない」と返す。

3時に亀戸駅でまったいと待ち合わせ。彼も末松くんと同じく、小学校時代からの親友。
ハチコーではなく「東筑」という高倉健さんの母校が出身校だ。末松くんは「スエクン」、
松崎くんが「まったい」、ぼくが「のんちん」。半世紀以上たってもそう呼び合う。
「亀戸餃子というのを一度食べてみたい」と一年以上前から所望されていて、やっと実現。
前日メールで、「はやく着いたら、界隈を散策(徘徊?)して楽しんで・・」
とおくった。2時ころメールがきて「もう着いたので、界隈を散策中・・・」とメール。
さすが、せっかち、というか老人性我が道病?みたいな感じもするが、「友の遠方より来る、
まったいうれしかずや」、で、お店の前からタクを拾って亀戸駅まで・・・

車の中でメールがまたきて「今、亀戸天神」とのことなので、運ちゃんに「ここで・・・」
といって亀戸天神の裏門で降り、500円に満たない距離になったので、「おつりは、500円でいいです」
といって、降りた。携帯で「どこ?」と電話すると、「もう亀戸餃子についた!」とのこと。
なんとなく、ちぐはぐな感じがしたが、要するに、ふたりのメールを打つはやさが、遅すぎるのだ。
しかも彼は大きな会社(あまり関係ないけど)のなんにも専務なのに、今だに「ガラケー」なのだ。
自慢じゃないが、ぼくは小さな会社のなにもできない社長(これまた関係ないけど)だけど、やはりガラケー同志。
進化論の法則を持ちだすまでもなく、時代の進化に取り残されたようなガラパゴスの種なのだ。

代々木に会社があった昭和と平成の境目くらいのころ、新宿駅南口で、まったいと待ち合わせをしたことがある。
まだ携帯がない時代だ。時間前には必ず(そのころは、約束の一時間前にくるほど、暇じゃなかった)くるのに、
仕事がおしていたらしく、ぼくの会社に電話がきて「10分ほど遅れるので、ノンチンに伝えてほしい」とのこと。
もうすでに新宿南口に着いていたら、後ろから息をハーハーきらせながら、弊社の社員が走ってきた。
「なにごと?」かと思ったら、相撲の関取のインタビューのように、声をつまらせながら「松崎さんが、
10分おくれるそうです」とのこと。マンガ、みたいなお話。ある意味、いい時代でもある。
ともあれ、禁酒令も解かれ、東京の夜も、またいい感じの「癒し場」に灯りがともるようになった。
平和な時間も、人生もまことに短い。このまま平穏な時間が続きますように・・・

衆議院選挙みんなで投票にいきましょうね!

4年ぶりの選挙やけど、あまり盛り上がっていない様子。
今朝の新聞には、「自民党過半数維持か・・」みたいな予想が。
競馬の予想のように、はずれてほしい、なんてこと思いながら
読んでみた。どこが勝っても、変わらない、という諦めムードが蔓延防止の塀を乗り越えているのか?
毎日、立候補者の人たちの顔やら履歴書みたいなものが紹介されている。
昔から政治家は「井戸塀」といわれた。国民のために働き、結局は井戸と塀しか残らず、死んでいく。
今日日の政治家は私腹を肥やし、「今だけ」「自分だけ」「金だけ」みたいな輩ばかりで辟易する。

東京19区には、竹馬の友、小学校時代まだ毛もはえそろってないころから遊び、
寺子屋みたいな塾で机を並べて学んだ「末松義規くん」の戦場だ。
大学卒業後、外交官として世界を駆け巡っていた。ある日、赤坂の料理屋で酒を
酌み交わしていた時、「おれ、政治家になる」と真顔でのたまう。
そのころよく「九州気骨の会」という少し野蛮で無鉄砲な会があったのだが、
そのメンバーたちも、彼の初めての選挙を背中を押すように全力で応援した。
ぼくが代表を務めた「ねっと21」というチンピラIT企業が120社
ほど集まる団体も、彼を影日向から応援した。以来、国のため尽力してくれている。

