梅酢で夏バテにもコロナにも負けない体

今年仕込んだ梅を干す季節になってきた。
梅仕事をして、一番の「おまけ」は、梅酢がたくさんとれることだ。
そばの「かえし」をつくる時、最後にキャップ一杯の梅酢を入れる。
甘味をおさえた松本の大久保醸造所の醤油でつくる極上のかえしが、
「きまる」という感じ。能登の家で、毎日のように釣ったり、いただいたりするお魚を
捌いて、ブルーの網で干すときも、梅酢をシューとミストして干すと、一味違ってくる。
もちろん、夏野菜をさっと漬物にする時も、梅酢があれば天下無敵だ。

昨日の夕方、文庫ちゃんが珈琲を飲みにきた。前日土産にもろうた松本の「女鳥羽(めとば)」
の仕込み水で珈琲を淹れてみた。これもまた、無駄な雑味を排除した珈琲が
できあがった。「松本走り」は、いただけないが、まじめで一本気な松本らしい味がした。
仕事が終わって、女鳥羽の純米酒をいただいた。珈琲と同じく、質実剛健な味を堪能した。
「湧き水」は、いいね。自噴するような気をもらえる。そんな水で淹れる珈琲やお茶やお酒
はエネルギーに満ちている。

今日の真民さんの詩にも「湧き水」がのっている。

「わたしの詩」

わたしの詩は
生きるために苦しみ
生きるために泣き
生きるためにさげすまされ
はずかしめられても
なお生きようとする
そうゆう人たちに
ささげる
わたしの願いの
かたまりであり
湧き水である      坂村真民

奇跡の水 女鳥羽の泉

水曜日、いつものように、ぶらぶらと歩いて錦糸町のブックオフへ・・・
裏道を歩き、錦糸公園を横切って、夏休みで子供たちが遊んでいるのを見ながら、
駅前のロッテ会館の3階にあるブックオフにいく、のが、水曜日の日課になっている。
コロナでどこへもいけなくなった子供たちは、大きな都心の公園に中で屈託なく遊んでいる。

木陰のベンチに座って、かばんの中に入っていて、読みかけの「こころ」を読む。予備校時代以来の「こころ」。
地方から東京にでてきて、書生をやり、田舎の家の親の病気とか、死とか、相続とか・・・
いろいろな「家の問題」が綴られている。新幹線や高速が津々浦々まで整備され、ネットやテレビで
都会と田舎の「差」は一見、なくなりつつあるけど、人が「どこで生きていく そして死んでいく」
という問題は、今も昔も変わりない。今朝の新聞のコラムにあったけど、今の東京で生きていく子供たちは
ある意味、「絶滅危惧種である」とあった。いっけん逆説的だけど、そのじつは、そうかも知れない。

家から徒歩5分の宗像高校に通い、一年間小倉の北九州予備校に通っていたのも、「つい先月」
のような感じ。予備校の食堂の「すうどん」の味も、小倉駅の「かしわうどん」の味も、その「こころ」を珈琲を飲みながら読んだ喫茶店の雰囲気も、
ちゃんと覚えている。あ、という間に、半世紀がいく。「人生は思ったよりもはやく終わる」のを、痛感する。
ここからは、運と健康次第で、黄金期(アクメ)を迎えられるかどうかが分かれる。
先月から、福岡県の星野村の玉露を、不思議な魔法瓶にいれて、「水素茶」にすることを身に着け、実行している。
汗の質感がサラサラしてここちよいのと、職業病のような足のむくみが解消され、錦糸町から、豆源郷で豆腐を買って、
返るという「約一万歩」のコースでは物足りず、浅草に足を延ばしたり、亀戸の骨董屋をひやかしにいったり、
すこし「回春」気分。回春とアクメ・・・チョイスケベは健康のバロメーター。命短し、恋せよ乙女、男も。

その後、文庫ちゃんから電話。久しぶりに帰省したらしく、「松本の銘酒の仕込み水をもっていきたい」とのこと。
早歩きして帰って、その「仕込み水」と、その水をつかった銘酒「女鳥羽(めとば)」をいただく。
彼も「水素茶」仲間なので、お返しに「天神麦茶」というはだか麦茶と、原始的ぶつぶつ交換。
「つながり」が少なくなり、巣ごもりや同調圧力とやら、どこ見ても「ささくれ人間」ばかりになった昨今、
新しいコトを始めることによって、それに波動のあう人たちの輪が、すこしずつ優美に広がっていく。
そんな素敵なことはない。「水」というのは、不思議なメディアでもあり、人の「思い」をちゃんと伝達しながら、
命を紡いでくれる大事なものだと、つくづく思う今日このごろ。感謝。

