白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり・・牧水

秋は酒がだんぜん美味くなる。
禁酒令が長いこと続いた東京も、今月かぎりで、
また解禁になりそうな気配だ。油断大敵だけど、すこし、ゆるりと
ぬる燗を飲みにいけそうな秋。

友達から今朝メールがきた。散歩途中に見つけた秋明菊。その横に季節を間違えて
開花した桜の花の写真が添付されていた。春夏秋冬、家に閉じこもり、季節の移り変わり
も感じられない昨今、人の気持ちを代弁しているようでもある。

お店の入り口の植木鉢に、木賊(とくさ)が植えてある。昔から、木賊は三味線や弦楽器の
ミガキに使われていて、都都逸や端唄などでも、木賊が咲く庭に住む人の風流を謡ったりするものがあまたある。
竹のように春夏秋冬、青々と元気にたっている。その傍らに、「ほととぎず」が、淡い紫の花を咲かせている。
温暖化のせいか、今年は春になっても、例年のように枯れず、そのまま緑の葉っぱをつけたままだった。
ひょっとしたら、秋明菊の咲く姿につられて桜が咲き、木賊の緑に嫉妬してホトトギスが枯れずにいた・・・
不思議だけど、この世の中は、不思議なことがいっぱい。

正月になると、飾りもちに緑の植物を飾る。「ゆずり葉」。
新しい葉ができると、先輩の葉が自ら枯れていくので、そんな名前になり、
「新しい年」「新旧交代」の縁起を祝った。それに比べると、我が国の総理の選挙は、どうやろ?
どの世界も新旧の命が譲り合ってこそ、次の世代はそれを栄養として、新しい命になっていく。
博多の仙厓和尚が、初孫が生まれた家族に、「なにか記念に一筆お願いします」と頼まれ
「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫したら、「なんて、縁起でもない」とおこられた。ならば、と
いって「孫死ね 子死ね 親死ね」と書いたら、「そうか、順番にいくことが幸せなことなのですね」
と悟ったという逸話が残っている。

仙厓和尚の代表作は、柳の木が風に吹かれて、揺れている絵。そこに

気にいらぬ 風もあろうに 柳かな

と揮毫していて、落款の横に「堪忍」と書いてある。

いろいろ気にいらぬ風や、想定外の風や雨が矢継ぎ早にやってくる昨今。
よっぽど堪忍袋の強化をしていないと、きれそうな毎日。感謝と堪忍。

月曜の朝は卵かけごはん

土曜・日曜日・・・夕方ベテランのそばもんたちが、元気にそばを
打ちにきた。そばを打つと、切れ端というか、切る時に、たたんだ部位や、
先っちょをそろえるために、包丁でチョキンと切り落とし、「そばかす」
ができる。それを水に溶いて(ブレンダーがあると、圧倒的に便利)、
テフロンのフライパン(鉄のフライパンで焼く時は、油ばひいてやって)に流しこみ、
とろけるチーズをのせ、その上にノリ(海苔よ、糊じゃまずいばい)をのせて焼く。
天真庵のガレット。無限シードルが手元にあると、「天下無敵のガレットセット」になる。

チーズのかわりに、鰹節をパラパラまいて、醤油をぱらっとかけて、海苔をのせると
「海苔弁ガレット」ができる。ときどき、作るけど、これなんて、卵かけごはんに次ぐ、
「スペシャル朝ごはん」だ。

能登は今、アオリイカ釣りの旬を迎えている。アオリイカやタコをガレットにすると、
筆舌が及ばない壷中天の世界。
ちょっとしゃぶしゃぶ(水を多くして)にして、たこ焼きをすると、酒を飲む間が
なくなるほど、楽しくて美味い夕餉フェスタになる。

今月は般若一家がきて、朝タコを釣る釣る(釣れないと、タコがウインナーになる)ところから
やった。栗ご飯をつくるために、自分の家の栗ひろいまで、子どもたちといっしょに
やった。ヘビもでるし、蚊やブヨにさされたりするけど、そんな体験から、自然とよりそい、
サバイバルな心身を鍛える基礎ができる。今の都市型の便利な暮らしや、偏差値教育重視の学校
や、過保護な家庭教育では学べないものがある。途中で子供たちが「もう、能登へはこない」と泣きべそをかいた
けど、返る際になって「またきていい?」となった。