ほとんどの政治家が、世襲制みたいな前近代化の法則で、二世三世ばかりで、
「気骨」のある魅力的な人物が見つけにくい中で、地盤も看板も、コネもなく
田舎の野道の一本杉のように、孤高に生きている姿は、友達として誇りに思うことしばし。
年に一度くらいは、小中時代からいっしょに卓球したり、演劇したりする仲間と集まり
飲む会も続いている。彼が発信するメルマガも、「今ここ」をつかむのに、大変勉強になる。
選挙区以外の人、支持する政党とは違う人、政治に関係のない人も、一度読んでみてほしい。
もちろん無料配信。一定期限が過ぎたら有料、みたいな近ごろ流行りのケチなビジネスモデルでは
ない。誰のためでもない、自分たちのために、もっとちゃんとした国にしたいものです。感謝。

能登牛すじ蕎麦と能登の花巻

急に寒くなった。炭火をおこすと、入ってきたお客さまが
「あ~ 炭火」と感激してくださる。ときどき若い人が「これなんですか?」
ととんちんかんな質問をする。平成生まれの人の中には、生まれてからこっち、炭火をみたことない人が
いるみたいだ。ソロキャンプが大人気みたいだけど、そのうちモバイルバッテリーの
性能があがってくると、山奥で蓄電池にコンセントをさして、レンジでチンしながら、調理を
するのが普通になったりして・・・・

こないだ能登の蕎麦屋でそばを手繰っていたら、近くの有名な「能登牛専門店」の社長さんと隣り合わせ
になって、不思議な縁を感じた。いつも遠くで蕎麦会をやなどや、東京から能登へいく車の中には
「YETI」のクーラーにペットボトルの中に、そばつゆ、水素茶、パラダイス酵母、アイスコーヒー
などを入れ、シマノという釣り具用のクーラーに食材をいっぱい詰め込んでいく。
帰りは、釣った魚を切り身にして冷凍したものや、季節によっては、さざえや海藻などを
いれて東京に向かう。今回は柿がいっぱいとれたので、常温で梅などを入れる収穫籠に入れ、
クーラーふたつは、けっこう空き空間があったので、少し高かったけど、えいや、と
いって(そんな気分で)、能登牛のすじを買って、クーラーに入れてもってきた。

それを、柚子胡椒つくりで残った柚子をしぼり、お湯にくぐらせ、さっと洗い、
大き目の鍋いっぱいに水をいれ、能登の椎茸、友達にもろうた生姜、ニンニク、能登ねぎ、
塩、酒、などを適宜入れて、「とろとろ牛すじ」をつくった。
いつもは、おでんにしたり、大根といっしょに炊いたりする。
3時間ほど煮たら、とろとろになった。ぬすみぐい(普通は、味見というけど、高級な筋肉をパクリとやった瞬間、
泥棒になった気分がした)してみたら、筆舌を超えた味になった。

ちょうど、暖簾も冬用にかえ、メニューも冬限定の「とんさま」を復活させる季節なので、思い切って、
えいや(これも気分)で、「能登牛すじそば」と「能登牛すじカレーそば」のメニューをつくった。
土曜・日曜日は、3割くらいの人が、それらを注文してくれた。
昨日は「ゆるゆるそば」、もとい「ゆるゆるヨガ」を二階でやった。
ヨガの時間は、下で蕎麦の準備をしながら、ヨガにあう音楽をかけ、カレーを食べるのがならわし。
昨日は、もち麦ごはんに、カレー、その上にとろとろの能登牛すじをのせた。

学生だったころ、京都木屋町に「いんであん」というカレーやさんがあった。
鳥ガラ、豚骨、野菜をベースにしたカレー。大皿にごはんを盛り、カレーをのせ、
そのカレーの上に牛肉がコロンとのっていた。王将の餃子や、天下一品で、空腹を
満たす学生には、ちょっと贅沢なカレーやった。50年続いたけど、こないだ緞帳を下げた。
そんなことを思い出しながら「いんであん風・能登牛すじカレー」を喰っていたら
、上から「腹へった」という声あり声がした。

これから「卵かけごはん」。能登からもってきた食材たちが味噌汁の実に入る。
新しいメニューに「花巻」も登場する。江戸のそばの定番だった。
蓋つきの器に、温かい汁そばを入れ、その上に海苔を散らす。
お客さんが、蓋をとった瞬間に礒の香りがプーンと香る、そんな粋なそばだ。
能登の作家ものの合鹿碗(ごうろくわん)という漆の蓋つき碗に、温かいそばを入れ、能登の岩ノリをちらし、
蓋をして供する。贅沢なそば。彼の合鹿碗は、ニューヨークやパリで、ランチで3万円クラスのお店
でよく使われている、そうだ。無論いったことはない。うちの「花巻そば」は1050円也。

