のれん

天真庵の藍色のれんは、副店長だった元気(ちわわ)が旅立った朝に、デジカメで
足跡を撮り、書家でIT企業の社長のSに頼み、トレースして、Sが揮毫した「天真庵」
という書体といっしょに、関西ののれん職人に頼んだものだ。
11年になるので、つぎはぎで刺し子のようなふうたいになったので、また職人に
新しいものをお願いした。職人がみな高齢化になってきたのと、染料や生地も旧来ものが
手に入れにくいご時世らしく、できるのに数か月かかるらしい。
夏は、白いのれんをかけるので、秋には新しいのれんがかかる予定。

昨日の蕎麦打ちは旧友で、ぼうテレビ局のえらいさんTで、今年定年退職して、実家の熊本にもどり「そばや」
をやる予定。山鹿という、灯籠祭りで有名なところ。九州の祭りとしては、珍しく雅なものだ。
先月も、もうひとりべつのくまもんがそばの特訓にきて、石垣島でやっていた民宿をたたみ、実家の熊本の
古民家を改装しながら、10月開店めざしてそばやの準備をしている。この秋、天真庵のDNAを持つそばやが二件、熊本にできるっと、いうことになる。
Tは、仕事がらもあり、タレントさんや歌手などをひきつれて、蕎麦を手繰りにきてくれた。
「天真庵のそばは通算100杯は食べた」と豪語するくらいの常連さまのひとり。

早稲田出身でもあり、熊本から上京した時、早稲田の老舗のそばや「三朝庵」でアルバイトを
していたらしい。
「そばやで始まり、そばやで〆る・・・なかなか粋な人生やね」というと笑っていた。
「三朝庵」は、早稲田の学生の食べ盛りの腹を満たすために、カレー南蛮や卵とじカツ丼
の「元祖」のお店でもある。創始者・大隈翁も通ったという老舗も、時代の流れ
もあり、惜しまれながら、のれんを下げた。
店の入口脇には「元近衛騎兵連隊御用/元大隈家御用 」の看板が掲げられ、のれんには「早稲田最老舗」と染め抜かれていた。

「のれんを守る」とよくいわれるけど、シンコロの影響もあるが、なかなか生き残るのが大変な時代
になってきた。
「のれんに腕押し」よろしく、ニヤニヤしながら生きているような輩も多く、生まれついての小倉気質から
「くらっそ きさん」(小倉っこは小さいころから、こんな気合言葉を発しながらケンカをしてきた)
といいたくなるようなことしきり・・・でもいい年になったので、そろそろ温厚な好々爺をめざして、
老後の準備をしようか、などと考えている今日このごろであります。おわり。

まろさま

開眼アイピロー「まろさま」をつけて寝るようになって半月。
歳をとると、体の中のメラトニンが少なくなり、寝つきが悪く、しかも浅く、
朝がはやくなる傾向がある。散歩、それがいつの日にか、徘徊といわれるように
なるのだが、犬と散歩していても、どちらが人間?みたいになってくることしかり。
ぼくも還暦をこえ、メランコリー、いやメラトニンが少なくなっていたけど、この
半月は「健眠」で、県民性が福岡から石川にかわったげなくらい、違っている。

能登に5年前に移住して、梅茶翁を運営する三輪福さんが、「ちゃねった」といって、
この不思議なアイピローをつくった。とどめのように、こめかみのチャクラに、「能登ジェラトンのちんこいうめ星」
を入れた。彼女が「小うめ星をいれると〇です」とメールをくれた瞬間、「まろさま」という名前が降りてきた。
昨日天真庵のHPにもアップさせてもろうた。
6月は、梅仕事で忙しいのと、手仕事でやっているので、受注のほうが優勢で、
少しお客さんの手元に届くのが、おくれている状態だけど、使った人たちの「声」は上々で、
利益優先で生産をアップし、マーケットを広がれば、上場することも可能?
と、彼女にいったら、笑われた。あくまで、能登で梅仕事をしたり、はちをかったり、稲や野菜やハーブを
育てたりするほうが優先みたい。それでいいと思う。理想的な「能登でいきる」をやっておられる。

