喫茶人かく語りき

川口葉子さんの新作「喫茶人かく語りき」(実業之日本社)がでた。
朝卵かけごはんの時に出版社から届いたので、厨房の中で立ち読みしていた。
月曜日が旗日であろうが、雨がふろうが、(槍はふったことないけど、ふっても)、
来る常連様が、いつものように「卵かけごはん」を食べて、帰っていかれた。
旗日でない時は、スーツを着て、途中下車で押上駅から歩いてこられる。だから
その時は「いってらっしゃい」と声をかける。
昨日は旗日なので、GパンにTシャツ姿だ。だからそんな時は「休みを目いっぱい楽しんでくださいね」
といって、送り出す。

夕方、そのお客さんが、少しテレクサそうな顔して入ってこられた。休みの時に、二回くる、
というのもならわしで、さしてびっくりしなかったけど、開口一番、「卵かけごはんの後、
この界隈を散策して、カブキにいったので、お土産です」といって、線香の箱のようなモノを
くれた。吉右衛門にいさんあたりが、体調不良らしいので「歌舞伎役者で誰か死んだの?」と素っ頓狂な質問をしたら、
「いいえ、蔵前のカブキにいったので、チョコレートを買ってきました」という。勝手に線香だと、思いこみが先行した。
ますます、回転のにぶくなったおつむでに、がってんマークが点滅せず、「???」な感じで佇んでいたら、
厨房の中の本・「喫茶人かく語りき」を指さして「天真庵の紹介された3ページ前くらいに
でているお店です」というので、ペラペラめくっていると、カブキ、というくだんのお店(くだんといっても、九段ではない。蔵前。)
がのっていた。なるほど、自作のチョコレートと自家焙煎珈琲の二枚看板のお店。正確なお店の名前は「蕪木」(かぶき)らしい。

この本の帯には

いま私たちに必要な52の喫茶店と98の名言   疲れたら少し休めばいい。おいしい珈琲を飲みながら

とある。青山に煎茶のお稽古に通っていた時、いや正確には40年以上前に開店した時から、ちょくちょく
飲みにいってた「大坊珈琲」(8年くらい前に閉店)や、お花の原田先生の会報誌「一雫(ひとしづく)の会」
に参加してくださっていた博多の「珈琲美美」の森光宗男さんの言葉も紹介されていた。
原田先生も、会報誌の編集長の武内さんも、森本さんも、今はあの世に引っ越しをされた。
昔、京都のかれふねや時代に、河原町三条店の近くにある「六曜社」も、三代目が登場していて、
月日の流れを感じた。ぼくがからふねやの店長をしていたのは、40年以上も前のことだ。

「脱サラ」を考えている人が、「喫茶店でもやろうか」というのが常套句だった。
最近は、喫茶店がカフェという名に代わり、もっと気楽に、
「おばあちゃんの家にあった古いカップをテーブルに置いたら、そこがカフェになりました・・ボリボリ」
というような風潮が漂っている。
昭和のころは「企業の寿命は35年」というのが常識だった。ITが進歩して、平成以降は「企業の寿命は5年」を切った。
チェーン店や外資のお店が幅をきかせていて、最近の「個人経営の喫茶店(カフェ)や飲食店」の平均寿命
は、2年に満たないかも知れない。コロナ時代、副業や転職を考えている人が多い。
「喫茶店でも・・」の「でも」が消えて、「かく生きたい」という信念が自噴したら、今は逆に、おおいなるチャンス
の時かもしれない。「!」と思ったら、「喫茶人かく語りき」を買って読んでみられることをお勧めいたす。

明後日は「そったく 焙煎塾」
こんな時代に、カフェをやりたい、という奇人たちが4人もやってくる。感謝。

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