来月あたりは、いよいよ稲の収穫祭。
今日明日あたりで、柚子胡椒作りが終わり、秋は梅茶翁で、「ペチカつくりのワークショップ」
も始まる。
「炭火焙煎 ほぼぶらじるスペシャル」の注文も増えてきたので、能登での炭火焙煎も、
いよいよ本格的に稼働しはじめる。
今年は自作のサツマイモも順調に育っているので、寒山拾得のように箒で落ち葉を掃き集め、
焼き芋もやってみたい・・・・・押上以上に「目白押し上げな田舎暮らし」の秋が近い。

これから、「卵かけごはん」・・・・「のと115」という椎茸で出汁をとり、みそ汁の実にする。
この「のと115」という椎茸は、スゴイよ。教えたくないくらい(すぐにネタをばらす)。

横須賀ブラジャー 銀ブラ・プレミアム

3年くらい前に、かすみちゃんたちと、早川の「ながや」に
ごはんを食べにいく途中、「横須賀ブラジャー あります」の看板を見つけ
「なにこれ?」と思い、お店の前のPOPを読んでみると、ご当地ドリンク
の名前で、ブランデーとジンジャエールで割ったカクテルであることが
判明した。浅草の「電気ブラン」も、もともとはそんなノリで作られた。

「銀ブラ」という言葉がある。一般的には、ブラタモリよろしく、銀座の街を
ぶらぶら散歩するようなイメージがある。ばってん、原点は「銀座でブラジルを飲む」
つまり珈琲を飲む、のを起源とする。銀座には、珈琲を喫するお店があまたあった。
昭和は遠くになりにけり。

先日、近くにできたカフェのスタッフが挨拶にきた。成人式ほかほか
みたいな女の子がカウンターにすわってメニューを見ていて「ほぼブラジル」を
見つけて、ケラケラ笑っている。「毎日、ファジーにブレンドするんですか・・ボリボリ」
みたいに聞くので、常連で隕石屋を秋葉原でやっているKに「説明してくれや」と頼んだら
「え・・・わかりませんよ」ときた。
「プロレスラーのボボ・ブラジル知らんのか?」と聞くと、「知りません」という。
「何年や?」と聞いたら「うさぎです」とのこと。45才・・・・
おっさんやと思ったけど、ホボブラジル世代とは、交差しないらしい。

銀座の隕石カフェのオーナーとも、そんな昭和のうんちく話をメールでやり取りをしていたら、
正式に珈琲豆の注文をいただいた。ホボブラジルが銀座のリングにあがる。
メールには、「炭火焙煎 『銀ブラ・プレミアム』をおくってください」とのこと。
銀座の隕石カフェは、アメリカンのことを、「アメリカーナ」というらしい。それも、うちのホボブラジルが採用された。
能登と押上で焙煎する「ホボブラジル」が、にわかに各上げされた、そんな気分だ。
「ノトリーナ」「オシアゲテーナ」・・いずれどこかで、そんな名前の珈琲になったりして・・・
リングネームも、ほぼほぼ、中庸なものがよろし?

銀座の隕石カフェ・・・が大人気?

銀座4丁目に「隕石直売所」というのがある。ビッグバン。
以前は押上のスカイツリーの足元にあった。
店主の王子は、同郷でしかも、福岡県宗像郡日の里・・・まで一緒で
王子のところが一丁目、うちが4丁目、という奇縁で、奇妙キテレツなやりとりが始まった。

最初は、王子が鼻くそみたいな大きさの隕石をくれた。「これなんばすっと?」
と質問したら、「糠味噌にいれたら、べつもんになりますばい」というので、
だまされたつもりで、厨房の中の糠味噌の糠床にポンと入れてみた。
つぎの日に、胡瓜を取り出して食べてみたら、確かに「べつもん」になっていた。
天真庵のHPの表紙にあるサンダーくんの部屋に、そのあたりの実験をのせてある。
また、「珈琲塾でその漬物を食べた女子が、その縁で今銀座のスタッフ」に・・

