天真庵の藍色のれんは、副店長だった元気(ちわわ)が旅立った朝に、デジカメで
足跡を撮り、書家でIT企業の社長のSに頼み、トレースして、Sが揮毫した「天真庵」
という書体といっしょに、関西ののれん職人に頼んだものだ。
11年になるので、つぎはぎで刺し子のようなふうたいになったので、また職人に
新しいものをお願いした。職人がみな高齢化になってきたのと、染料や生地も旧来ものが
手に入れにくいご時世らしく、できるのに数か月かかるらしい。
夏は、白いのれんをかけるので、秋には新しいのれんがかかる予定。
昨日の蕎麦打ちは旧友で、ぼうテレビ局のえらいさんTで、今年定年退職して、実家の熊本にもどり「そばや」
をやる予定。山鹿という、灯籠祭りで有名なところ。九州の祭りとしては、珍しく雅なものだ。
先月も、もうひとりべつのくまもんがそばの特訓にきて、石垣島でやっていた民宿をたたみ、実家の熊本の
古民家を改装しながら、10月開店めざしてそばやの準備をしている。この秋、天真庵のDNAを持つそばやが二件、熊本にできるっと、いうことになる。
Tは、仕事がらもあり、タレントさんや歌手などをひきつれて、蕎麦を手繰りにきてくれた。
「天真庵のそばは通算100杯は食べた」と豪語するくらいの常連さまのひとり。
早稲田出身でもあり、熊本から上京した時、早稲田の老舗のそばや「三朝庵」でアルバイトを
していたらしい。
「そばやで始まり、そばやで〆る・・・なかなか粋な人生やね」というと笑っていた。
「三朝庵」は、早稲田の学生の食べ盛りの腹を満たすために、カレー南蛮や卵とじカツ丼
の「元祖」のお店でもある。創始者・大隈翁も通ったという老舗も、時代の流れ
もあり、惜しまれながら、のれんを下げた。
店の入口脇には「元近衛騎兵連隊御用/元大隈家御用 」の看板が掲げられ、のれんには「早稲田最老舗」と染め抜かれていた。
「のれんを守る」とよくいわれるけど、シンコロの影響もあるが、なかなか生き残るのが大変な時代
になってきた。
「のれんに腕押し」よろしく、ニヤニヤしながら生きているような輩も多く、生まれついての小倉気質から
「くらっそ きさん」(小倉っこは小さいころから、こんな気合言葉を発しながらケンカをしてきた)
といいたくなるようなことしきり・・・でもいい年になったので、そろそろ温厚な好々爺をめざして、
老後の準備をしようか、などと考えている今日このごろであります。おわり。