貧しくとも 心はつねに 高貴であれ

トイレに飾ってある真民日めくりカレンダーが、そんなことを教えてくれた。
テレビがないので、オリンピックを観てないけど、ラジオや新聞で、「あ、やってるんやな」
というのが伝わってくる。57年前から、進歩していないのは、メダルの数の競い合い、もちろん
自分の国日本、在籍ニッポン人のメダルがふえた減ったボリボリ・・という報道には辟易とする。

「日本で一番高い山はなんですか?」と質問すると、たぶん在日ニッポン人のみならず、オリンピック
にきている外国の選手たちも、「フジサーン」と答えるだろう。では「日本で二番目に高い山は?」
と質問されたら・・・・たぶん在日問わず、正解率が消費税率を上回ることはないと思う。

「だから、ナンバーワンにならなくては、いけません」

という教育を受けて育ってきたように思う。
金メダルの獲得数にこだわるのも、「数字はウソいわない」みたいな教育方針のなごり、かもなんばん。
こないだまで「オリンピック反対」と叫んでいた人たちも、朝から晩まで、ポテトチップスや枝豆とビールで
テレビに釘ずけ・・・・・コロナもびっくりするほど、平和な日本だ、茶茶茶。

気候変動で、お茶のでき具合、そばの出来具合などが心配な昨今、世界一の珈琲の生産国のブラジルが、
霜害で生産量が減って、高騰している。
ホボブラジルは、
ブラジルとコロンビアを中心に、ガテマラ、モカなどを、微妙に焙煎を調整しながら、ブレンドし、
「ホボブラジル」をつくっている。ブラジルが、天候不良、コロンビアなど南米が政情が正常でないうえ、
コロナの感染で、ほかの産地も、人手不足で不安定な状況になってきた。
オリンピックは、利害ある輩が「安心で安全」とオームみたいに叫べば、どんな状況下でも決行
できることを東京がお手本にしたけど、自然を相手にしている「珈琲」は、この星の気候や政治などが健全な状態でないと、
飲むことができなくなる。

今日の「真民さんのことば」を、反芻してみよう、っと。感謝。

貧しくとも
心はつねに
高貴であれ
一輪の花にも
季節の心を知り
一片の雲にも
無辺の詩を抱き
一碗の米にも
苦労の恩を思い
一塊の土にも
大地の愛を感じよう   坂村真民

ぽこぽこ、珈琲

能登から帰ってきた日の夕方、近くの向島のブックオフで
「ぽこぽこ、珈琲」という本を見つけて買った。文人たちが、珈琲に関するエッセー
を紹介したものだ。

土曜日は、来月の末に熊本の実家に戻り、蕎麦屋を計画している友人が蕎麦打ちにきた。
10月には、もうひとり、5月の連休中に熊本から「蕎麦打ち大特訓」をしにきたくまもんが
蕎麦屋を始める予定だ。ぼくのお茶のお弟子様(といっても、一日かぎりのお弟子)が熊本の玉名で
おこした「たまな創生館」を中心に、3つの「癒し場」が熊本に誕生することになる。
昨年の7月に雲仙に蕎麦会をやりにいってからこっち、九州へはもどれていないばってん、
今年は記念すべき年になりそうだ。

昨日は、陸上自衛隊にながく勤務した長崎の諫早出身で、いずれは実家にもどってそばやをやりたい、というそばもんが
蕎麦を打ちに来た。一年間、みっちり蕎麦教室に通ってきたので、30分以内で元気な蕎麦が打てる。
話も九州弁でやりとりし、「今日娘と孫がきとっとです」というので「そやけん、はりきってよかそばをうてたとやね」
みたいな感じ。
そんなのりで、「野呂さんば知っとーや?」と質問したら、「知らんばってん、どげな人ですか?」と返す。
「あんたと同じ諫早で生まれ、陸上自衛隊に入ったときの経験ば書いた『草のつるぎ』で、芥川賞ばもらった人ばい」
「そげなえらい人たったら、たぶん諫早高校出身やろね」「そこまで知らんちゃん」・・

