能登でも働き方改革

昭和の中ころでも、キーパンチャーの自殺が多かった。
今では、仕事も仕事もほとんどが、PCやスマホを使う。
外食しても、大手のチェーン店などは画面をタッチしながらだし、
病院も、ラブホだってタッチパネルが幅をきかせている。
つながっていない寂しさをうめるために、ひがなスマホの中で「いいね」をまっているような毎日。

志賀町では、土曜日の朝から日曜日の朝まで、つまり土曜日の朝から
海に舟をだしたり、潜ってさざえやあわびをとったり、釣りをやったり
するのをご法度にしている。ある漁師さんにきいたら、「これも働き方改革のひとつよ」
と笑った。海の資源を自分たちで守ろう、という気持ちも現れている。
昨日は、たこ日和だったけど、そんなわけで、朝飯前は、畑で土を耕したり、草を
除去したりした。夏は「草だけ元気」みたいな状態。
前日の田植えで、腿のうしろあたりがこっている。ぼくも元気だ、生きている。

今朝はガレット片手に、パラダイス酵母のリンゴジュースを飲みながら、ブログを
書いております。それから、近所の集会所で「総会」。
小さな集落で、みんなで、結(ゆい)のように協力しながら、生き暮らしている。
昔の日本の集落の原点みたいなものが、能登にはあまたのこっている。

雨の日は、モノクローンな世界。雨音の中に、縄文時代から連綿とつながる「水の情報」
みたいなものを感じることがある。やはり能登は雨が似合う。
過疎がふえたり、老人世界になったり、鎖国状態みたいな感じで、経済の流れが滞り、
しばらく世界は斜陽の時代になる。でもひとつの家族(国家)が50人くらいの単位だった
「縄文時代」にもどって、自然と共生し、戦争もない日常にもどすのも、なかなかいいのではなかろうか、とか思う。感謝。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です