押上徘徊散歩・・・・

朝はやく起きて、いつものように徘徊散歩。
途中、新しくできたコンピュータの学校の校庭(解放されている)で、
カタカムナ深呼吸をし、霧下そばという蕎麦粉やさんの前を通り、
香取神社へ・・

賽銭箱に10円をいれようとしたら、小雑誌が積んであった。「GEDATU(解脱)」
。この雑誌は、おかまのMくんが好きなので、コースを変更して、向島警察を左折して、
キラキラ商店街のほうへ向かう。
向島警察所のところに、ハイヤーやテレビ局の車がいっぱい・・・・
「とある新聞社」の腕章をしたやさしそうなお兄様に「なにごとですか?」と尋ねたら、小声で
「東向島の行方不明の女子高生が今朝山梨で死体で発見されまして・・・」とのこと。

どんな事情があって・・よくわからないけど、物騒な世の中だ。
勝手の違う気配が横行していて、いろんなことが起きている今日このごろ・・・

「GEDATU」には、福岡の女性で「まゆみ先生」というあだ名の先生の記事があった。
「子供の声を、きく。」名人らしい。
最近また自殺、しかも若い女性の自殺が多くなっている。昔から自分から死にゆくような人に
「がんばって」といってはいけない、のが常識だ。みんなそれぞれ、がんばっている。でもどうしようも
ないので、追い込まれる・・・そんな話がのっていた。

「どうやって生きていく」とか「なんのために生きていく」とか・・・そんなことを
まじめに考えつめると、「死」にいきついてしまう。
みんな100%死ぬのだ。生まれ落ちた瞬間から、人はみな死にゆくもののひとり。
「独り」になるようなことが多いよの中だけど、ぼく(わたし)しかいない、他と比べたりしない「ひとり」
を楽しみながら、旅の途中の「今ここ」を感謝しながら通っていければいい。
Mくんの家の玄関のポストに「GEDATU」を投函して、家にもどった。感謝。

かぼすとすだち

近所に、シロクロのぶち犬を二匹飼っている人がいる。
名前をきいたら「かぼす」と「すだち」という。
「かぼすが大分産れで、すだちが徳島生まれですか?」と聞くと、
「そうゆう意味ではありません」とかえってきた。
ぼくの目から見たら、一卵性双生児みたいな二匹で区別が困難だけど、
家族にはちゃんと、「かぼす」と「すだち」の違いがわかるみたいだ。

織田流煎茶道をいっしょに習っていた大分生まれの女子がいた。
みんなが「かぼす大使」と呼んでいたので、携帯の電話登録は
「か」の欄に「かぼす大使」で登録してある。
仕事も「大分に移住する人のお手伝い」をしていて、ときどき「田舎暮らしの本」
なので、「自然豊かな、豊(とよ)の国・大分でくらしませんか?」みたいな広告にモデルよろしく
顔写真がでている。同県人の古手川祐子似で、まさに「とよのくに美人」だ。

昨日の夕方、カウンターで本を読みながら、クロキリの炭酸割を飲んでいたら、
チャリンコがとまり、玄関があいた。徳島出身でヨガを毎月習いにくるNさん。
「実家からすだちが、何箱もおくられてきたので、食べるの手伝って・・」
とのこと。般若くんからおくられてきた木曾のとうもろこしと「原始的ぶつぶつ交換」をした。
クロキリの炭酸割に、すだちを半分に切ってしぼった。飲む前にのどちんこあたりが、ぐびぐび
鳴るのを準備しているような状態になる。妙高高原で調達してきた茗荷の梅酢漬けを酒肴に、
3杯飲んだ。おもわず「すだち大使さん、ありがとう」とひとりで頭を垂れて、お礼をのべた。