「ぽこぽこ、珈琲」の一頭最初のエッセーが、野呂邦暢(のろくにのぶ 1937から1980年)
天才といわれながら、42歳で夭折された気骨の文人。
「珈琲談義」というエッセーの冒頭の文章

地獄のように熱く、恋のように甘く、思い出のように苦く、というのがコーヒーを淹れるこつだそうである。
(略)初めて煙草を吸った日のことは覚えているのに初めてコーヒーを飲んだ日のことは記憶にない。
その頃、諫早には珈琲店は二軒しかなかった・・・・・・(略)

少し時代が違うばってん、57年前のオリンピックの開会式の時、丸物デパートの裏路地の喫茶店で
ウィンナー珈琲を飲んだのが、わが珈琲道の原点である、と自分の歴に刻まれていることは、
名誉なことだなあ、としみじみ思う。

これから「卵かけごはん」ごはんのぐつぐつ炊ける幸せな音も、ぽこぽこに負けないくらい、幸せな音だ。感謝。

明日のジョー

土曜日と日曜日は、営業を午後4時までにし、それから「蕎麦打ち教室」
をやっている。
そろそろ準備をしようと、蕎麦道具を運んだりしながら、していると、
バイクがお店の前にとまった。ジョーくんだ。3年くらい前に、海外に
アートの武者修行にでかけ、帰国したらしい。

いきなり、「ぼくUFOにのって、ノマド生活を始めました」とのこと。
「だから名刺もなく・・」といって、パスポートを見せて、
メモ用紙に名前と、電話番号を書いてくれた。おかまのMくんも、いつも
人とはじめて会うときは、そんな風にする。
確かに、これから先、きまった会社に所属するわけでもなし、オンラインで家や、ワーケーション?
じゃないけど、田舎やいきたい場所で仕事をやるようなスタイルが定着しそうな世の中では、
「名刺」とかいうものは、無用の長物になるかもなんばん。

これまでの常識が非常識になったり、たからものだったものが、無用になったり、
いろんなことが目まぐるしい勢いで、変化している。おもしろい時代でもある。

天真庵の改装を手伝ってくれた芸大の人たちが、今は平均50歳になった。
その後、ピアノを弾いたり、近くでファッションや宝石のアトリエをやっている
人たちが30歳前後。新しい時代をつくっていく宇宙人みたいな人が多いけど、
その下のジョー(今年24才)たちは、「宇宙人です」という挨拶が、日常茶飯に
なるような世代かも・・

今日も、寝起きに、冷たく冷やした玉露の「水素茶」を飲む。
この茶を飲むと、一瞬にして、ふるさと福岡の少し南にある星野村、という玉露と星
のきれいな山紫水明処にワープできる。
若い宇宙人さんたちとふれあっていると、知らぬ間に、この世とあの世をいったりきたり
できるようになるかも知れない。

今日も16時まで営業。九州産の「そばもん」が元気に蕎麦を打ちにくる。
明日の朝は「卵かけごはん」

お茶にする おちゃけにする?

毎週週末には、そば前(そばの前に飲む酒)をやり、〆に蕎麦を手繰って
いかれるような、左党(のんべえ)さんがいる。むろん、今はお店は禁酒。
東京オリンピックは、「え、ほんとにやるの」と国民の大半が思っている中、むりくり始まった。
感染予防のため観戦できない、とはいえ、「安全で安心」とは真逆な決断だと
思うけど、バッハやベントウベンたちは、馬耳東風のどこ吹く風よろしく、
涼しい顔して(厚顔無恥?)お祭り騒ぎ。

日常の生活の中で、少し狂った体内時計を正常に戻すために、酒を飲み、踊り、
バカになるのが「お祭り」のいいところだが、世界中の「政(まつりごと)」からして、
狂いっぱなしで、お金や汚職にまみれ、世界中が渾沌の坩堝(るつぼ)の中で、不思議な祭典が始まった。

全国的に猛暑が続く。台風も何個か発生しているみたい。昔から国難になると神風が吹いた、
という歴史があるけど、まさに今は「まさかの坂」の国難、大きな風が吹かねばいいけど。。くわばらくわばら