今日は日曜日なので、16時まで営業。
それから、蕎麦打ち教室。
昨日は、長崎と福岡出身の「そばもん」が、そばを打ちにきた。
今日は熊本のそばもん。「くまもん」のキャラみたいに、やさしく、歌がうまい人。
テレビ局のえらいさんやけど、そろそろ退職して、熊本で「そばや」をやる、のかな?
いろいろ老後(もう老後?)の楽しみがいっぱい。

明日の朝は「卵かけごはん」

手押し車も、包丁も、七輪も一生もの

能登で、おばあちゃんが手押し車をひいて、路傍で山菜を積んだり、海岸で
海藻をとったりする姿を見て、「アウトドアグッズ」だと悟った。
能登には、もうふたつ伝統的なアウトドアグッズがある。

ひとつは「マキリ包丁」
九州から日本海経由で北海道まで、命をかけて渡りあるいていた北前船。
漁師さんたちが、今でも必ずもっている水陸両用の万能包丁。
釣れた魚を捌く時はもちろん、海が荒れ、イザという時は、船のロープを切るし、
陸にあがった時は、鉈替わりに、道をさえぎる蔓や木の枝を落とす、山菜を捕る、
イノシシや獣と遭遇した時は、武器になる。
家庭用の文化包丁とは、少し次元が違う包丁。
「ふくべ鍛冶」で検索すると、能登の鍛冶屋さんのページがでてくる。
イカの包丁が、大ブレークしているけど、マキリ包丁も2年近く待ち状態。
「ホンモノ志向」というか、どうせ買うなら一生もの、という日本人が増えてきている。

もうひとつは、珪藻土の七輪。昨日紹介した本「理不尽な進化」にもでていたけど、
恐竜が滅んだとされる、地球と隕石の衝突の時、しばらく大気圏に二酸化酸素の層ができて、
太陽光が届かず、地球の温度が下がったらしい。その時、珪藻(海で生息する単細胞のプランクトン)は、
冬眠するという習性がたまたま生かされ、絶滅をまぬがれた、らしい。
その珪藻が、化石のようになったものが珪藻土で、能登の珠洲が埋蔵量?が一番で、昔から
能登の家には、必ずといっていいほど、置かれている。サザエや魚などを、炭火で焼くことの贅は、
都会くらしには高値の花だが、この珪藻土は、軽くて、使った後はすぐ熱がさめるので、車の中
に積んでいると、ここという時に「いきなりバーベキュー」ができる。
ただし、車の中で使用すると、「いきなり天国」の可能性もあるので、気をつける必要がある。

ぼく的な「アウトドア用品の三種の神器」

今日は、土曜日なので16時まで営業。
その後ふたりの「そばもん」が、蕎麦打ちにやってくる。
時代のせいか、みんなまじめに蕎麦打ちとか、珈琲塾にやってこられる。
生徒さんが真剣だと、こちらもスイッチが入って、気合が入る。
そばも珈琲も「道具」がつきもの。茶道・華道・武道・・・・
日本人が学ぶもので「道」という字がつくもの、それにつれそうようなものを「道具」という。
みんな命がけで通ってきた道に具わったもの。
ぼくの仕事場の道具は、久保さんの陶器(そばの器、珈琲カップ、輪花ドリッパー・・・般若くんの木工(椅子、そばのまな板、ちゃびつ・・・角居くんの金工(お茶道具の茶たく、燗酒用のチロリ、茶合など)
使いこなしながら、時を共に刻んてきたものがあふれている。みんな「手」の中の仕事つながり。縄文人から受け継ぐ「ものつくり」の原点がそこにある。感謝。

豊葦原瑞穂国

日本はそもそも、そんな風に呼ばれた。「とよあしはらみずほのくに」
清らかな水が流れ、葦がしげり、みなで協力しながら、米や穀物をつくる。

今朝の新聞に、「お米があまって、値段が下がっている」という記事。
コロナ禍で、巣ごもりが日常茶飯になって、お茶やお米の需要が増えているのでは、と
思いきや、反対らしい。重い気がしてきた。それぞれのポリシーや志向は勝手だけど、
なんとなく、危うい未来を感じる。