今日は、これから「卵かけごはん」。
今週の土曜日の営業が終わったら「能登休み」になる。
だから来月は「卵かけごはん」が二週お休み。
9月は、辛味大根の種を植えたり、駐車場の裏のさつきの畑の端にある栗と柿の
収穫祭。そしてタコ釣りも、シーズンを迎える。それに、小田原から調達するゆずを
使って「柚子胡椒」の仕込みもある。里山にも、里海にも、春夏秋冬があり、それに
あわせて、ぼくたちの暮らしにも、自然の運行にそった「暮らしの春夏秋冬」がある。
来月は冬支度のため、珠洲の炭やにいって、炭を調達する季節がやってきた。

ありがとうのし

毎日暑い日が続く。そんな中、パラ選手たちは
ハンディーキャップをもろともせず、日ごろの鍛錬の
たまもののような感動や勇気をいっぱいくださる。
ひきこもり生活の中で、猜疑心や妬みや恨みなどで、
ささくれだった人たち「がんばれ」と反対にエールを
おくってくれているようだ。

天真庵のHpも、熊本の友人の会社に勤める重度の身障者が
つくってくれた。ぼくのブログも読んでくれていて、とくに
「真民さんの詩」が最初にのった時は、「すごく感動しました」
みたいなメールをくれた。

アスリートではないけど、「ほりえ・なおこ」という生まれつき重度の脳性麻痺の女のこ
がいる。四半世紀ベッドに寝たきりで、思うように体が動ないけど、思いを
詩にした。分家のホリエモンよりも、素直で正直に生きておられる。平成6年うまれ。
詩集に「いきていてこそ」(サンマーク出版)がある。

その中に「ありがとうのし」というのがある。

ありがとうのし

いつもいっぱい ありがとう
なかなかいえないけど
いつも心にあふれている

いつもいえないありがとうが
いきばをうしなって
たまっている

いいたくてもいえない ありがとうのかたまりが
めにみえない力になって
あなたのしあわせになったら
いいのにな

こんな自身の解説があった・・・

私は自分の体を思うように動かせないし、歩くことも喋ることもできません。
そんな姿を見て皆、かわいそうだと思うみたいですが、私はけっして不幸ではありません。
私は生まれた時から両親にたくさんの愛情を注いでもらって育ち、今日まで生きてきました。
(略)
明日が本当に来ると、どうして信じられるでしょうか。
皆、本当に来るかどうか分からない明日のことばかりを考えて、「いま」を
置き去りにしています。大事な家族や仲間に、きょうのうちに
「ありがとう」を伝えてほしいのです。私が詩を通してお伝えしたいメッセージはそのことです。感謝(これはつけたし)

とうもろこしごはん

昨日、木曾からとうもろこしがきた。
木工の般若くんの工房があったところ。
3年前に金沢にUターンして、木材置き場は能登につくった。
今月は、長女のM子を一日預かって、タコ釣りを伝授した。
その時にM子が「うちのじいちゃんふたりは、私が生まれた時にもう
いなかったので、えーちゃんしかじーちゃんがいない・・」

「ばか、まだえーちゃんは、じーちゃんじゃない。しばらくえーちゃんと
いいなさい」と答えた。でも9月には65歳になる。くくりとしては「高齢者」
の仲間入りということか・・・・・

今朝は、さっそくとうもろこしごはん。
とうもろこしには、バターと醤油がよくあう。
分量の水に、とうもろこしを包丁でこさいで、芯の
ぶぶんもいっしょに入れてたく。ここが大きなポイント。
バターと醤油は適宜。ぼくは、松本の大久保醸造所の薄口醤油と
しろ醤油と、濃口醤油をつかって「甘かえし」をつくっているので、たいがい
の料理には、それを使う。

ついでに、とうもろこしの蒸かた。お湯でゆでる人もいるけど、
蒸したほうが甘味も栄養分もそのままで美味しい気がする。
その時に、皮を一二枚、残して蒸すと、もっと美味しくなる。
蒸す時間は、だいたい4分から5分。
デンシレンジ?・・・・使ったことがない。ただチンすりゃいい。
栄養もへったくりもないけど・・・