そのうちに、「ごはんを炊く時、いっしょにいれたい」という声が、どこからともなく
聞こえてきたので、陶芸家の久保さんにお願いして、「地球で一番いい土」と「宇宙で一番いい隕石の粉」
をあわせて、穴窯で焼いてもろうた。それが「うめ星」の始まり。銀座では、「なにゃらミック?」・・
そんな横文字で販売している。本家はうちの「うめ星」だけど、あちらのほうが、やまんごた(たくさん、という九州弁)売る。

「隕石直売所 銀座」で検索したら、王子のHPにいくことができる。もちろん、銀座4丁目にいけば、
「生王子」にもあえる。そこで販売している、「まがたま」とか「かめさん」とか「ひょうたん」とか
「フリーカップ」・・・などは、そんな流れ星効果で生まれたものだ。

王子は、珈琲のない星からやってきたのか、珈琲は一滴も飲まない。
時々天真庵にやってきて「裸麦茶」を買ってかえる。一年中それを飲んでいるらしい。

その珈琲と縁もゆかりもない王子からメールがきて、「銀座のカフェをつくったので、隕石の珈琲カップを
つくってほしい」とのこと。さっそく久保さんに頼んで、先日できあがり、無事おくった。
その中に、「炭火焙煎」で、少し深めに焼いた「ほぼぶらじる」を忍ばせていた。
ら、昨日の夜おそくにメールがきて・・・・
「ぼくはわからんばってん、スタッフが美味いと絶賛するので、お店の珈琲は
ホボブラジルにしたいのですが・・・」とのこと。
九州のふたつ返事「いいばい」と返事したら・・・・・
「隕石を入れて焙煎お願いします  王子」というメールが深夜にきていて、
朝そばを打ち、焙煎を終えた後に、返事をおくった。

「そげんことしたら、隕赤外線効果で、バズって、チェーン展開せなあかんようになるバイ」

なんとなくコロナも落ち着きはじめた。
新しい時代の「銀ぶら」は、「銀座でほぼぶらじる」のことを相称することになるかもなんばん?
銀座松屋のうらあたりに「隕石カフェ」なるものが、できたらしい。感謝。

女子に好かれる方法?

まず相手を知ること。昔から女子が好きなものに「いもくりなんきん」がある。
昔から、そんなことをいう。井原西鶴がいいだした?
芋・栗・南瓜(かぼちゃ)。

今週は柚子胡椒つくりのピーク。そんな時、能登の畑のおとなりさん
から荷物が届いた。箱にはフルーツと英語のロゴマークがついている。
開けてみると、びっくり玉手箱。うちの畑にある二本の栗木を収穫して
わざわざおくってくれたらしい。能登発江戸の「栗の旅」や。
せっかく東京にきたので、スカイツリーとか浅草を案内しようと思ったけど、
同じ便で、炭やから備長炭も届いたので、「炭火焙煎」の用意をする。

ガスで焙煎をすると、10分かそこらで、ハゼる。(イチハゼ、なんてことをいうのが、業界用語)。
先週、能登の炭を焼いたら、イチハゼに一時間ちょいかかった。今回は、備長炭に各上げして、
挑戦。その間に、蒸し器を用意し、栗を蒸す。あまり大きくないので、沸騰してから15分で
ふっくらした「蒸し栗」ができあがる計算。

お店は休みだったけど、焙煎や栗蒸す香りに誘われ?いや旗日のせい?で、「やってますか?」と入ってくるお客さん
が目白押しあげ・・・
わざわざ、コロナ禍の暑い日にきてくれる気持ちに感謝しながら、「これいかが・・」
と「蒸栗」をお裾分け。ひとによっては、そばを食べた後の顔より、いい顔していた。
やはり「いもくりなんきん」・・・そばは、その後の末席の隅だく?

栗も美味しかったけど、炭火珈琲も「まずまず」の及第点。炭で焼くと、ベツモノ。
残った炭火で、「いきなりまんじゅう」の冷凍していたものをアルミホイールに
包んで、焼いた。芋と小豆を饅頭にした熊本の伝統的なまんじゅう。
これで「いもくりなんきん」のふたつめ。

夕方は近くのおばあちゃんにいただいた「南瓜」を料理した。
鍋に水を張り、種をとって、適当に切った南瓜を入れ、中火。
そこにバターと能登塩を入れる。それだけ。南瓜の旨味を塩が自然と導き出す。
これで「いもくりなんきん」を、ぜんぶ制覇。充実した秋分の日。日々是好日の秋。

UFOが珈琲カップをのせてやってきた!