毎朝、宝瓶(ほうひん)という取っ手のない急須に、ふるさとの近くの「星野村」の玉露を50度
で淹れ、宝瓶ごと冷蔵庫に入れ、冷えたら志野の煎茶碗に入れ飲む・・・
というのが朝のならわしで、高齢者の仲間入りの年になったけど、朝からばんばん蕎麦を打ち、珈琲を焙煎し、
お店も14年を通過した。先月は会社の決算やったけど、35年(創業期に少しバタバタして、名前と登記を変更したけど、
27歳の時に会社をつくったので、もうすぐ40年)以上は続けている。運と健康が真ん中にあってこそ、だ。

そんなわけで、温度計も使わず、「50度」の加減が身についている。
しかし、先月から「還元くん」で、同じ玉露を40度の温度で12時間かけて「水素茶」を
つくり、それを四国の裸麦茶の冷やしたペットボトルに少し入れて、飲んでいる。
一か月たって・・・・
蕎麦を打つ時、焙煎する時も、エアコンをかけずにやる。どちらも夏は汗びっしょりになる。
でも、その汗にベタツキがなく、汗のにおいもほとんどイヤ感がない。たちっぱなし稼業なので、
夕方に足がむくんだり、夜中につったりすることが、当たり前だったけど、まったく一か月その兆候もない。
だから一か月間、ゴキブリ体操をわすれている(笑)
うちのヨガ女子たちも、使い始めたけど、もともとキレイな人たちが、十一(といち  10日で一割 高利貸し用語)
でキレイになっていく、そんな感じ。
焼酎をその茶で割ったり、日本酒を飲む時に、チェイサーみたく飲んでいると、二日酔いもなく、
朝からまた飲みたくなる(それはアル中というまた違う病気?)感じ。薬事法に抵触しまくり状態の
「不思議な魔法瓶」で、自分の体をつかって、いろいろ実験をしている今日このごろ。

関心のあるひとは「還元くん」で検索して、ヤッホーや楽チンでポチ買いするとよい。
昔から、骨董屋や骨董市で「だまされてもいいや」と思って、買うお金の上限が「3万」
といわれた。還元くんは、それよりも安い。天真庵で買うと、もれなく「星野村の玉露」と「元気シール」つき(笑、いやホント)
健康や幸せは、どこにも売っていないし、値段がつけられないけど、これからは、自分で
値段をきめて、自分で価値をしったもの勝ちの時代。「元気シール」を作ってくれたTQ技術の山田くん
からの紹介だったので、買って使っているけど、TQどうよう「これから」の未来商品やと思う。感謝。

ふるさとに 兄あり

「能登休み」で東京で留守の間、隣のおっちゃん(ぼくよりひとつ下)
が、毎朝ほうきでお店のまわりを掃いてくれ、プランターや鉢の植物などに、水やりを
してくれる。下町人情というか、もともとの江戸の人は親切なもんやな、と感心して
いたら、「くまもん」やった。奥様も同郷で、仕事にけりがついたら、熊本へ帰る予定らしい。
毎月、能登から帰ってくる時は、タコやさざえなど、能登の土産をさしあげる。
そこでぶつぶつ交換が成立しているのに、「熊本からおくってきた」とかいって、
お野菜などをちょうだいすることしきり。まるで、押上くまもと村?

くどいけど、寒山拾得(かんざん・じゅっとく)というのは、唐の時代の人物で、
寒山は深山の岩崖に住み、寒山詩を残した。京都や奈良のお寺などに、ふたりの姿を
描いた屏風がよく見られる。寒山は筆をもったポーズで描かれる。
いっぽう拾得は、お寺に拾われ、寺の庭掃除や、畑をやり、台所で包丁をにぎった。
だからほうきをもった構図で描かれていることが多い。今でいう「典座(てんぞ)」である。
天真庵は、四国で寒山拾得の絵ばかり描いてきた南條正一さんの絵を飾る場として、1996年
にスタートした。その絵のほとんどが能登の天真庵に飾ってある。

今朝も5時に起きてそばを打っていると、その「くまもん」さんが、拾得よろしく、外をはいて
くれる音がし、続いて、ホースから元気にでる水の音がした。
朝散歩する老人が「なんで、隣のお店の掃除や水やりしてんの?」と声をかけた。
少し素っ頓狂な裏声で「ヒマだから」と答えている。
無目的で「ただ」というのがえらい。まさに普賢菩薩の化身だと伝えれれる「拾得」の弟子みたいな人ばい。