今日は土曜日なので、16時まで営業。
それから蕎麦打ち教室。
明日も同じ。
熊本でそばやを計画している友達も、今日明日で引っ越し。
4トントラックふたつで荷物をおくったとのこと。
上京してくる時は、風呂敷一個の荷物が、半世紀近くたって、
そんなに増える。体の動けるうちに、「荷物を減らす」という
のは、大事な仕事だと思う。

竜とそばかすの姫

水木・・・と久しぶりに何もない休みだった。
不要不急の外出はやめてください、とオームが覚えた
ての言葉を連呼するように、厚手の化粧したばあさんがいうけれど、
こちとらも生きた身、休みの日くらい、外の空気を吸おうと、
水筒に「水素茶」をキンキンに冷やして、錦糸公園を目指す。

オリナスの前に「すみだ珈琲」がある。ここの店主は、お味噌つくり
に毎年こられる。食や水や、もちろん珈琲豆にもこだわりをもっている。
能登で汲んできた「霊水」をおすそわけすると、ニッコリ笑って
「体無理しないでください」とのこと。自分の親のように労(いた)わって
くれる。

次に向かったのが、「パルコ」。池袋時代にも、駅前にあったけど、
一度も入ることはなかった。生まれてはじめて「パルコデビュー」。
別におかまのMくんと待ち合わせたわけでもなく、目的は映画館。
今話題の「竜とそばかすの姫」を見るため。
映画館の定番「ポップコーンとコカコーラ」は、どうも苦手なので、
一階のフードコートの「なんやら」いうお店で、スタンダードなハンバーグ
とオレンジジュースを注文して腹ごしらえ。2000円弱。大手飲食店も続々と
「ハンバーグ市場」に参入を表明している。よくわからないけど、
それが「今の時代」なんやろ・・・隣には、「すみだ珈琲」の二号店。
すみだのおねえさんたちが、アイスコーヒーやソフトクリームを
食べながら、都会のオアシスみたいにくつろいでいる。

「竜とそばかすの姫」というのは、主演と歌を中村佳穂さんが演じていて大ブレイク中。
夏休み中とあって、人数制限されているけど、子供連れのお母さん中心に、にぎわっている。
中村さんは京都精華大学出身。ぼくの京都の下宿は、松ヶ崎というすこし辺鄙なところ
のうらぶれや一軒家からスタートした。昔から「うらぶれた一軒家に住む」というのが
好きだった?ときどき、チャリンコにのって、京都精華大学(その当時は短大だった?)
近くの喫茶店に珈琲を飲みにいった。出町柳から鞍馬あたりまでいく電車がよく見える席が
あって、そこでボーとしながら珈琲を飲むのが好きだった。まだそのお店があるのかどうか、
佳穂さんがうちのお店にこられた時は聞いてみたかった。

というのは、彼女はよくお店の前を散歩していた?
この通りにある「O・・・」という、ぼくのそばのお弟子様がやっている服のアトリエにちょくちょく
きていた。Oから「明日佳穂さんが打ち合わせにくるんですが、やってますか?」ときかれる
たびに、能登へ旅してたり、仕込みをしている日だったりで、チラ見しかできへんかった。
Oも、彼女のご贔屓だけでなく、ちゃくちゃくと力をつけ、全国区になり、寝る暇もないくらいに
忙しくなってきた。先日は、珈琲豆を買いにきて「突然ですが、
世田谷に庭付きの一軒家があったので、契約して、明日引っ越します」と挨拶にきた。
というわけで、Oがこの街からいなくなった。寂しくなるけど、エールをおくりたい。

「竜とそばかすの姫」の佳穂さんの歌は圧倒される。ぜひ映画館で観てほしい。
映画館をでて、錦糸公園を歩いていたら、鳩や雀の声がして、突然
三好達治の「裾野」がおりてきた。「ひとつごと」に生きるものはみな輝いている。

