かりもの かしもの

昨日、無事に能登の家に到着。途中の信州の山々には、新緑が芽吹き、
能登に近づくと、藤の花が野趣たっぷりに、ほかの木々を覆うように咲いている。
縄文人たちは、藤の春が咲くとイルカがやってくる、という時計をもっていて、みんなで協力
して捕獲し、保存のために魚醤などの醸す技術を身につけた。最近盛んに「発酵食が体によい」
と、かしましいけど、縄文人たちは、ネットもスマホも冷蔵庫もない時代から、ちゃんと心得ていたし、
宇宙人たちとも自然に交流していてみたい。

彼らは宇宙規模で「かしもの かりもの」という哲学を
身に着けていた。考えることもなく、この自然の中に生かされているぼくたちの、細胞や臓器の
ひとつひとつは、自分でつくったワケでも、親がくれたワケでもなく、ホルモン系・自律神経系などが
知らぬ間に、自動に働いてくれて、息をしたり、嚥下・咀嚼、消化、排泄などを勝手にやってくれている。
言い換えると、親や兄弟や財産や身のまわりのモノも、みな「借り物」で、神様が必要なとき
に必要なだけ無利子で貸してくださる。だから「自分だけ儲けよう」とか「今だけ良ければいい」
とかいうおそまつな守銭奴感覚がなく、長い時代、戦争がなく平和な世界やった。

いつものように、お店の最終日であまった「そば」と「珈琲豆」をご近所さんに、おくばりする。
留守中に、畑をやってくれたり、お願いもしないのに、雪が降ったら、雪かきをやってくれたりする。
こんなことも、縄文時代は、日常茶飯だったし、地方や東京の下町では、
当たり前のように、醤油の貸し借りをする。これもまた「かりもの かしもの」の縄文哲学やと思う。
お返しに、野菜やサザエや海藻をいただき、今朝の味噌汁の実は、地産地消の能登味噌汁。

昨日能登の家のポストに、三輪福さんからスマートレター。表に「配達ありがとうございます」
と、郵便配達の人へのメッセージ付きで、中に話題の「わきあいあい」(アイピロー)
が入っていた。音楽療法の手法で、アイマスクの中に、不思議な波動を転写したものが入れてあり、自作の藍染
の布に入れ、こめかみのところには、「まろさま」(小さな隕石玉)をふたつ上手に入れてある。アロマの香りもさわやかだ。
さっそく、昨日は、それを着けて寝てみた。UFOがきたら、見えるようにと、いつも寝室の窓は
障子をあけているけど、真っ黒になるので、そんな雑念は吹き飛び、かえるの合唱を聴き続ける時間も
わずかに、熟睡世界を気持ちよく徘徊できた。感謝合掌。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です