昨日の朝、UFOにのって、「能登ジェラトン(隕石粉入りセラミック)の珈琲カップ」の荷物が届いた。陶芸家の久保さんからの荷物。
さきごろ、銀座に不思議なカフェができて、「隕石カフェ?」とかいったかいな?
松屋の裏かわにあるらしい。そこから、「隕石の珈琲カップつくって」と大量に注文があったので、本日
発送する。ぼくは、ずぼらんで、取引先なのですが、まだ一度もいったことがない(笑)。
エスプレッソで珈琲を淹れるらしいので、それように、能登で炭火をつかって試行錯誤を
やってみた。企業秘密(ぼくがそうゆうときは、ほぼばらしていることが多い。でもまねするバカはいない)
なのだが、能登の霊水で生豆を洗い、タオルで丁寧にふきとって、ワカメを干す笊で陰干しをして、
炭火で焙煎をする・・・・

そんな秘密話を久保さんとしていたら、さすが穴窯(電気やガスではなく。ちゃんと薪を使って焼く。だから
能登ジェラトン(隕石粉入り器)のパワーが違う。まだ地球の人はそんなこと知らへんけど・・)
一筋の名匠・・・・(ここからはチト、書けない)いろいろヒントを頂戴した。
今日のカップの荷物のすき間に、焙煎したての珈琲豆を入れようと、今朝は5時前に起きて、
はやめに蕎麦を打ち、時間と手間のかかる「炭火焙煎」をやる予定でいた。
閑人、いや肝心のそばが、はじめて使う妙高高原のある農家さんから買ったそばを打っていたら、
水回しのあとの、菊練りを100回以上やってもつながらない。粉の袋に同封してあった説明書を
読むと、「つなぎ」を多めにして、200回は菊練りをしてください・・・とあった。
「このまま、続けると珈琲豆が焼けないかもなんばん」と思い、いつもの蕎麦粉にかえて
打ち直す。

「蕎麦と珈琲」・・・どちらも、人生50年(100年らしいけど、ある程度、すいも辛いも甘いもがわかった後にはじめ、
体力がある間までしかできないので、せいぜい50年。)の中で極めるには、険しい道だけど、
両方いっぺんに「難関」に挑戦する時は、まわりから「気が狂ったの?」と思われるくらいでないと、
やってられない。

「人間は正気を失うものだ。でもだからこそ、可能性を秘めている」
よく久保さんと話をする時に話題になる。
昨日の「ぼした祭り」もそやけど、バカと天才は紙一重。
でも命短し恋せよ乙女、生きる死ぬも紙一重。

やっと蕎麦を打ち、キーボードを打って、ブログを書いている。
朝飯前のつもりだったけど、これから朝飯を喰い、朝飯後に炭火焙煎をやることにあいなった。
明日明後日は、自分の身体も遠赤効果で真っ黒になるかもなんばん。感謝。

ぼした祭り・・・YouTubeで見れるとね!敬老の日はこればい!

今日は、「敬老の日」だ。カレンダーには、動物愛護週間とある。

あまり知られていない・・・マスコミには、放送禁止用語?みたいでもあるし、
動物愛護にも違反するし、ましてコロナ禍で、こんな奇祭ができるわけがないけど、
熊本に、昔から敬老の日に催される不思議なお祭りがある。

立命館大学時代に、なぜだかクラスに熊本の名門高・濟々黌(せいせいこう)高校、という気骨のある校風の
卒業生が何人もいた。バンカラもいいところで、酒はよく飲むし、酔ったら殴り合いをする、なんて日常茶飯事やった。
ある日、ぼくが「もう少し思いっきり殴れるように、今日は拳にタオルをまいて、ボクシングルールで
いこうや」と提案して、仁和寺近くの古い3階建てのアパートに住む、濟々黌のOBの人たちと、
酔狂のボクシング大会をやったことがある。ぼくは小倉生まれで、ケンカには少し自信があって、
何人かをKOしたところまで、覚えていたのだが、朝起きると、顔がはれ上がっていた。
「どうしたんだろう」とKO負けしたボクサーみたいに「?」な感じでいたら、横に
素面の松村くん(やはり濟々黌  でも下戸)が涼しい顔していた。
「きさん(おまえ)、いつからおるとや」と聞くと、「ふらっと来てみたら、みんな酩酊してボクシングばやっとたけん、
途中参加したと・・」と。「顔が無傷やん」と言うと、「みんな酔っとたけん、ガードは下がっとるわ、
動きはにぶかけん、ボコボコにくらせた(くらす 殴るという九州弁)」