近くのマンションで、ひとりで住むおばあさんが、毎日のように珈琲を飲みにこられる。
そのマンションは、お寺の敷地内にあるこのあたりでは古い分譲マンションで、彼女はこの秋、齢(よわい)80歳
になるが、まわりの住民さんたちは95歳とか平均年齢が卒寿を超えているらしい。

そのおばあさんは、毎朝5時におき、かつおぶし(月にいちど築地までバスで買い出し)と利尻昆布
と干し椎茸で出汁をとり、みそ汁をつくる。エレベーターをつかって、まず下の階に住む長老の95歳のおばあちゃんの部屋に、
味噌汁とごはんとお惣菜をもっていき、あさごはんを食べさせ、薬を飲むのを見届けて、自分の部屋にもどる。
すると、いつものメンバーが(気のおけない、それでいて、ごはんがかたい、とか、入れ歯だからトマトは湯引きして、
とか、てんぷらには天つゆより塩、しかも抹茶がはいったのがいい・・とかいうワガママな独居老人たちが3人から
5人)やってきて、朝ごはん。さながら「テキパキババアのカフェ」だ。食後は、珈琲か抹茶。
友達がくれたエスプレッソマシンで珈琲を淹れるらしいが、圧倒的にお抹茶を所望されるらしい
。おばあちゃんは名にしおう裏千家の先生。
その後、リハビリ中の90歳のおばあちゃんといっしょに、
一時間の散歩・・・・というのが日課らしい。大島と押上コースがあるらしい。

「もちろん全部タダ」だと笑う。年金は一年に150万らしく、
ほとんどが、そんな献身的なコトに使われているらしい。なかなかできないことをサラリとやっておられる。
隣接するお寺の掃除もすすんで箒をもって、ボランティア。まさに「典座」であり、寒山拾得の拾得なのだ。
時計の横に飾ってある「生」の筆字を見て、「これひょっとして、いや、間違いなく白井晟一の書よね」といった。
14年そこに飾ってあるけど、いいあてたのは「ふたりめ」だ。

火曜日の二時すぎ、30度を超える暑さの中、そのおばあさんが、トマトを一抱えもってきてくれた。
「福井の兄がつくった『越しのルビー』。今年が最後になるわ」と寂しそうにいった。その越前のお兄様は
ガンで今年のはじめ、余命6か月を宣告された。それでも毎年当たり前にするように、トマトの苗を自前で3万円買い、
育て、成果物は近所の老人ホームにタダでさしあげ、東京でひとり暮らす妹に、ほかの野菜とともに箱いっぱい送る。
「お嫁さんや子供たちには、頑固で厳しい兄だけど、私は目の中にいれてもいいくらいのやさしさで接してくれるの」だそうだ。
休みの水木の二日は、おばあちゃんのお兄さんがつくったナスや胡瓜やトマトなどを、天座よろしく、
精進料理の材料として、調理してみた。むろん、般若湯よろしく、お酒のアテとして、しみじみいただいた。
土の味であり、兄さんの魂が込められた野菜たちに、涙腺と汗腺の隠し味。感謝。

越しのルビー ふるさとの土 兄の汗        南九

さきの東京オリンピックの開会式の日・・

昭和は遠くなってきた。「さきのオリンピック」は1964年、昭和39年10月10日
「体育の日」が開会式だった。
北九州八幡区の天神小学校の二年生やった。皿倉山のふもとにあった小学校で、新日鉄(そのころは八幡製鉄やった)
の中心地で、「本事務所」と呼ばれる、八幡製鉄の本社所在地(たぶん今は大手町)が近くにあった。
クラスメートの8割は、製鉄所の社員の子供たち、残りの半分も、下請け、孫請けの会社に通う人たちの子供たち、
残りが商店主とか医者とか、不動産屋のせがれとかいった構成だった。11月には学校も休みになって、
「起業祭」という祭りでにぎわったとこ。

「鉄の街の記憶」という有名な本があるけど、まさに「鉄の街」の城下町やった。今は少しきったけど、100万都市。
特徴はまったく違うけど、福岡には博多と北九州の100万都市がふたつあった。
博多と小倉と黒崎には、「井筒屋」というデパートがあった。子供のころは、到津(いとうず)動物園にいって、
小倉の井筒屋で、バナナのたたき売りや、食堂でチャンポンを食べるのが無二の楽しみやった。

