湖月館

ぼくのHPのリンクの一番上にある。
福岡出身の作家福永武彦氏ゆかりの宿であり、筆子さんの
おばあちゃんの生地からも近く、前々から気になっていたので、
ままよ、で一泊してみた。能登の家から車で30分くらいでいける距離。
へんな話ではあるが、「能登の定宿」にしたくなるほど、料理よし、女将と若女将
よし、文人たちの知的な余韻が残っていて、酒を飲むほどに、なんとなく饒舌になる、不思議な癒し宿だ。

昨年は梅林ガールズたちと、輪島の「夕陽がきれいなホテル」に泊まって能登の夕陽を見ながら地酒を飲んで
談論を風発したが、今年は、「湖月館」を「能登の大人の修学旅行」の宿にしたい、と思う。
信州へ修学旅行にいった時、高校の国語の先生から「夜明け前を読んでいく」のを宿題にさせられた。
同じように、この宿に泊まる前に、福永武彦先生の随筆「遠くのこだま」を読んでこれれると、きっと能登の旅愁がかわってくるはずだ。

筆子さんのおばあちゃんは、明治32年にこの地で生まれ、大正のはじめころ東京に奉公に生き、
大工のおじいちゃんと結ばれ、その嫡男の長女が、筆子だ。
大女将は、宿から近くの銭湯屋の娘さんでそこから花嫁として嫁いでこられたらしい。彼女の母は30年近くに天国に引っ越しされたらしいが
筆子さんのおばあちゃんとは、生まれ年も、同じだし、
もしかしたら、友達だった可能性も高いし、間違いなく同じ学校に通い、そのお風呂に浸かったに違いない。
「家の近くに梅林があった」という生前の口癖も、大女将から「そうそう、確かにありました」との証言も得られた。
人の縁というものは、自分ひとりの縁ではなく、親やその親のご先祖さまの加護を、いただいているのだと痛感させられた。

今日宿から能登の家に帰ってきた。駐車場に車を止めるがはやいか、近所のかたが「今朝釣れた魚もっていって」
といって、ハチメ(めばる)を6尾いただいた。昨日宿へいく前に立ち寄ったジャムやで調達したいちじくジャムと
原始的ぶつぶつ交換して、さきほど、開いて、梅酢をぬって、天日干しにした。
能登に暮らしはじめて3年が過ぎ、観光客や旅人の目線が、地元の住民目線になり、四季折々の風物詩
にも、あまり肩肘張らず、力まず、自然体で「能登で生きている」という感じになってきたように思う。
ただ、出会う人たちが、みな「無駄のない縁で繋がっている」感が強く、何か大きな自然の神様みたいな
ものに、「ありがとうございます」と祈りたい気分の日が続く。天恩感謝。

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