「いさはや」と読む。長崎県にある。
昨日は、諫早出身のあらかん(もうすぐ還暦)のそばもんが、そばを打ちに来た。
四半世紀以上続いた「論語の会」(順受の会)の幹事をやってくれた清水さんも
諫早出身。諫早高校の出身である。昨年の夏、雲仙で蕎麦会をやった時、そばを手繰り
にきてくれた。同じ高校の先輩に、芥川賞作家の野呂邦暢 (のろくにのぶ)さんがいた。
プロフィール (1937~1980)本名納所邦暢。諫早高校卒、小説家。昭和40年の『ある男の故郷』が文学界新人賞となった。昭和30年代の自衛隊員の日常を描いた『草のつるぎ』で、昭和48年第70回芥川賞を森敦の『月山』とともに受賞。生活や感情の起伏を詳細に描写する作品を描いた。向田邦子は「諫早菖蒲日記」「落城記」等の野呂邦暢の時代小説が大好きで、人柄も敬愛していた。
諫早のそばもんが、久しぶりに故郷に帰る、というので、「落城記」を貸した。
秀吉が朝鮮に出兵するとき、諫早の殿様は、逆らって出兵を拒否したので、佐賀藩の大軍に滅ぼされる
運命にあった。城主の娘が「わたし」という主人公で、逃げれば逃げれる立場にありながら、城とともに
する、そんな物語。歴史もの、というのは、一般に勝ったものが、勝手に事実をねつ造してつくられたげな話が
おおかけん、あまりすきになれず、大河ドラマも歴史小説も、歴史の教科書もほとんど読んだことがなく、
大学受験には苦戦したばってん、この「落城記」は、籠城する時のごはんの準備とか、水や塩のたくわえかた、
とか、いよいよ敵がせめてくる前の晩に、足軽と女中たちが、真っ暗な倉庫の中で、襷やら着物をぬいで、
最後の綾瀬を楽しむ描写とか・・・さもありなん、という人間描写がおもしろおかしく綴られていて、おもしろかった。
最近も人気が沸騰している向田邦子さんが、「彼の作品をぜんぶドラマ化したい」と言わしめたほど。
「落城記」は「わが愛の城」やったか、名前を変えて映画化されたが、向田さんは飛行機事故で
放映は見れなかったらしい。これが遺作になった。野呂さんも若くして旅立たれたので、あまり世間に知られていない。
あまりにおもしろいので、野呂作品をネットで注文して、能登の本箱にいっぱい詰めて、いくたんびに、
酒を片手に読んでいる。「読書の秋」にしては、秋らしきものは、一瞬に去った感がある。
人生も短い。今日投票を済ませたら、古本屋かネットで、「野呂邦暢さん」の本を注文して
読むのは如何?のろのろしていると、あっという間に人生が「おわり」になるばい。ほんなこつ・・感謝。