昭和44年に閉店になったけど、八幡にも「丸物(まるぶつ)デパート」という老舗のデパートがあり、ワンパク仲間たちと
よく遊びにいった。その当時はでかける時に「10円ちょうだい」というのが、当たり前の時代で、デパートに
いっても、買えるものはなく、「見るだけ」やった。でも高度成長期なので、家電など新しいもんがどんどんできた時代で、
「見るだけ」で充分楽しめた。
東京オリンピックは、そんな仲間たちと、丸物デパートの家電売り場で見た。家にも白黒のテレビはあったけど、
丸物デパートのテレビには、色がついていた。エノケンがカラーテレビの宣伝をしていた時代。
♪うちのテレビにゃ色がない・・となりのテレビにゃ色がある  あ~らなぜかとよく見たら 三洋カラーテレビ。
それにも感動したけど、はじめてきいた「オリンピックファンファーレ」のトランペットが奏でられた時は、
不整脈になった?くらいクラクラしたことを昨日のように覚えている。

興奮がさめないまま、デパートの裏にあった「喫茶店」に入った。
すこしませた話やけど、友達のお母さんが小さな喫茶店をしていた。いつもいきれいに掃除され、静かなジャズが流れていた。
ぼくたちは、それぞれのポケット
に10円しか入ってなかったけど、ときどきカウンターに座り、オレンジジュースや、アイスクリームを
食べた。たぶん200円とか300円とかしたのだろうが、10円でなんとかなった。
その日は近所の常連さんがカウンターにすわり、珈琲を飲みながら、「しんせい」とかいうタバコをすっていた。
えらいカッコがいいと感じて、「ぼくはあれが欲しい」といったら、ママさんが「ウィンナーコーヒーね」
といって、砂糖大一小一と珈琲をカップに入れ、ホイップクリームをさじで上手に入れ、そこにまたフレッシュを
のせ、白い磁器のカップでだしてくれた。ぼくが生まれてはじめて珈琲を飲んだ日。さきのオリンピック
の開会式の日の思い出。

もしも、その日に聴いたファンファーレの影響で、音楽の道をめざし、作曲家なんかになって、
今回の東京オリンピックの開会式の音楽の担当に選ばれたとしても、「昔、喫茶店で無銭飲食の常連だった」
という過去がバレ、辞任の憂き目をみていたかもなんばん。友達のおかあさんママが入れるウィンナー珈琲
の所作のほうが、のむら少年のその後の人生に影響を与えた、ということか・・感謝

月曜の朝は卵かけごはん

日本人は、やっぱ、一汁一菜・・・ごはん・味噌汁・漬物が、一番いい。
「卵かけごはん」は、世界一の朝ごはん。
準備を忙しくしていると、だれか中年のおっさんみたいなのが、お店の
ショールムを覗くながらブツブツいっている。
耳を澄まして聞いていると、「相変わらずオカルトな店ね~」とか・・・
見覚え、いや聞きおぼえのあるおねえ言葉だ・・

顔を見たら、「おかまのM」だった。一年くらいかけて、近くの長屋から、少し遠く
の長屋に引っ越した。そんなこともあって、2か月ぶりくらいのご無沙汰。
「あ~ら にいさん 久しぶりね」といつものように偶然をよそおって、立ち話。

浅草のネットカフェからの帰りみたいで、「にいさんの昨日のブログのオカルト水?
あれ東京水よりよさげね~」というので、ペットボトルに入った「水素茶」
を一本あげた。「わたしきれいになれるかしら?この横っ腹のお肉はとれるかしら~?」
とだんだんテンションがあがってきた。

「そういえば、先日神保町の古本屋で立ち読みしていたら、シノも
もともとは、お茶とかお酒の性質がかわるものとして、使われていたらしいわね。
200円の本だったけど、にいさんにプレゼントしようと思って、次の日にまた
その本やにいったら、売り切れてたの~」

桃山時代から、抹茶茶碗や向こうずけなどに、茶人たちが好んでつかった「志野」。
先月、押上文庫と天真庵でたちあげた「天庫盛り」というブランド名の、第一弾の
「志野の大皿(7寸)」ができた。鼠志野と志野の皿。
カレー、パスタ、チャーハン、豆腐をのせても絵になるし、テイクアウトのホルモン弁当や
コンビニのサラダなんかをのせても、絵になる。
料亭や茶室や高級旅館などの器をつくってきた久保さんには申し訳ないけど、
「今どきの食卓にあう器」になった。

