能登の霊水珈琲に禅味

土曜日、小学校3年生のTくんに焙煎を教え、
来年2月に出産予定の女子に蕎麦打ちを教え、片づけをした後、
能登に出発。

北陸自動車で「金沢まであと60k」とかいう看板がでたあたりで高速を降り、下道で
能登路を目指す。金沢まで一時間でいくところ、目的の和倉温泉の総湯まで2時間ちょっと、
とナビが教えてくれる。あまり情緒や旅愁は感じないけど、やっぱり高速道路というのは、
「速い」。新幹線のスピードもはやくなったけど、ビュッフェがなくなってから、ほとんど
乗ったことがない。飛行機も・・
「旅愁」というのは、人生の途上において、とても大切な感情のように思う。

もうしばらく、ここにいたい。
でも、そろそろ出発しなくては。

こんな気持ちがあってこそ、旅であり、人生行路の味のような気がする。

すっかり田圃の稲が黄金色に輝いていて、緑を讃える里山の緑を借景にする秋の景色は、
日本人の原風景。まだまだ夏のような入道雲が海原を大地のようにして、白々の葉緑体
のようにいきり立っている。

いつも立ち寄る「すしのや」という氷見にある回転すしや(回転すしやだけど、ほとんど主人がにぎってくれる。
普通の寿司屋よりも、安い、はやい、うまい(吉野家のキャッチフレーズを彷彿させる)のところへきたら、
駐車場に車がいっぱい。「そうだ、今日は日曜日か・・・」
ということで、いつもいく、七尾の「なんやら霊水」を汲みにいくことにした。
その霊水をつかって、そばを打つ蕎麦屋が近くにある。主人が77歳で、土日のみ営業で、
奥様とふたりで、自然に寄り添いながらゆっくりやっておられる。

そばのメニューが「ざるそば」「おろしそば」「とろろそば」のみ。簡素。
その霊水で淹れる「霊水珈琲」というのも、ある。そばと珈琲・・どこかのお店に似ている(笑)
半年くらい前から、天真庵のそばと珈琲とお茶も「能登の霊水」を使っている。
つまり、ホボブラジルは、「霊水珈琲」なのだ。

そばを手繰り、そば湯を飲み干すと、庭の鈴虫のすだく音が秋色になり、
さわかかな涼感を運んでくれた。同時に主人の暮らしぶりが良寛さんみたいだ、と
感じた。都会ではありえない蕎麦屋の原点がそこにあった。
蕎麦と珈琲に禅味を感じた。

風のように、また水のように、さらさらと、
たださらさらと生きたい。良寛さんのように・・・