素敵なピアノ発表会

昨日は、かよちゃんの教室の生徒さんたちの発表会だった。
もう10回目になる。かよちゃんが天真庵が押上に結ばれた2007年にベルギーの音楽武者修行から帰国し、近所に越してきたタイミングで
、珈琲を飲みにきた。その時に大阪弁で、「ここでコンサートやれへんかな?」
と聞かれ、「ええで」と答えた。
「チーズケーキセットつき、バロック音楽会」をやったのが、天真庵の音楽部門のはじまりはじまり、だ。
まだピアノがなかったので、チャエンバロの持ち込みでやった。

2008年4月に、親友のワカこと当時BCNの専務だった吉若徹さん
が「1年もったら、ジャズライブをプレゼントする」
という約束を履行するがごとく、ジャズピアニストの荒武くんが、電子ピアノを持ち込みで演奏してくれた。
そんなことをしていたら、近所に住む常連さんが「母が使っていたピアノがあるのですが、使ってくれませんか?」
ということになり、昭和35年生まれのカイザーがやってきた。それからこっち、ジャズやクラシック、邦楽・・・
いろんなジャンルのミュージシャンたちが集まってきて、いろんな舞台として七変化してきた。
ワカもずっとライブを聴きにきてくれていたが、10年ほど前に56歳で旅立った。
「還暦になったら熊本にもどってログハウスで蕎麦屋をやる」と口癖で、亡くなる直前まで体調がいい時
は、蕎麦打ちにきていた。

昨日の発表会の人の半分が、小学校一年生。ピカピカの一年生が、おめかしをして、ちゃんとお客さん(みんなの家族)
に頭を下げて、ひごろの成果を発表した。リハーサルでは、すこしおぼつかぬところがあったものの、本番では
みなみごとに、もち曲を上手に演奏して、拍手喝さいをうけていた。
大人みたいに「うまくきさせたい」とかいう邪心がないのが、いい。

ピアノは、土間に直接おいてある。そこには311の時にできた(その前から少しはあった)ヒビがあり、
ひとりのこが「天真庵はあと7年こわれませんか?」と、これまた邪心もなく大きな声で質問した。
お母さんが「〇ちゃん・・なんてこというの」と狼狽したが、筆子さんがすかさず「建物も人生も、おわりがあるのよ・・7年後は
建物は残っていてもおばちゃんたちが続けられるかはちょっと微妙かもね」と答えたら、小学校4年になるRちゃんが
「え・・じゃ私たちの発表会はどこでするの?」と泣きそうな顔で質問された。
その時は、押上文庫が発表会の会場になるような気がする。でも文庫ちゃんも青山の骨董屋で出会ったころは音大生だったが、
今はいいおっさんになり、どちらがどうだか?というくらい骨董をいじる姿そのものが骨董になりつつある今日このごろ。感謝。

今日は16時まで。それから蕎麦打ち教室。その後は「ゆるゆるヨガ」
昨年7月に雲仙で蕎麦会をやった。その時、なつき君の弟子、ということは、孫弟子にあたる
ジュンペイ君が熱心にぼくの蕎麦打ちを見ていたのが印象的やった。その彼が店舗はもたないけど、
プロのそばもんデビューをはたした。名前が「ボヘミ庵」。大化けしそうな予感がする。感謝。

ノマド焙煎士が使う世界初移動式焙煎機

今日で中越大地震から17年目、というラジオのニュースが流れた。
17年前のその日その時間、新潟と群馬の境のキャンプ場で、蕎麦会をしていた。
キノコをとり、それを天ぷらにする人、卵焼きを焼く人、そばに使う水を小川に
汲みにいくひと、火をおこす枯れ木を集めに行く人、みんなで分担して夕餉のしたく。
今どき流行りのソロキャンプなるものとは、趣が真逆の「みんなで共に楽しむキャンプ」

そのころは、九州や京都あたりでよく「出張蕎麦会」をやっていた。コロナで今年は
やらなかったが、島原でも毎年のようにやっている。

先月、能登で「炭火焙煎」をしてみたら、やたら美味しくて、それから炭火で
焙煎をするようになった。名刺にも「旅する炭火焙煎士」(いったものがち?)と、
金色文字にして、新しいのをつくった。