昨日は女子たちが二階でヨガっている時、そばの準備をしながら、その鼠志野で
カレーを食べた。年波が寄ってくると、手先が微妙に不器用になり、最後のほうの
ご飯粒をうまくスプーンですくえなくなる。上手の手から、ごはんが落ちるようになる。
そのあたりを工夫していて、実に使いやすい器だ。Mくんの本にたよるまでもなく、
志野のぐいのみや徳利で酒を飲むと、理屈ぬきに「うまい」と感じる。
日本人の情感を育ててきた器。そして感性ゆたかな人たちが、また器を育ててきた。
まさに「共育」なのだ。
「志野の大皿」に続く第二段は、「唐津のごはん茶碗」になる予定だ。
いろいろ楽しみでありまする。感謝。

力を抜いて、ヨガる・・・

宣言がでているし、お酒のつまみなどを仕込むことなく、珈琲とそば
の準備ができたら、おしまい。なんとなく腑抜けするような感じ。
卵焼きなんて、毎日焼いてこそ、美味く焼く旨さ(技)が保たれるようなところだが、
出番がない。そばがきも、水を飲みながらでは、今流行りの「ペアリング」にもならへん。
いろいろストレスいっぱいな時代やけど、みんなで頑張ろう!日本。。ちゃちゃちゃ。。

東京は先日梅雨明け宣言をし、日中は30度を超え、しかもお店の前は、工事。
工事魔多し・・・(工事違いやけど)・・ではないけど、「お客さんがくるような条件がなにもない」
能登から帰ってきて初日は、体の動線も慣れていないし、「ま、暇でもいいや」
と高を括っていた。ら、開店そうそうに満席になり、そばが一時間ちょっとで売りきれた。
あとは、「カフェ営業」。ようわからんばってん、そんな土曜日だった。
「もうひとつの土曜日?」・・そんな歌がカラオケで流行った昭和が遠のく。。。

お茶をいれて12時間待つのダゾ、で「水素茶」ができる摩訶不思議な「マホ魔法瓶」(正式名称は、還元くん)
が3本も売れたり、相変わらず、アイピローは注文ばかり増え、お待たせ状態・・・・不思議でいっけん怪しげ
なものが大人気になってきた。「新しい時代になった」んやろね。水素茶は、わかるひとは「飲んで3秒くらいして、『これください』」
といわれる。今日のヨガの人たちにも注文をもらっていたけど、残念ながら本日は在庫なし、だ。
「うつみん」こと、医者の内海さんも、この魔法瓶を本で絶賛されておりまする。
また先月は、こんな本もだされた。もうワクチンを「うつもん」ときめた人はともかく、「?」と
思っている人は、読んでみてください。「くくり」たがるのは、日本人の特性だけど「♪いいじゃないの幸せならば~」

『医師が教える新型コロナワクチンの正体本当は怖くない
新型コロナウイルスと本当に怖い新型コロナワクチ
ン』(ユサブル) 。

閉店間際に、常連さんが珈琲を飲みにきた。
「蕎麦会」などがあったので、「割り粉」がなくなり、「浅草(かっぱ橋)まで買いにいってくるわ。ごゆっくり・・」
と挨拶して、でかけようとしたら、「チャリですか?バスですか?」と聞かれたので、「いつも歩きやで」
と答えた。ら「こんな暑い日に、歩きはヤバイっすよ」と年寄り扱いの心配までしてくれたけど、無視して歩く。
往復1時間30分(浅草とか徘徊しながら・・)くらい、朝飯前(夕飯前か?)だ。
かえってきて、くだんの「水素茶」を500mlくらい飲み干す。じっと(汗ばむ)手をみる。

ほんまは大石さんのライブの予定だったけど、中止になったので、昨日はゆっくり
能登で釣ってきたタコを刺身にして、「遊穂」というUFOで町おこしをした羽咋の地酒を飲む。
身土不二というけど、いいものは、他所で食べたり飲んだりしても、美味いものだ。
「美味しいものを食べる、よりも、おいしく食べる」の工夫をしたいものだ。
おいしく食べるコツは@よい友達と食べる!
よい友達を持つコツは@「まず、自分がよい友達になる」ことだと思う。

今日も16時まで営業。それから「ゆるゆるヨガ」。力を抜いて、ヨガる!根源的な喜びに到達するコツ!

明日の朝は「卵かけごはん」だ。