ぽこぽこ、珈琲

能登から帰ってきた日の夕方、近くの向島のブックオフで
「ぽこぽこ、珈琲」という本を見つけて買った。文人たちが、珈琲に関するエッセー
を紹介したものだ。

土曜日は、来月の末に熊本の実家に戻り、蕎麦屋を計画している友人が蕎麦打ちにきた。
10月には、もうひとり、5月の連休中に熊本から「蕎麦打ち大特訓」をしにきたくまもんが
蕎麦屋を始める予定だ。ぼくのお茶のお弟子様(といっても、一日かぎりのお弟子)が熊本の玉名で
おこした「たまな創生館」を中心に、3つの「癒し場」が熊本に誕生することになる。
昨年の7月に雲仙に蕎麦会をやりにいってからこっち、九州へはもどれていないばってん、
今年は記念すべき年になりそうだ。

昨日は、陸上自衛隊にながく勤務した長崎の諫早出身で、いずれは実家にもどってそばやをやりたい、というそばもんが
蕎麦を打ちに来た。一年間、みっちり蕎麦教室に通ってきたので、30分以内で元気な蕎麦が打てる。
話も九州弁でやりとりし、「今日娘と孫がきとっとです」というので「そやけん、はりきってよかそばをうてたとやね」
みたいな感じ。
そんなのりで、「野呂さんば知っとーや?」と質問したら、「知らんばってん、どげな人ですか?」と返す。
「あんたと同じ諫早で生まれ、陸上自衛隊に入ったときの経験ば書いた『草のつるぎ』で、芥川賞ばもらった人ばい」
「そげなえらい人たったら、たぶん諫早高校出身やろね」「そこまで知らんちゃん」・・

「ぽこぽこ、珈琲」の一頭最初のエッセーが、野呂邦暢(のろくにのぶ 1937から1980年)
天才といわれながら、42歳で夭折された気骨の文人。
「珈琲談義」というエッセーの冒頭の文章

地獄のように熱く、恋のように甘く、思い出のように苦く、というのがコーヒーを淹れるこつだそうである。
(略)初めて煙草を吸った日のことは覚えているのに初めてコーヒーを飲んだ日のことは記憶にない。
その頃、諫早には珈琲店は二軒しかなかった・・・・・・(略)

少し時代が違うばってん、57年前のオリンピックの開会式の時、丸物デパートの裏路地の喫茶店で
ウィンナー珈琲を飲んだのが、わが珈琲道の原点である、と自分の歴に刻まれていることは、
名誉なことだなあ、としみじみ思う。

これから「卵かけごはん」ごはんのぐつぐつ炊ける幸せな音も、ぽこぽこに負けないくらい、幸せな音だ。感謝。