てんこもりの茶碗に、ごはんをてんこ盛り

押上文庫と天真庵で企画し、久保さんにつくってもらう器のブランドを
「天庫森」(天真庵の「てん」、文庫の「こ」・・・・TENKOMORIになるくらい有名に
なったら、またニューヨークのギャラリーで、久保さんの個展をやってみたいと思う。

2000年、つまり911の前の年に、ニューヨークのソーホーのギャラリーで、南條さん
の「寒山拾得」の展覧会をやった。その年から、ギャラリーの人が久保さんの器も気にいって
もらって、なんどか、展示会をやった。そのころから、日本でも、桃山陶といわれる、
志野・織部・黄瀬戸などを、穴窯でつくる作家は少なかった。ニューヨークでは、ましていわんや、
だった。最初はIT関連の仕事でニューヨークにいっていたのだが、途中から「ギャラリーのオーナー」(
実は、会社の社長、しかもIT企業の社長なんて、吐いて捨てるほどいるので、そんなチンピラよりも、
ギャラリーのオーナーのほうが、ウエ?に見られる。)として、町中を作務衣をきて闊歩していた。

昨日、お仕覆の教室をやっていたら、四国の南條さんから、巻紙に筆字の、まさに「寒山スタイル」の手紙と、
この春に愛媛のお寺でやった個展の写真がおくられてきた。93歳になるけど、まだまだ矍鑠(かくしゃく)として、
90歳になった奥様と、今治郊外の山紫水明の里で、暮らしておられる。電話をかけたら、「東京とニューヨークに橋を
渡してもろうて、ありがとう。もうそろそろあちらの世界にいくわい」と、伊予弁でのたまわれた。いっしょにニューヨーク
まで同行したファンの女性10人も、半分以上は、天国に移住された。10年はひと昔、二十年は遠い昔、だ。

そんなことをしていたら、久保さんから荷物が届いた。「天庫森」の新作の茶碗二種。
「斑唐津」(まだらからつ)と「皮くじら」・・・どちらも茶人好みの器。
お仕覆で組紐をやっていた女子ふたりが、仕事をうっちゃって、「見せて~」とやったきた。
「この荷物の半分は、文庫ちゃんところに嫁ぐ・・・」といってるのに、「これ、いい」とか「素敵」
とか黄色い声をあげる。「そのトーンで、『スッゴーイ!こんなのハジメテー』とかいったら、まだまだ姉さんたちもいけそうやね」
とか冗談をいっていたら、彼女たちが、勝手に5個づつ握りしめて、「これ買います」とのこと。セクハラ商法?
休みなのに、お茶碗10個、押上文庫に20個・・合計30個が売れた。
残りは、たぶん今日明日で、完売になると思う。

ごはん茶碗と、お抹茶茶碗は、「高台」といって、底の部分のつくりが違う。その分、値段も10倍以上違う。(もち、抹茶碗のほうが高い)
久保さんは、個展でもごはん茶碗はださないけど、彼のお抹茶茶碗は、だいたい10万円から20万円くらい。
ふたりの女子は、お茶をやっていて、二年前には珠洲でいっしょにお茶会に参加した。
いつの時代も「わかるひとはわかる。わからないひとはわかんない」
ぜんぶなくなる前に、ふたつだけ残した。今朝は、能登のざざえを、ごはんといっしょに炊いたん。
それを、斑唐津か皮クジラの茶碗にてんこ盛りして喰らう。おつけものは、妙高高原の「道の駅」で
調達したみょうがとナスを、みじん切りにし、そこに酢醤油プラス柚子胡椒・・全部をビニール袋(スーパーで
トイレットペーパみたいにロールになってるの)に入れてくしゃくしゃする・・・・ナスのかわりに胡瓜でもOK牧場。
すると、ブログを書く30分くらいの時間で、おいしい「香のもの」ができる。
これを、志野の小皿に盛る・・・・高級旅館でもなかなか味わえない朝餉ができあがる。
「あのひとは、器が違う・・・・」昔から、器ちゅうもんは、そんな優先順位の上のほうに、置かれていた。
ちなみに、今回のお茶碗を買われたかたには、もれなく「箸置き」(織部・黄瀬戸・志野から選ぶ)が一個
ついてくる。あの魯山人じいさんの箸置きは、今でも一個10万円くらいする。
負けないような箸置きだ。押上文庫は、週末のみ営業。この器に興味がある人は、文庫ちゃんところにいって
見せてもろうてください。器がいいと、ゆたかになるヨ。感謝。