その後、縁あって、松村くんは、わが社のコンサルタントになって、貢献してくれた。ばってん、
その若き夏の日の「こすさ」がどこかひっかかっている。

そんな縁もあり、熊本には昔から友達や、提携先があった関係で、敬老の日の「ぼした祭り」
は、かかせない行事やった。

「ぼした」というのは、「加藤清正(熊本の大名)が、挑戦を滅(ぼした)、という凱旋の祭りが起源
だ。こんな悪しき「ことだま」を冠にするような祭りが、NHKだけじゃなく、ニュースにでる
ことは、なかろうもん、っちゃ、だ。
昔は、馬にも酒を飲ませ、蹴られて人も死ぬし、祭りの後は馬も殺された。
残酷な話だけど、居酒屋にいくと「熊本といえば馬刺しやね」と平気で食べているのが、「いまのひと」だ。
もうひとつは「ぼぼした祭り」が、命名の由来。昔「ボボブラジル」というプロレスラーがいた。
ボボ、というのは、九州弁で「あれ」のことを現わす方言やけん、九州人は恥ずかしいけん「ポポブラジル」
といっていた。そして、今、そのなごりで、天真庵のブレンドのことを「ほぼブラジル」という。
ちゃんとした、歴史というか時の「ながれ」がある。

時代がかわり、「ぼした祭り」は「藤崎宮秋の大祭」と名前がかわり、お酒を飲んだり、
放送禁止用語をおらぶことはできなくなったばってん、このお祭りには、
「とりつかれる」「憑依する」・・・お祭りの原点があるし、このお祭りを体験すると、
加藤清正を今でも愛し、西南の役では不利な西郷さんを応援しながら死んでいった「肥後もっこす」
の魂みたいなものを感じる。

ぜひ、暇な人は、YouTubeで「ぼした祭り」を見てくだされ。
ビールや酒を飲みながら見ると、「みえないもん」が見えてくるかもなんばん。
でもけっして、今日は馬刺しを酒肴にしてはなりませぬ。感謝。
 

書籍「SUMIDA MODERN」

そんな本ができあがった、らしい。
天真庵も取材にきんしゃったけん、きっと紹介されている。
3300円、という豪華本だけど、ソラマチや曳舟のヨーカドーの本屋
などに、近々並べられるらしい。巣ごもりで、へそくりが貯まった人はどうぞ買ってあげてください。
ずっと住んでいて、「モダンな街」と思えるものは、あまり感じたことはないけど、
肩肘張らずに、パジャマよりちょっとマシの普段着で、街を徘徊できるのは、いい。
もっとも、スカイツリーができる前は、近くに銭湯がいっぱいあって、風呂上りのじいちゃん
が、ステテコに上半身裸で、タオルを首にかけて歩いている、みたいなスタイルも墨田モボ(モダンボーイ)だった。

昨日は土曜日だったので、16時に閉店。
「竜とそばかすの姫」で、いっしょに大フィーバしたいるスタイリストのOくん
が、友達と蕎麦を手繰りにきた。Oが「大学時代の友達っす!」と紹介された。
その友達が「挨拶おそくなってすいません」といって、名刺をくれた。
記憶に新しい珍しい名前・・・「え・・・ふたりは大学の同級生だったの!」
とビックリドッキリカメラ状態。今年の5月に川口葉子さんの「喫茶人かく語りき」(実業之日本社)
に、天真庵が紹介された。その時の、担当のスタッフで、いろいろとメールでやり取りをした人だ。
7年前に、家賃交渉までしてあげて、Oが近くの長屋で、洋服をつくりはじめた。

