昨日の朝日新聞の「折々の言葉」に、茨木のり子さんの詩
「自分の感受性くらい」の中の言葉が紹介されていた。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
説明がいらない。コロナ時代の「今ここ」で、それぞれ噛みしめて
みたいような言霊。
彼女の詩で「私が一番きれいだった時」というのがある。
女性のナルシスティックな感傷ではない。
人のせいにしない、人と比べない、時代のせいにしない、「自分の生きざま」が吐露されている。
大好きな詩のひとつ。
今日・明日は12時から16時まで営業。それから「蕎麦打ち教室」
わたしが一番きれいだったとき
茨木 のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね