白井晟一 原爆堂  おわりのはじまり

76年前の今日、広島に原爆が落ちた。
その年の3月に東京大空襲があり、一晩で10万人が亡くなった。
天真庵の建物は、大空襲で焼け、ここから銀座が見えた、くらい焼野原に
なった土地に、気骨ある「栄吉翁」が、秋田や新潟から木材を集めて、建てた建築。
四半世紀空き家だったのを、2007年に改装して押上の「天真庵」がスタートした。
その当時に取材された雑誌には「築60年の長屋を・・・」とでていた。
今では築76年になる。

天真庵には、100歳を超えた柱時計が動いている。
3時に三回といわず、10回「ボーン ボーン・・・」と鳴ったり、気まぐれだけど、
時刻は一日5分程度狂うくらいの働きものだ。
日本人にはあまり知られていないが、世界的な建築家「白井晟一」氏が、江古田にあったアトリエで愛用していた
時計。原爆が広島に落ちてしばらくして、「原爆堂」を創ることを計画。その時に、白井翁は、
この時計のあるアトリエで、「世界平和を祈る」「二度と核が戦争で使われない」ことを願う象徴のような
「原爆堂」の設計図をつくった。「崇高な祈り」が、込められていて白井晟一氏の「哲」のかたまりのようだ。
その時計の横に飾ってある「生」という筆文字も白井晟一氏が揮毫したものだ。「生きる」「生かせれる」「生じる」「生まれる」・・
ひとつの字で、読み方も意味も一番多い「ことだま」をもつ「生」
残念ながら、その原爆堂は構想だけで「生かされ」なかったけど・・・・
興味のある人は「白井晟一 原爆堂」で検索していろいろな記事を読みながら、世界平和を思索する日にしてもよい。

今年のはじめ、核兵器禁止条約ができて、多くの国が批准した。でもアメリカやアメリカの植民地であるため
世界唯一の原爆被害国、わが日本は批准できず、どこの国かの圧力で、コロナが爆発的に広がっている最中に、
オリンピックをやったり、老朽化した原発を動かそうという方向に舵をとって進んでいる。
こんなおろかなことを、まだこれから76年くらいやっていたなら、日本はおろか、世界の「ヒト」
はこの地球の上で生き残っていないのではなかろうかしらん。