秋は酒がだんぜん美味くなる。
禁酒令が長いこと続いた東京も、今月かぎりで、
また解禁になりそうな気配だ。油断大敵だけど、すこし、ゆるりと
ぬる燗を飲みにいけそうな秋。
友達から今朝メールがきた。散歩途中に見つけた秋明菊。その横に季節を間違えて
開花した桜の花の写真が添付されていた。春夏秋冬、家に閉じこもり、季節の移り変わり
も感じられない昨今、人の気持ちを代弁しているようでもある。
お店の入り口の植木鉢に、木賊(とくさ)が植えてある。昔から、木賊は三味線や弦楽器の
ミガキに使われていて、都都逸や端唄などでも、木賊が咲く庭に住む人の風流を謡ったりするものがあまたある。
竹のように春夏秋冬、青々と元気にたっている。その傍らに、「ほととぎず」が、淡い紫の花を咲かせている。
温暖化のせいか、今年は春になっても、例年のように枯れず、そのまま緑の葉っぱをつけたままだった。
ひょっとしたら、秋明菊の咲く姿につられて桜が咲き、木賊の緑に嫉妬してホトトギスが枯れずにいた・・・
不思議だけど、この世の中は、不思議なことがいっぱい。
正月になると、飾りもちに緑の植物を飾る。「ゆずり葉」。
新しい葉ができると、先輩の葉が自ら枯れていくので、そんな名前になり、
「新しい年」「新旧交代」の縁起を祝った。それに比べると、我が国の総理の選挙は、どうやろ?
どの世界も新旧の命が譲り合ってこそ、次の世代はそれを栄養として、新しい命になっていく。
博多の仙厓和尚が、初孫が生まれた家族に、「なにか記念に一筆お願いします」と頼まれ
「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫したら、「なんて、縁起でもない」とおこられた。ならば、と
いって「孫死ね 子死ね 親死ね」と書いたら、「そうか、順番にいくことが幸せなことなのですね」
と悟ったという逸話が残っている。
仙厓和尚の代表作は、柳の木が風に吹かれて、揺れている絵。そこに
気にいらぬ 風もあろうに 柳かな
と揮毫していて、落款の横に「堪忍」と書いてある。
いろいろ気にいらぬ風や、想定外の風や雨が矢継ぎ早にやってくる昨今。
よっぽど堪忍袋の強化をしていないと、きれそうな毎日。感謝と堪忍。