ぼくのHPの「ホボブラジルを自宅で飲む」みたいな部屋がある。
そこに先週、能登で焙煎した風景をアップした。世界初のノマド焙煎機?
だ。

昨日は朝から、炭火で焙煎をし、松濤美術館の「白井晟一展」にいってきた。
昨日は特別招待日だったのだが、少し時間があって、近くをブラブラ徘徊していたら、
3人くらいの人に「松濤美術館はどこでしょうか?」と聞かれた。
世界的な建築家の白井晟一さんを知る人が少ない。渋谷に湧き水がでて、松の葉で
湯をわかし、茶を淹れる・・・という意味から命名された「松濤」にある、
日本を代表するような美術館が、猥雑な街の中にひっそり佇んでいる。
神泉あたりのラブホにいく予定の人は、どうぞその足で松濤美術館にいってみてください。

今日は16時まで。その後は、「ピアノの発表会」

渋柿を収穫 渋柿は干し柿にすると、甘い柿より美味いね!

能登の家には、柿の木がある。甘柿。ここ志賀町は「ころ柿」で知られる。
毎日収穫して、ひとつふたつ食べる。
隣の家との間に、渋柿がある。熟した渋柿を食べると、
渋柿のほうが美味い。また熟していなくても、蔕(へた)を焼酎につけ、
入れ物に並べて、ビニールをかけの三密にすると、「これ渋柿?」
というベツモノの味になる。

昨日、となりのひとが「明日明後日と大雨になるので、今日渋柿を収穫して東京
にもって帰って」と、籠とはさみ(高い木の果実を挟んできる)を用意してくれた。
うちにも栗の木と柿の木の木があるので、収穫の籠とはさみは倉庫に入っているけど、
せっかくのご厚意なので、それを借りて収穫。
熟した柿は、縄文人のように、その場で立ち食い。立ち食い柿。

最近百姓を始めた友達から、無農薬の生姜が届いた。明日の朝、東京に
向けて出発するので、今日は筆子さんが「ガリ」を作っている。
「佐賀のがばいじいちゃん」が月に一度すし会をやってくれてからこっち、毎年つくっている。
じいちゃんが天国にいって3年。ときどき、すし会をやる時に使ったり、カレーをする時に、
福神漬けのかわりにガリを使ったりする。

お返しに能登で焙煎した「炭火珈琲」をおくったら電話がかかってきた。
「せっかくの炭火珈琲なので、石臼はないけど、セラミックのすり鉢と棒(そんなものが世の中にあること知らなんだ)
で豆を削って飲んだら、天真庵の珈琲より美味しかった」とのこと(笑)
能登の海べりで炭火焙煎をするようになって、確かに珈琲の味が格段に進化しているように思う。
「これからの珈琲時間」にぴったりの珈琲カップと、ドリッパー、サーバーの新作もできた、と久保さん
から電話がきた。
いいもんは、古いも新しいもない。これからの時代は、そんなホンモノが活躍する時代ではなかろうか・・

急遽、今晩三輪福さんがやってくる。お互いにスローライフをやるつもりで、能登で生活しているが、
彼女が考案したアイピローや不思議グッズが、時代を迎えたのか、思いのほか注文がきて、みな手作業でやっているので、
おっつかない。うれしい悲鳴ではありまするが、「これからどうする会議」を、タコ鍋でもつつきながら、やる予定。感謝。

夏から急に冬きたる?寒い!

一昨日、囲炉裏に炭を入れた。先週くる時は、タコの絵が描かれた半袖のTシャツ
ですんだのに、下着をふくむ3枚の長袖で、炭火と夜は石油ストーブもたき、遊穂の「あお」
とかの地酒を冷やして飲んでいたのを、竹葉の燗酒を鉄瓶の中に錫のチロリを浮かべて飲んだ。
能登の冬、とくに外浦といわれるぼくが住んでいる側の冬は厳しい。でもこんな晩酌のひと時の一献は、
人と比べる必要もない、唯一無二の「今ここ」の至福時間。

三輪福さんちのは、珪藻土の「かまど」が入った、とメールがきた。うちも土間で出番を待っている。
梅茶翁は昨年から薪ストーブが入り、薪割りを冬支度の必須な仕事にしている。あの火をみながら夜を過ごす、
という贅も、一度体験したい、と密かに思っているけど・・ハンディを反対に、長所にかえる。また楽しからずや!

