ダッチ珈琲を極める

水出し珈琲のことを、そう呼んでいた時代がある。
ぼくが珈琲の修行をした京都の「からふねや」は、夏の「アイスコーヒー」(昔は関西ではレーコー、いってた。京都では。マイコーいってた。ウソ)
は、水出し珈琲を使っていた。少し深入りしたコーヒー豆を、サイフォンと同じように細かい粉にし、比叡山で汲んできた水を、ポタリポタリ
とゆっくり落としていった。その落とすスピード、いうか、リズムを途中で調整するのが、水出し珈琲をうまくいれるコツ。むろん、味は珈琲豆が9割左右する。
明後日は「焙煎教室」があるので、時間があれば、そろへんを伝授してみたいと思う。
そばは、半分が水。珈琲はほぼぶらじる、もとい、ほぼ水。「生きた水」を使うのがカギだ。
東京水もうまくなっているけど、まだまだ。天真庵では、ブリタの中に「うめ星」を入れ、ろ過&隕石の力を使った「宇宙水」
を使って、そばも珈琲も淹れている。

水出し珈琲の器具も、いろいろなものが市販されているけど、天真庵で使っているのは、
般若くんが、木でつくってくれたスカイツリーみたいな枠に、地元のガラス職人にオーダーした
ものを使っている。水を調整する部分は、「擦り師」というガラス職人の相方が丁寧にやってくれた。
もう80近いおじいちゃんだけど、彼がいなくなったら、今のような珈琲はできないと思う。
口では説明できないけど、水が落ちる「波動」がまったくベツモノなのだ。
市販の珈琲ポットも、口先が鶴の嘴みたいに細くて、誰がやっても同じような出方をするけど、けっきょく
それでは、「普通・平均」的な味しかでない。お茶とか珈琲には、「そのひとの味」を抽出してもらいたいね。

先日、甥っ子のこうたくんが蕎麦打ちにきて、帰り際に「おいちゃん(ぼくのことを、そう呼ぶ)、最近K社のミルを
買ったけん、珈琲が格段と美味くなったっちゃん。」といった。
「同じDNAを受け継ぐ味にしたかったら、ミルは石臼にせんとあかんばい」と伝えた。加えて「輪花ドリッパーを使わんと・・」
言おうとしたがやめた。先月、「能登ジェラトン(隕石粉入り器)」のドリッパーを買ってくれたことを思い出した。
「能登ジェラトンのドリッパー」と「輪花ドリッパー」の違い・・・これは嗜好の域の話になるかな?
どちらにせよ、道具を自分なりに工夫することが肝要。いろいろ渾沌としてきた今のような時代は、ナニゴトも
「原点」にもどってみるといい。「温故知新」が、どの世界でも見直されるのではないかしらん。

天真庵が目指すおいしい珈琲は、水出し珈琲も同じ

のみ口 ひと口めが すっきり
人肌に さめても まったり
あと口 余韻が  一時間

余談だけど、本日19時からのテレビ「オモウマい店」にて、新橋のヘッケルンが紹介されるらしい。
今年50年になる喫茶店でプリンが美味い。店主の「人生」がつまった味わいがする。
創業からずっとサイフォンで珈琲を出す。その手つきが、また彼の人生そのもので、茶道のごとしだ。
これから「喫茶道」を目指す人には必見かもなんばん。感謝。