それからこっち、けっこう有名な女優やタレントさんが、このうらぶれた十間橋通りを歩いて、
Oのアトリエに通うようになった。「竜と・・」の中村佳穂さんもそのひとり。
天真庵で弾き語りライブをやろう、と密かに計画していたのに、舞台が突然大きくなって、お釈迦になった。
そして、Oも、墨田から世田谷に引っ越しをする。
大きく羽ばたく人、時代がわかっても愛されるモノたちは、「墨田」とか「世田谷」とか・・
小さなククリにこだわっていてはだめだ。

今日も16時まで営業。それから「蕎麦打ち教室」。二階では「ゆるゆるヨガ」。
妙高高原で調達してきた蕎麦粉で今朝そばを打った。ここの蕎麦は昔から通人好みのそばだ。
まだお店ではだしてないけど、そのうち、落ち着いたら、「今日のそば・・・妙高高原産」
と黒板に書いて、出すようになるかもなんばん。感謝。

てんこもりの茶碗に、ごはんをてんこ盛り

押上文庫と天真庵で企画し、久保さんにつくってもらう器のブランドを
「天庫森」(天真庵の「てん」、文庫の「こ」・・・・TENKOMORIになるくらい有名に
なったら、またニューヨークのギャラリーで、久保さんの個展をやってみたいと思う。

2000年、つまり911の前の年に、ニューヨークのソーホーのギャラリーで、南條さん
の「寒山拾得」の展覧会をやった。その年から、ギャラリーの人が久保さんの器も気にいって
もらって、なんどか、展示会をやった。そのころから、日本でも、桃山陶といわれる、
志野・織部・黄瀬戸などを、穴窯でつくる作家は少なかった。ニューヨークでは、ましていわんや、
だった。最初はIT関連の仕事でニューヨークにいっていたのだが、途中から「ギャラリーのオーナー」(
実は、会社の社長、しかもIT企業の社長なんて、吐いて捨てるほどいるので、そんなチンピラよりも、
ギャラリーのオーナーのほうが、ウエ?に見られる。)として、町中を作務衣をきて闊歩していた。

昨日、お仕覆の教室をやっていたら、四国の南條さんから、巻紙に筆字の、まさに「寒山スタイル」の手紙と、
この春に愛媛のお寺でやった個展の写真がおくられてきた。93歳になるけど、まだまだ矍鑠(かくしゃく)として、
90歳になった奥様と、今治郊外の山紫水明の里で、暮らしておられる。電話をかけたら、「東京とニューヨークに橋を
渡してもろうて、ありがとう。もうそろそろあちらの世界にいくわい」と、伊予弁でのたまわれた。いっしょにニューヨーク
まで同行したファンの女性10人も、半分以上は、天国に移住された。10年はひと昔、二十年は遠い昔、だ。

そんなことをしていたら、久保さんから荷物が届いた。「天庫森」の新作の茶碗二種。
「斑唐津」(まだらからつ)と「皮くじら」・・・どちらも茶人好みの器。
お仕覆で組紐をやっていた女子ふたりが、仕事をうっちゃって、「見せて~」とやったきた。
「この荷物の半分は、文庫ちゃんところに嫁ぐ・・・」といってるのに、「これ、いい」とか「素敵」
とか黄色い声をあげる。「そのトーンで、『スッゴーイ!こんなのハジメテー』とかいったら、まだまだ姉さんたちもいけそうやね」
とか冗談をいっていたら、彼女たちが、勝手に5個づつ握りしめて、「これ買います」とのこと。セクハラ商法?
休みなのに、お茶碗10個、押上文庫に20個・・合計30個が売れた。
残りは、たぶん今日明日で、完売になると思う。

