日本人は、やっぱ、一汁一菜・・・ごはん・味噌汁・漬物が、一番いい。
「卵かけごはん」は、世界一の朝ごはん。
準備を忙しくしていると、だれか中年のおっさんみたいなのが、お店の
ショールムを覗くながらブツブツいっている。
耳を澄まして聞いていると、「相変わらずオカルトな店ね~」とか・・・
見覚え、いや聞きおぼえのあるおねえ言葉だ・・
顔を見たら、「おかまのM」だった。一年くらいかけて、近くの長屋から、少し遠く
の長屋に引っ越した。そんなこともあって、2か月ぶりくらいのご無沙汰。
「あ~ら にいさん 久しぶりね」といつものように偶然をよそおって、立ち話。
浅草のネットカフェからの帰りみたいで、「にいさんの昨日のブログのオカルト水?
あれ東京水よりよさげね~」というので、ペットボトルに入った「水素茶」
を一本あげた。「わたしきれいになれるかしら?この横っ腹のお肉はとれるかしら~?」
とだんだんテンションがあがってきた。
「そういえば、先日神保町の古本屋で立ち読みしていたら、シノも
もともとは、お茶とかお酒の性質がかわるものとして、使われていたらしいわね。
200円の本だったけど、にいさんにプレゼントしようと思って、次の日にまた
その本やにいったら、売り切れてたの~」
桃山時代から、抹茶茶碗や向こうずけなどに、茶人たちが好んでつかった「志野」。
先月、押上文庫と天真庵でたちあげた「天庫盛り」というブランド名の、第一弾の
「志野の大皿(7寸)」ができた。鼠志野と志野の皿。
カレー、パスタ、チャーハン、豆腐をのせても絵になるし、テイクアウトのホルモン弁当や
コンビニのサラダなんかをのせても、絵になる。
料亭や茶室や高級旅館などの器をつくってきた久保さんには申し訳ないけど、
「今どきの食卓にあう器」になった。
昨日は女子たちが二階でヨガっている時、そばの準備をしながら、その鼠志野で
カレーを食べた。年波が寄ってくると、手先が微妙に不器用になり、最後のほうの
ご飯粒をうまくスプーンですくえなくなる。上手の手から、ごはんが落ちるようになる。
そのあたりを工夫していて、実に使いやすい器だ。Mくんの本にたよるまでもなく、
志野のぐいのみや徳利で酒を飲むと、理屈ぬきに「うまい」と感じる。
日本人の情感を育ててきた器。そして感性ゆたかな人たちが、また器を育ててきた。
まさに「共育」なのだ。
「志野の大皿」に続く第二段は、「唐津のごはん茶碗」になる予定だ。
いろいろ楽しみでありまする。感謝。