来月は、能登で梅仕事。梅林がある梅茶翁は、「瑞穂」という地名がついている。
梅林のとなりに、水田があり、昨年はそこに田植えをしたけど、イノシシさんが
「さきに食うバイ」といって、秋の実りは先住民さんの胃袋に入り、今年また再挑戦。
今、能登の水田には、清い水がはられ、田植えしたばかりの若い稲が、明鏡止水の上を
踊るように凛然たる命がゆらぎはじめた。
里山の緑も芽吹きも美しく、ところどころに、その木々にストールをまくような淡い色の藤の花が
咲き乱れている。海では珪藻というプランクトンが発生し、海底にはさざえやあわびが育ち、
ワカメや黒藻が光合成を受け大きくなり、その
まわりにメバルやいわし、あじ、タコが元気に育っている。囲まれている海はみな、本来はそうやった。

梅林の近くに、みつばちの巣箱を置いた。昨年は、「空き家」だったけど「空き家情報」を検索した
日本ミツバチが住むようになった。もちろん、一匹ではない。何千匹のシャアハウスになっている。
「日本ミツバチ」も絶滅危惧種になっている。ツバメが毎年梅茶翁の倉庫に巣をつくる。
東京では、まったくツバメを見ることがなくなったね。すずめやツバメも、絶滅した飛ぶ恐竜の末裔だ。

昨日は一日雨だったので、「理不尽な進化」(吉川 浩満  壇蜜やない)を読んだ。
この地球という星が生まれて、あまたの生物が生まれ、絶滅していった。
その絶滅率は、99・9%。今生きている種は、なんと1000分の一。
よくいわれる経済用語の「センミツ」より低い確率である。
人間はサルから進化して、成長を続け、木から降り、狩猟や農耕を学び、
いろんな道具を生み出し、原発や原爆までつくり、環境を汚染し、自分たちの
存亡さへ危ぶまれるところにある。
進化してかろうじて、1000分の一に残っているように思えるばってん、ほんとうは、
もうすぐ絶滅のゴールに近づきつつある。そんなことか、理路整然と書かれていて、
たいへん勉強になった。少し骨太の本やけど、読む価値あるわ。

「安全に制御されている」と世界に公言した原発の汚染水は、海に垂れ流され続ける中で
、各地の原発が再稼働され、緊急事態宣言の中で「オリンピック」を開催しようとし、
ミツバチもツバメも、入居拒否をしている空き家よりひどい都市の家に住み、外出も
酒もままならず、じっと巣ごもりをしている「今」は、まさに、「おわりのはじまり」
みたいな状態かもなんばん。
テレビや新聞の記事、井戸端会議の話題も「ワクチン」一色。
問題はもっと、根本的なところにあるように思う・・・・今日このごろ。感謝。

手押し車

天真庵の前の通りを、十間橋通りという。おおかたが「じゅっけんばし」
と発音するので、それが正解なんかしらへんけど、ちょっと前までは「じっけんばし」
というのが、正しい呼び名なだった。時代とともに、日本語もかわってくる。

通りをわたったところに、「アコレ」というスーパーがある。「あれこれを買う」から
命名されたらしい。これから暑くなって、
かちわりの氷が足らなくなったら、徒歩数秒のところに冷蔵庫がある、がごとくの便利な都会生活だ。
能登では、徒歩25分のところにある「総合デパート 中根酒店」が一番近い。
ときどき氷を買いにいくけど、夏本番の時は、さすがに保温バッグに入れても氷が解けてしまう。
家の前の海は、季節の魚や貝や海藻を恵んでくれて、「冷蔵庫のごたある」と思うことしきりであるが・・

「アコレ」は朝8時に開店。じいちゃん、ばあちゃんは朝がはやく、体内時計も少しずれておられるのか、
手押し車を押してお店の前にきたら、7時50分だった、みたいな光景をよく見かける。
コロナ禍の中で、見えないストレスもたまっていて、ささくれじいちゃんが、
「いつあけるんか」みたいに、定員に喰ってかかったりするのも日常茶飯になってきた。
雇われている定員さんたちは、お客さんを無碍にできないマニュアル世界におられるので、「8時になったら、
開けますので、少々お待ちください」といって、ささくれじいさんにやさしく答える。

