昨日は、近くの集会所で「総会」だった。
年に二回ほどやる。同じように、毎年上期、下期で、
「万雑」(まんぞう)といって、各家からお金を集め、
そのお金で、神社とか、田んぼや畑や、海につづく「私道」
の整備とか、草刈りとか、修理、などを賄う。
東京都など大都市は、無駄遣いが?というほど、税金がじゃぶじゃぶ入るので、
出も、じゃぶじゃぶ状態。まさか駅までいく道に、雑草が(土がないのでないか?)はえようが、
道路の街路樹の葉っぱが、人や車の邪魔になろうが、所属する「役所」の管轄で、都民の
手を借りなくても、なんとかなる。「税金」もそうだけど、サラリーマンとう人たちは、
給料日に、もろもろな税金が、差っ引かれているので、「納税している」という意識が薄い。
それたぶん、「おかみの計らい」やと思うけど・・財政が厳しくなると、知らぬ間に、いろんな
税金が高くなる。コロナで、椀飯振舞しているお国の金庫は空っぽに近いので、これから
いろいろ税金が高くなると思う。
話はもどって、「万雑」の額も、この総会できまる。コロナで、夏祭りなど、イベントが中止
になっているので、会計はそのぶん黒字で、繰越金がいつもより多い。ただ、地方は高齢化で、
空き家になっていくスピードに歯止めがかからない。
役30戸の集落やけど、空き家は5戸くらいあり、独居の家も多くなってきてるので、
これから先の過疎は、火をみるより明らかな状態である。ということで、万雑は、いままでどおり
の金額すえおき、ということでみんなで拍手をして決定。
来月、近くの神社の草刈りをする日程を決め、無事閉会。終わるころ、ぐらりと大地が揺れた。
能登半島の珠洲が震源。梅雨前線は、能登を庇うように通過したけど、ぐらりがきた。
日本列島、どこにいても、いつ避難所生活になるかわからないくらい、災害が多い。
余談だけど、自分の所有権がある土地が、私有地から町有地として、公共になれば、塀をつくったり、
舗装したりするのは、町や市や県のお金でやってくれる。
昔から田畑や、それに付随する「土地」を、「ご先祖さまから頂戴した」という意識が強いので、
いろいろな問題が起きる。そもそも、この地球ができてからこっち、この土地は「〇〇のもの」
という権利が発生したのは、つい「こないだ」という時間軸だと思う。
そんな「しがらみ」を一反解きほどいて、おかみもしもじもも、考えなおすことができたら、
「空き家問題」とか「過疎化」の問題は、だいぶ解決するのではなかろうか?
先日紹介した岡潔先生の言葉がしみじみ染みる。
。「生存競争とは、『無明』でしかない」
無明、とは、仏教世界では、自我に近い本能、みたいな意味だと思う。
最近、ヨガとか瞑想とか、「坐る文化」が大流行しているようだ。
「坐る」という字は、土の上に人がふたり、の象形文字。
ひとりが、「自我」。もうひとりが「自己」。生きている限り、そのふたつの
ゆらぎの中で、右往左往しているのが「ひと」ともいえる。感謝。