ごはん茶碗と、お抹茶茶碗は、「高台」といって、底の部分のつくりが違う。その分、値段も10倍以上違う。(もち、抹茶碗のほうが高い)
久保さんは、個展でもごはん茶碗はださないけど、彼のお抹茶茶碗は、だいたい10万円から20万円くらい。
ふたりの女子は、お茶をやっていて、二年前には珠洲でいっしょにお茶会に参加した。
いつの時代も「わかるひとはわかる。わからないひとはわかんない」
ぜんぶなくなる前に、ふたつだけ残した。今朝は、能登のざざえを、ごはんといっしょに炊いたん。
それを、斑唐津か皮クジラの茶碗にてんこ盛りして喰らう。おつけものは、妙高高原の「道の駅」で
調達したみょうがとナスを、みじん切りにし、そこに酢醤油プラス柚子胡椒・・全部をビニール袋(スーパーで
トイレットペーパみたいにロールになってるの)に入れてくしゃくしゃする・・・・ナスのかわりに胡瓜でもOK牧場。
すると、ブログを書く30分くらいの時間で、おいしい「香のもの」ができる。
これを、志野の小皿に盛る・・・・高級旅館でもなかなか味わえない朝餉ができあがる。
「あのひとは、器が違う・・・・」昔から、器ちゅうもんは、そんな優先順位の上のほうに、置かれていた。
ちなみに、今回のお茶碗を買われたかたには、もれなく「箸置き」(織部・黄瀬戸・志野から選ぶ)が一個
ついてくる。あの魯山人じいさんの箸置きは、今でも一個10万円くらいする。
負けないような箸置きだ。押上文庫は、週末のみ営業。この器に興味がある人は、文庫ちゃんところにいって
見せてもろうてください。器がいいと、ゆたかになるヨ。感謝。

ソロキャンプと方丈記

昨日は、朝早く起きて、栗拾い。
みかんを入れる赤い網不袋にいっぱいいれた。今年は豊作だ。
能登にいる間は、栗ご飯、タコ飯、さざえ飯を毎日のように楽しんだ。
これからは、キノコの季節になる。にがり、塩が美味いので、豆腐屋のレベル
が半端ない。キノコ鍋に豆腐をいれて、ポン酢で食べると、ごはんもお酒も
おかわりむげん?

その後、東京に出発。まず霊水を汲みにいく。朝9時前についたら、他府県ナンバー
のボックスカーが3台くらい並んで、霊水を汲んでいた。神戸ナンバーの車が隣にいたので、
「遠いところからご苦労さまです」と挨拶したら、こちらの足立ナンバーを見て、「あなたのほうが
遠い」といわれた。2か月に一度、空き家になった実家の窓を開けて空気の入れ替えをするついで
に、この霊水を汲みにくるのが楽しみだそうだ。

水を50L(天真庵の20日の営業中に、珈琲・そば・水素茶をつくるのに、ギリギリ)を汲み、
その後は能登島(ひょっこりひょうたん島のモデル)にいき、「水」で朝食。
このお店の主人の実家が、同じく能登島で千寿荘という民宿をやっておられる。そこの水は、
天然の水素水で、この水も全国から汲みにきている。
「水」のおかげで、いろいろな縁がひろがっているので、食堂の名前は、迷わず「水」。
水を汲んだ(けっこう重労働)後の、おそめの朝ごはんは格別。
この時期はぶりの手前の「がんど」のカマの焼いたのが絶品。
焼けるまでの15分・・・おまけの総菜3種を食べながら、隣にすわった北海道からきた夫婦と
談論風発。釣り道具とキャンプ道具を積んで、各地を旅しているらしい。
ワンンボックスカーで車中泊しながらの旅らしい。最近、高速のPAや能登でも、そんな旅や、
軽のワゴンとか、バイクにキャンプ道具を積んで、旅する若者をよく見かける。
「ソロキャンプ」という。

ぼくも実は密かに、(とかいいながら、今朝もスパイスカフェの伊藤シャフと立ち話をしながら・・)
「企業秘密やけど、能登の水で珈琲の生豆を洗い、炭火で焙煎したら、唯一無二の珈琲ができるバイ」
とか言ったら「飲んでみたい」とおっしゃるので、栗といっしょにお裾分けした。
彼も、先月は沖縄に一ケ月滞在しながら、カレーを供す、というイベントを終えたばかりだ。
みんな「放浪のような」また、「ソロ」とか「ミニマム」とか、小さい単位で、自分のイドコロを
模索する時代になってきたようだ。

令和の鴨長明さんたちが、活躍する時代。「方丈記」の序文を思わず口にしながら、
ひさしぶりの下町・徘徊散歩をした。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかを争そへる、高きいやしき人のすまひは、代々を経て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり・・・・・・