昨日、11時前に、おばあちゃんふたりずれが、まだ暖簾もだしていないお店に入ってきて、
「もうそばが食べられるよね」と、定員さんみたいな小生にのたまわれた。
「12時からなんで、あと1時間後によかったらきてね」と答えたら、「じゃ ここで待たせてもらうわ」と椅子に座ろうとしたので、
「これから、掃除して、空気を入れ替えて、珈琲淹れて、やっと12時にあけるとよ」
とやさしい九州弁でいって、お帰りいただく。だいたい、こんな場合は、12時にまた再度来店という確率が0%に近い。
別に「がんこ親父」をきどっているわけではないけど、なんでんかんでん「お客様は神様ばい」という接客態度は、
日本人の「礼節」を絶滅危惧種にするような気がしてならないし、性格上そげな技は使えへん。
でてきた珈琲やそばを、パブロフの犬のようにスマホに撮ろうとする輩のマナーは、犬以下やし、そんなことを
お店がゆるしていると、日本人は「一億総露出症」になってしまうと思って、天真庵では写真を固くお断りしている。

「手押し車」は、年寄りの必需品になってきた。デザインも進化し、電動のものも登場したり・・・
ぼくも「ワクチンの優先するよ」の年になったけど(正確には秋やけど)、まだ手押し車はもっていないし、
カタログももっていない。ばってん、こないだ能登の各地で、じいちゃんおばあちゃんたちが、手押し車を、
路傍に置いて、蓬(ヨモギ)や、ぜんまい、わらびなどを採っている光景をあまた見て、
「田舎では、手押し車は、立派なアウトドアグッズ」だと、悟った。
見方、視点を変えたら、「不安な老後」も、ウキウキした気分で待ち遠しくなったりするもんだ。

先日、久保さんから、新しい志野と鼠志野のお皿が届いた。一昨日は、ヨガの日だったので、カレーを鼠志野の器で食べた。エッジが
少し角度をつけて、老人でもお米がスプーンですくいやすくなる工夫が施されてある。
ただ今、中ヒット中の「輪花ドリッパー」の輪花も、志野も鼠志野も、桃山時代から日本人に愛されてきた技巧を
使っている。桃山時代は、珈琲もカレーもなかったから、これもまた「時代の要請」である。
夭逝せずに、60代まで元気に生かされていたことを、つくづく感謝しながら、カレーを完食。
明日はスーパームーン。もう一つの志野の皿で、ペペロンチーノでもつくって食べようかしらん。
桃山陶の志野・織部・黄瀬戸で、料亭や老舗旅館の器をつくってきた久保さんの最近の、
珈琲カップ・輪花ドリッパー・カレー(パスタ)皿・・・時代を超越した超絶技巧で、いい感じで、いろいろな
「居場所」に嫁いでいる。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

最近、卵かけごはんの醤油のかわりの「柚子胡椒」を
使うと、「ベツモノ」になることを発見、はまっている。
天真庵では自家製の柚子胡椒を毎年秋に仕込んで、熟成させて
味噌作りの始まる2月くらいから発売する。お店でそばの薬味に
使うので、あまり多くは売れないけど、昨年までは売り切れごめん、
に半年かかったが、今年は一か月で完売。みなが、「卵かけごはん」
に使い始めたとは、思わんのやんどクサ、九州人としては、うれしかバイ。

能登で暮らしはじめて3年。毎年春になると、まだ寒い中、近所のおばあちゃん
たちが、ウェットスーツばきて、家の前の海で、ワカメや黒藻をとって、庭先に大きな笊の上にのせ、
天日で海藻をほしいておられる。先月、4月に干したワカメをもろうた。
「味噌汁にいれるのもいいけど、指でちぎって細かくして、それをふりかけにしたらおいしいよ」
とのことだった。さっそく、朝ごはんを卵かけごはんにして、それにふりかけた。「ベツモノ」
というより「ベッセカイ」だ。
思わず、次の日、「ごちそうさまでした」とお礼をいいにいくと「5月にはいると、ワカメがかたくなって
おいしくなくなるけど、この時期のは、少しだけど、干してパッケージに入れて、市場にもっていったり
してる」とおっしゃるので、10袋お願いした。
まだ帰ってきて、二日しか営業していないけど、それも完売になった。
みんな「月曜の朝のみならず、卵かけごはん」になりつつあるのかしらん。