その生涯をもて 小鳥らは
一つの歌をうたひ暮らす 
単調に 美しく
疑うなかれ 黙すなかれ
ひと日とて 与えられたこの命を

♪枯葉よ~

昨日は「卵かけごはん」。その時間に突然ものすごい雨が降り出した。
でも雨が降っても、槍がふっても、必ずきてくれるお客様(ひとりは通勤途中の電車を
わざわざ途中下車して、徒歩15分を雨の日は傘さし、槍の日は鎧兜(よろいかぶと)
を纏(まと)い、きてくださる。この神様みたいな人のために、能登休みは、月曜日の
営業がおわってから、が、ならわしになっている。9月からは、そのルールを少し変更して
「長めの能登やすみ」にするばってん(もう年なので、そろそろ軸足を能登の方に重心をかけまする)

お米より、小麦(パン)の消費量が多い、のは、パン屋さんの数と、スーパーで
並んでいる量でわかる。大手のだしてるショパン、もとい、食パンが、数か月も腐らないのは
なんでやろう?
輸入品、のみならず、大豆や大麦・小麦をつくる時に使う「グリフォサート」という枯葉剤は
なーに?ルーツはベトナム戦争の時に実験した枯葉剤。「ベトちゃんドクちゃん」って、昭和時代によく
テレビで話題になったよね・・・今は大昔の話だけど、その枯葉剤は、まだまだ幅をきかせている。
夏休みの宿題は、大人になってからはないけど、一度ネットで「グリフォサート」って検索して
見て、自分たちが毎日のように食べているパンや、ビールの材料の中身を、じっくり
勉強しながら、飲むとスカッとするかもなんばん。やはり「自分で確かめ、考える習慣を・・」だ。

話は変わって、珈琲豆をいれてもらっている商社の社長からメールがきた。
ぼくが、大変きにいって、能登の家の倉庫にも5年分くらいストックしている「モカ」
のなんやら農園(横文字が苦手で、なんでも、なんやらになる傾向あり)が、2021年
カップオブエクセレンスで銅メダルを受賞したらしい。SCAA方式スコア 90.37

「スペシャル珈琲」とか、特別な横文字を使って云々・・は、好みではないけど、このモカ
は、何十年ぶりにポーと恋したみたいに一目ぼれした。あげくに、隕石をつかって、
ドリッパーやカップなどを久保さんにつくってもらったり、最近は「輪花ドリッパー」
を、まわりのライバル店の人たちにも、「これ使ったほうが、いいよ」と、
「押上のおやじが押し売りにきた」みたいに、けむたがられたりしながら、宣教師のように
徘徊している。「アナタハ カミを シンジマスカ?」
昨日の夜も、銀座の某有名カフェから、「隕石カップ」の大量発注をいただき、久保さん
とメールでやりとりしながら、クロキリの水割りを飲んでいたら、日ずけ変更線を超えた。

ライフワークみたいに、全国津々浦々を車で旅しながら、ご当地の「よか水」を
試してきた。京都時代は、比叡山の湧き水、御所の横の梨木神社の水、東京では
しばらく「硯水泉」(けんずいせん)という富士山の伏流水を使っていた。
そして、能登で半分暮らすようになって、近くの山の中の「霊水」を毎月汲んできて、
そばや珈琲や煎茶に使っている。
「たかが水」なんだが、この生きた水に、ずいぶん助けられておりまする。
「還元くん」で水素茶をつくる時も、この霊水をつかっている。天恩感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

長引く自粛生活で自炊する人が増えているらしいが、お米の需要は小麦(パン)
におされまくっている。農家の人たちは、酒米のほうも、禁酒令中で需要が減った
ために、大変なことになってきた。
能登で生活していても、移住組がはじめるお店に「パンや」が圧倒していて、「ごはんや」
とか「そばや」とかは、ほぼ悦滅危惧種だ。
天真庵の近くの「キラキラ商店街」にも、新規のパン屋が目白押上。

