オンラインで「おいしい珈琲の淹れ方講座」を開講!

梅の剪定を、毎年まじめに、こつこつやってきたことも一因かも知れないけど、
今年の梅茶翁の梅は元気な小梅ちゃんたちが、たわわに連なっている。
2月の味噌作り、と、6月の梅仕事、12月の年越しそばは、会社が毎年決算を迎えるように、大事な「くぎり」
になっている。竹も節から葉っぱが生えるように、人生も節々から、一本の道のような葉
がでてくる。今は世界中が大きな節目を迎えているけど、ここで「なにをするか」が大事
なんやろな~

昨日の夜、NHKで能登の鹿島駅の桜のドキュメントをやっていた。穴水というカキで有名で、
相撲の遠藤の故郷でもある。七尾湾には、ぼら待ちのやぐらがくまれていて、桜の季節は、
無人の駅から湾を借景に見る桜は、粋。「さくら駅」のあだ名を持つ駅だ。
末期がんで58歳のお医者さんが、この星にお別れするよな目で桜を見る姿が印象的やった。

全国に無人の駅や、廃線になった駅跡、というのがある。かつてそこに人が往来し、
見送られたり、見送ったりしながら人生の別れと出会いを味わい、旅人は得も言われぬ旅愁を
感じた場所。そんな場所に桜が咲いている、というのは、まことに「偲ばれるもの」があまた
あっていい。

能登の家のある志賀町(昔は、富来(とぎ)、といった。富が来る、なんともいい縁起の名。)
昔から多くの船乗りさんがでたところ。みなこの町からでていく時には、三明(さんみょう)
という駅から旅立っていった。ぼくには知るよしもないが、東京からの行き帰り、「三明駅跡」
を車で通るたび、不思議とその土地の地縛霊?たちと周波数があったりするから不思議だ。
べつに、なんの特別な宗派でもないばってん。ネットで検索したら

「三明駅(さんみょうえき)は、石川県羽咋郡富来町(現志賀町)三明に存在した北陸鉄道能登線の駅である。富来町唯一の鉄道駅だったが、1972年(昭和47年)に廃駅となった。能登線の終点で、当初の計画ではさらに富来を経て輪島へ到る予定だったが、資金難によって当駅から先への延長は果たせなかった。 」とある。

今は人の気配も少ない場所だけど、そんな土地で、「喫茶店」をやるのも粋だな~、と思う。
「なりたつ」とか「なりたたない」とかいう、お金優先ではない、素敵な楽園みたいな「居場所」を
見つけられる人は、「幸せ」やと思う。

能登でマーケティング的に、「いちばん」だったのが、和倉温泉界隈。世界中から人がくる観光地。
もちろん、石川県でいちばんは、金沢だ。でも、世の中がひっくりかえって、そんな
場所で高い家賃を払いながら営業をやっていた飲食店は、苦戦を強いられている。
東京も同じだし、今緊急事態宣言にある都市もみなそんなそんな具合だと思う。

マーケティングとかいうやつも、コロナの後の経済とかいうやつも、これまでの数式では、
計れない世界がもうすでに始まっているのではないかしらん。
昨日、留守中に自主的?に天真庵のプランターなどの水やりをしてくれる文庫くんの
ところに、「いわしのこんか漬け」と「わかめ」をもってお礼にいった。
「自粛」で、東京都の飲食店は酒も提供できないので、普段は各地の銘酒が並ぶカウンターに
「輪花ドリッパー」がおいてあった。能登休みの間、毎日オンラインで講習した「おいしい珈琲の淹れ方」
を毎日練習していた気配。

(注)
オンラインといっても、流行りの「ズーム」とかではなく、釣りをしたり、畑仕事をしたり
する間に、ガラケー電話で
「先週、錦糸町のブックオフに、イノダアキオさんの淹れる珈琲はなぜうまいのか、
が700円であった。買うといいよ」とおくる。
2時間後に「貴重な情報ありがとうございました」と返信がくる。
またある日
「ホボブラジルを少し濃いめに淹れて、砂糖とホイップ、ぼくらの時代はフレッシュいうとった。
昭和50年代の京都の喫茶店の味はそれや」とおくる。
つぎの日
「貴重な情報ありがとうございました」と返信がくる。

本来は、弟子にあたる人が「師」をさがして私淑するのが師弟関係。
「勝手にオンライン」では、弟子にあたる人が、ただ迷惑するだけかもなんばん。
「本日でオンライン珈琲授業はおしまい。卒業です」とおくってみようかしらん。
きっと間髪をおかず
「貴重な情報ありがとうございました」と返事がくるのだろう。

今日は土曜日なので、12時から16時まで営業。
16時からは「オンライン」をはずした「蕎麦打ち教室」

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