よく冬に「三寒四温」(さんかんしおん)なんていう言い方をした。 冬に寒い日が3日続くと、そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように7日周期で寒暖が繰り返される現象・・・昔教科書にそんな風に書いてあったと思う。異常気象というのは、四季がなくなる、に限りなく近い現象のことをゆうらしいが、四季もなくなりつつあり、都会では季語らしき情緒的な移り変わりも少なくなりつつある。
まさか、四年ぶりの選挙に「季」を感ずる、なんてナンセンスだと思う。でも、大きな分水嶺みたいな選挙になりそ。

昨日も炭火で焙煎をした。海風が強くて、釣り用のジャンパーを着てやった。ハゼるまで、けっこう時間があるので、
右手で焙煎機のハンドル、左手で電話、陶芸家の久保さんと新作の珈琲カップ・ドリッパーなどの打ち合わせ、馬上ゆたかな美少年(田原坂のリズム・古い?)で、のんびり焙煎。珠洲の大野製炭所の切り炭と、備長炭を組み合わせてやってみた。陶芸家の仕事もそうだけど、「火」の扱い方が
作品(ぼくの場合は珈琲)の出来不出来を左右する。今日の夕方あたりから、雨になるみたい。
金沢のイタリアンから注文がきたので、これからまた、移動式の焙煎機を海まではこび、ガラガラと焙煎。
お客さんもガラガラ、いや誰もこないけど(今回は美人のジャズウーマンのみ)、けっこう忙しい毎日。

明日はひがな一日☔。ぶり起こしの稲妻がやってきそうだ。
明後日の朝、東京へ出発。充実した「二股暮らし」(世間ではデュアルライフ、なんてハイカラな言い方をするらしい)。感謝。

タコ鍋をつつく

ずっと、以前からジャズの国貞雅子が「能登で紹介したい女子がいる。すごくきれいな人」
と、酔うたびにあつく語っていた女(ひと)から電話があって、約束の時間に近くの
「棚田ビュースポット」で待ち合わせ。

「黒い車でくる」、とのことなので、こちらは「緑色のトレーナー」といって、約束の時間に
歩いていくと、すぐに黒い車がきたので、「これだ」と思って、手を振ったら、車ごと
すこしビビった感じが伝わってきた。恐る恐るでてきた人は、男で、こんな辺鄙なとこで
まるでソープで呼び込みにあったような気分?お互いに不思議な出会いに言葉を失ったけど
、「ヤセの断崖はまだ先ですか?」と問われたので、「まっつぐ、あと1キロいけば、右手に駐車場があります」
と答えた。「松本清張の『ゼロの焦点』読みました?」と余計なことをいったら、「大ファンで小倉の記念館にも
行きました」という。ソープ街の呼び込み出会いみたいなものにしては高尚な話になって、自分が小倉生まれであることや、
この先の集落に移住してきた話などをしていると・・

もう一台の黒い車がとまって、国貞がいうような、すごくきれいな
女性が運転席でちょこんと頭をさげた。初めてあったのに、アッシーよろしく、助手席に座って、
自分ちの駐車場まで「口ナビ」・・・
昨日は急に寒くなったので、置き囲炉裏をだし、先日調達してきた珠洲の大野炭点の炭をおこした。
銀座の隕石カフェより、また珈琲豆の注文がきていたので、午前中に炭火焙煎した「ほぼブラジル」を入れ、
あんこガレットを食べながら、暖炉風発、もとい、談論風発・・・
能登でジャズといえば、かかせない人なので、話が機関銃トークになって、陽が落ちるまでお互いにガンガン撃ちまくる
ごとくの囲炉裏端会議。

腹がへったので、囲炉裏に南部鉄鍋をおき、水と同量の酒(地酒の亀泉)を入れ、
朝釣った蛸、能登ネギ、エノキ、はるさめを入れ、かえし(甘醤油)と塩で味を
整えて、「タコ鍋」をつつきながら、第二部の「機関銃トーク」。
久しぶりに「無駄のない縁でむすばれた」ようなひとときを過ごす。

今日の真民さん

「出会い」

人生とは
真実一路の
道を行く
出逢いの
旅である

またたく
星よ
わたしの旅路を
守らせたまえ