横浜市長に「IR反対」の山中氏が当選した。この国を、原発銀座や賭博場にしたがる自民党
の人らの頭の中を一度覗いてみたい。今のコロナ対策の無策や、ワクチン一辺倒で根本的な
解決策のないお頭(つむ)にも、国民はだいぶはらかいて(頭にきて)きた。

今朝の「天声人語」には、小倉の花火メーカー・「ワキノアートファクトリー」が紹介されていた。
イベントの自粛で、全国の花火やさんが苦境に陥っているらしい。そんな中で、ドライブイン方式で、
車で乗り付けて花火を鑑賞するイベントなどを発案し、「炎の芸術」を守ろうとがんばっておられる。

小倉といえば、「無法松の一生」で小倉祇園太鼓が有名だ。
IRというのは、植民地政策みたいにオリンピック同様に、ハクジンのケトウたちが儲かるシステムを
むりくり、お金が好きな政治家たちをまきこんで誘致しようというシステム。
日本版のIR?競輪、というのは、小倉を発症にしている。
戦後すぐ、昭和23年に「小倉競輪」がルーツだ。それから毎年11月には、「競輪祭り」
で小倉はにぎわい、となりの八幡では、「起業祭」で学校まで休みにして、お祭りに興じていた。
お祭りといえば、香具師(やし)というおっちゃんらがしきっていた。「的屋 (てきや) 」ともいう

その香具師の髪型は、言えずと知れた「パンチパーマ」。これまた小倉が発症で、
出店の人気商品もご当地発症の「皿うどん」が席捲していた。
佳し悪し、は、どの世界にも、人生にも二律背反しながら、バランスよく含まれているけど、
「みんなでまわっている感」を実感できる。カジノや原発やワクチン・・・・・
どういう仕組みでまわっているのか、たまには@自分の頭をパンチパーマにして、考えてみんしゃい。

これから「卵かけごはん」
ごはん、具だくさんの味噌汁、漬物の「一汁一菜」。
この絶滅危惧種が多くの家庭のちゃぶ台(これも絶滅危惧種?)にもどることがあれば、
また夏の夜空に咲く大輪の花のような黄金時代がやってくるかもなんばん。感謝。

今日も「蕎麦打ち教室」でござるそば。

昨日は、旧友で某テレビ局を定年退職し、今月末に
熊本に帰り、築150年の実家を改装し(完成)、
そばやをはじめよう、という「くまもん」のそばもんくん
が最後の蕎麦打ちにやってきた。
「一度トワリのそばを、うちたかです」というので、
割り子なしで、800gの蕎麦粉で十割(トワリ)蕎麦を打った。

5月の連休に、もうひとりの「くまもん」が蕎麦打ちの特訓をした。
石垣島で長いこと民宿をしていたばってん、実家が空き家になったので、
こちらも大がかりな改装をして、この秋そばやがオープンする予定だ。
コロナで、昨年の7月に雲仙で蕎麦会をやってから、一度も九州へ帰れていない
ので、ひやかしと、お祝いにこの秋は熊本行きを予定している。
ふたりとも「還暦越え」なので、どこまでやれるか未知数だばってん、
昔から熊本の頑固おやじのことを「肥後もっこす」とかいって、みんな少し
自嘲ぎみに自慢する風習があるとこだから、どぎゃんかなる(どうにかなる)
ように思う。

今日も長崎産で、還暦越えの九州男児が蕎麦を打ちにくる。彼も近い将来長崎に
もどり、そばやをやる予定だ。
こんひとは(この男は)、棒術とやらの有段者で、棒一本あれば、あっという間に人を殺せる
くらいの達人。そば打ちの棒は、通称「びん棒」といって、いくらがんばっても、
清貧なイメージがつきまとう。でも、これからの時代は、貧に耐え、というより、
貧乏を楽しみながら、人生を「ゆたか」に過ごすことが、ユタカな人生を歩むコツ、だとつくづく思う。
同じ棒だけど、振り回して、まわりに元気を広げていってほしかもんばい。