昨日は「蕎麦打ち」の前に、新宿の老舗?の「障害者福祉の施設」の方が珈琲を飲みにこられた。
そこの施設で、「珈琲を淹れる」という授業をしたら、ひとりの男の子が、目を輝かせ、
自分でミルをガリガリやって夢中になったらしい。ただ、市販のミルだと座りが悪く、もつとこも
不安定で、からまわりをしているところ、「どこか、石臼みたいなもので、珈琲を淹れてる奇人はいないか・・」
とネットを検索したら、天真庵がひっかかり、「!」と思ったらしい。
担当の人は同志社大学出身の京美人で、「からふねや」によく行った、ということだった。
思わず「おおきに」といってしまってんねん。九州弁になったり、京都弁になったり、天然だな~。

蕎麦打ちにきたふたりも、「障害者福祉」関係の人で、「つながり」を感じ、大いに盛り上がった。
人は必要な時に、必要な人と、無駄のない縁みたいなものを感じながら、出会っていく。
そんなことを実感するスピードがあがってきているように思う。
「ワクチンを優先します」の年よりになってしまったけんど、そんなことやっている場合じゃない、
くらいに、毎日忙しく、手回し焙煎機でガラガラ珈琲を焼き、それを石臼でボリボリとひいて、
売茶翁が使っていたようなミルクパンで、桃山時代に流行った「輪花」の手法で焼いた「輪花ドリッパー」で
一杯づつ珈琲を淹れる日々是好日な毎日。

昨日はじめて蕎麦打ち体験をした20代のあかりちゃんが「こんなきついことを、毎朝やっているんですか?」
と真顔でいった。「還暦こえたら、足腰が痛い、とかいう感覚がなくなるねん」といったら、
「ふーん」といって、吹き出した額の汗をタオルでぬぐっていた。
確かに、手打ちそばと、手回し焙煎機で自家焙煎の「そばと珈琲のお店」というのは、
簡単にできることではない。40代に、ボクシングジムに通い、ホノルルマラソンを何度も完走し、
今は、毎日の日課が一時間の「徘徊散歩」。スクワットや腕立ては、思いついたら何度もやっておりまする。
イワジー直伝の「なんやら調息法」も、かかさずの日課になっておりまする。これは不思議な世界との「つながり」を
感じまする。はやくまたイワジーとかっぽれができる世の中にもどってほしい今日このごろ。

今日も「蕎麦打ち教室」に新人そばもん

昨日は、16時にお店を閉めて、ベテランのそばもんが屏風に上手に坊主の絵を描いた、
みたいに上手にそばを打った。
それを見ていたあかりちゃんが、灯りをつけましょぼんぼりに、みたいに
こころに灯りがともされ「私もそばを打ちたい」と叫んだ。
「いつでん、よかよ」といったら、「最短はいつですか」と真顔で問うので
「明日どうや」といったら、OK牧場。今日はベテランと新人の蕎麦打ち教室。
なんやら、そばもんがぞくぞくと入門してくる。

不思議な美容業界のカリスマ女子も蕎麦を手繰りにきて、
新しく登場したアイピローの「まろさま」を見て、「これはすごい」とおほめの
言葉をいただいた。この人が「すごい」とか「最高」とかいうのは、
必ずヒットする。
しめに「輪花ドリッパー」でほぼブラジルをいれたら、「このドリッパーは最高!」
と叫んだ。どちらも、大ヒットしそうだ。いや、もう走りだした感の手ごたえがある今日このごろ。感謝。

今日の真民さん

「あとから来る者のために」

あとから来る者のために
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を
川を
海を
きれいにしておくのだ
ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしていくのだ

 

オンラインで「おいしい珈琲の淹れ方講座」を開講!

梅の剪定を、毎年まじめに、こつこつやってきたことも一因かも知れないけど、
今年の梅茶翁の梅は元気な小梅ちゃんたちが、たわわに連なっている。
2月の味噌作り、と、6月の梅仕事、12月の年越しそばは、会社が毎年決算を迎えるように、大事な「くぎり」
になっている。竹も節から葉っぱが生えるように、人生も節々から、一本の道のような葉
がでてくる。今は世界中が大きな節目を迎えているけど、ここで「なにをするか」が大事
なんやろな~

昨日の夜、NHKで能登の鹿島駅の桜のドキュメントをやっていた。穴水というカキで有名で、
相撲の遠藤の故郷でもある。七尾湾には、ぼら待ちのやぐらがくまれていて、桜の季節は、
無人の駅から湾を借景に見る桜は、粋。「さくら駅」のあだ名を持つ駅だ。
末期がんで58歳のお医者さんが、この星にお別れするよな目で桜を見る姿が印象的やった。

全国に無人の駅や、廃線になった駅跡、というのがある。かつてそこに人が往来し、
見送られたり、見送ったりしながら人生の別れと出会いを味わい、旅人は得も言われぬ旅愁を
感じた場所。そんな場所に桜が咲いている、というのは、まことに「偲ばれるもの」があまた
あっていい。

能登の家のある志賀町(昔は、富来(とぎ)、といった。富が来る、なんともいい縁起の名。)
昔から多くの船乗りさんがでたところ。みなこの町からでていく時には、三明(さんみょう)
という駅から旅立っていった。ぼくには知るよしもないが、東京からの行き帰り、「三明駅跡」
を車で通るたび、不思議とその土地の地縛霊?たちと周波数があったりするから不思議だ。
べつに、なんの特別な宗派でもないばってん。ネットで検索したら

「三明駅(さんみょうえき)は、石川県羽咋郡富来町(現志賀町)三明に存在した北陸鉄道能登線の駅である。富来町唯一の鉄道駅だったが、1972年(昭和47年)に廃駅となった。能登線の終点で、当初の計画ではさらに富来を経て輪島へ到る予定だったが、資金難によって当駅から先への延長は果たせなかった。 」とある。

今は人の気配も少ない場所だけど、そんな土地で、「喫茶店」をやるのも粋だな~、と思う。
「なりたつ」とか「なりたたない」とかいう、お金優先ではない、素敵な楽園みたいな「居場所」を
見つけられる人は、「幸せ」やと思う。

能登でマーケティング的に、「いちばん」だったのが、和倉温泉界隈。世界中から人がくる観光地。
もちろん、石川県でいちばんは、金沢だ。でも、世の中がひっくりかえって、そんな
場所で高い家賃を払いながら営業をやっていた飲食店は、苦戦を強いられている。
東京も同じだし、今緊急事態宣言にある都市もみなそんなそんな具合だと思う。

マーケティングとかいうやつも、コロナの後の経済とかいうやつも、これまでの数式では、
計れない世界がもうすでに始まっているのではないかしらん。
昨日、留守中に自主的?に天真庵のプランターなどの水やりをしてくれる文庫くんの
ところに、「いわしのこんか漬け」と「わかめ」をもってお礼にいった。
「自粛」で、東京都の飲食店は酒も提供できないので、普段は各地の銘酒が並ぶカウンターに
「輪花ドリッパー」がおいてあった。能登休みの間、毎日オンラインで講習した「おいしい珈琲の淹れ方」
を毎日練習していた気配。

(注)
オンラインといっても、流行りの「ズーム」とかではなく、釣りをしたり、畑仕事をしたり
する間に、ガラケー電話で
「先週、錦糸町のブックオフに、イノダアキオさんの淹れる珈琲はなぜうまいのか、
が700円であった。買うといいよ」とおくる。
2時間後に「貴重な情報ありがとうございました」と返信がくる。
またある日
「ホボブラジルを少し濃いめに淹れて、砂糖とホイップ、ぼくらの時代はフレッシュいうとった。
昭和50年代の京都の喫茶店の味はそれや」とおくる。
つぎの日
「貴重な情報ありがとうございました」と返信がくる。

本来は、弟子にあたる人が「師」をさがして私淑するのが師弟関係。
「勝手にオンライン」では、弟子にあたる人が、ただ迷惑するだけかもなんばん。
「本日でオンライン珈琲授業はおしまい。卒業です」とおくってみようかしらん。
きっと間髪をおかず
「貴重な情報ありがとうございました」と返事がくるのだろう。