ぼくは、北九州の小倉生まれで、玄海育ち。博多弁みたいな「ばってん」とか「くさ」
とか「そげん」「どげん」みたいな方言のないところで(けっして標準語ではないけど)育ったので、
熊本や長崎の言葉をしゃべれんけど、彼らと話をしていると、なんとなく、「馬刺し」や「ちゃんぽん」
をお国自慢にしてきた風土の人たちの波長に少し同調できるような気がする。

というわけで、今日も16時に営業がおわり、それから蕎麦打ち教室。
明日は月曜日。月曜日の朝は「卵かけごはん」
コロナのこともあるけど、9月は栗や柿の収穫があったり、アオリイカを釣ったり・・・
能登の仕事がいっぱいあるので、少し多めの「能登休み」をとろうと思っておりまする。感謝。

私が一番きれいだった時

昨日の朝日新聞の「折々の言葉」に、茨木のり子さんの詩
「自分の感受性くらい」の中の言葉が紹介されていた。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

説明がいらない。コロナ時代の「今ここ」で、それぞれ噛みしめて
みたいような言霊。

彼女の詩で「私が一番きれいだった時」というのがある。
女性のナルシスティックな感傷ではない。
人のせいにしない、人と比べない、時代のせいにしない、「自分の生きざま」が吐露されている。
大好きな詩のひとつ。
今日・明日は12時から16時まで営業。それから「蕎麦打ち教室」

 わたしが一番きれいだったとき 

                茨木 のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
              

能登の海にアオリイカが・・・もうすぐ秋

東京から能登へくる間、信州のサービスエリアでくつわ虫の声を聴いた。
秋、とういう風情はない。この世で一番うるさい虫の音。
この3日くらい、夜は涼しく、コオロギの音やかえるの合唱も、
なんとなく秋の気配。冬になると、このへんは、網戸が移動するくらい強い
北風が吹くけど、秋までは、高原にいるかのごとくだ。

先日、ラジオで、「睡眠コンサルタント」の女性が、「都会で生活していると、
いきなりステーキみたいに、朝しめきった部屋の中で、目覚まし音で起きる、
というのはよくない」みたいなこといっていた。
つまり、カーテンごしに薄明かりの夜明けを感じ、「そろそろ朝だ」みたいなことを感じた後、
目覚ましより少しはやく起きる、くらいがちょうどいい、らしい。
歳をとると、メラトニンが少なくなって、朝はやく目が覚める。ところが、今は若い人たちが、「
スマホ中毒で、それがメラトニンを減らす原因になっているとか・・・

バッハの音楽なんかは、眠るモードになりやすいものが多いし、自然の中の、虫のすだき、
雨音や風の音、セミやかえるの声なんかも、脳を癒してくれる効果がある。
いろいろ工夫していかないと、電磁波や、騒音や機械音の中で、深い眠りを得られないまま
ストレスな人生を過ごしていくひとが多くなっているみたい。

若い人に「ハゲ」も多くなっている。
夜中の12時から3時の間が、髪の毛を育てる時間。
その間に起きている、または眠りが浅いひと、はハゲる確率がたたくなるみたい。

能登の家の外に、みんみんゼミが鳴いている。受験生はなんやらゼミなどの夏期講習に通う時期かな。
今朝の海には、小さいアオリイカが泳ぐ姿が・・
♪いまはもう秋 誰もいない海    でも海の中には誰もかれもの魚がいっぱい。

これから、東京に出発。あっという間の能登休み。あっという間に秋。
さつきの畑の隅にある柿と栗の木も、実をたわわに抱き、来月あたりに収穫祭。
柚子胡椒をつくったり、アオリイカの仕掛けを用意したり、のんびりしているようで、
田舎暮らしは、けっこう繊細な四季のいとなみがいっぱい。自分の誕生月ではあるけど、
能登も9月が最高やね。感謝。