今日は土曜日なので、12時から16時まで営業。
16時からは「オンライン」をはずした「蕎麦打ち教室」

閑人敵意の韻事

梅林のある三輪福の梅茶翁の庭で、星野村の玉露の新茶をいただいた。
天真庵のHPの「不思議な元気グッズ」の中の「二十一世紀の旅茶碗セット」
をのぞいた三輪福さんから「二十・・・」の注文を承り、その「旅茶碗セット」
でご相伴にあいなった。
能登ジェラトン(隕石器)の宝瓶、煎茶碗、で飲む玉露は最高だった。

漱石の「草枕」に、玉露を飲む有名なくだりがある。

濃く甘く、湯加減にでた、重い露を、舌の先へひとしずく落として味わうわって
飲むのは「閑人敵意の韻事」である。

煎茶の先生が後輩たちに「玉露の味わいかた」を伝授する時、必ず引用する文である。
「新潮文庫」には、*がついていて、解説が次のように書いてある。

ひまな人間がきままにおこなう風流

なんとも味気ない。先日のブログに書いたように、「閑」というのは、
一見ひまそうにしていても、こころに燃えるものがあったり、大いなる力
と繋がっていくような「生きている」という静かだけど、ほとばしるようなエナジーが
なければ、おもしろくない。「ちゃねる」ような仙人みたいな境地を知っているひと。

その三輪福さんがつくっている「わきあいあい」(仮称)のアイマスク
が静かに優美に広がってきた。「ふくべ」さんの包丁と同じように、何か月も先まで待たないと
いけないので、詳しくはいえへんけど、10日間くらい能登で実験してみると、
いろいろ不思議を体感した。ブランド名を「チャネル」にしたらいいかもなんばん・・くらい
不思議だ。値段も仕様も、使用もさせていないけど、まわりから「できたらひとつお願いします」
の声があがってきる。梅仕事が終わったあたりから、製品ができあがってくる予定。感謝。

いかんともしがたい?「イカ用出刃包丁 待ち時間24か月」

能登の能登町というところに、「ふくべ鍛冶」という老舗の鍛冶屋さんがある。
3年ほど前、こちらに移住をきめた時、能登の漁師たちがみなもっている「マキリ包丁」
を注文した。北前船で九州から北海道までの海路を往復する海の男たちが、
「サケの腹をさばき、イクラをとったり」「危険な時は、船のロープを切ったり」「丘にのぼれば、
山菜をとったり、マタギ包丁のように四つ足を解体したり」・・・というアウトドア万能の包丁を
つくりあげた。能登の漁師たちは、注文したマタギ包丁ができると、自分で鞘をつくり、それを
どんな時でも身につける、というのを、「能登の男のみだしなみ」レベルの感覚で一生モノのように
もっておられる。

コロナ禍の中、「男子厨房にも立とう」という機運もあり、包丁などに「こだわり」を持つ
輩も増え、ふくべの「マキリ包丁」が、一年ちょい待ち状態で、大人気ならしい。
本日、梅茶翁の梅林の草狩りにいく道すがら、「津久司鮨」「数馬酒造」「ふくべ鍛冶」
を梯子した。マキリ包丁は、日常に使っているけど、最近そこで人気沸騰の世界一長い名前の包丁が
話題になっている。「イカ用出刃包丁 待ち時間24か月」・・・性格がいいかげんなので、正確な
名前はネットで検索してほしいけど、ここの「刃物」はホンモノで、しかも安い(この包丁も一万もしない。5800円?)
これもネットで確かめてほしいけど、信じられないくらい安い。その場で若女将に注文。昨日の昼ごはんの内容も失念する年ごろなので、
二年後に覚えているかどうか不安ではあるばってん、とにかく注文した。

「津久司鮨」は、さかなくんらコアなファンが支える「能登一」の鮨や。
ランチの鮨は、地元の魚が8貫で550円。ぼくはいつも12貫の「大盛?」で、これが750円。しかも神経じめなど手間がかかっている。
しかも、久保さんの備前の大皿に盛られてくる。これはぼくが、主人が離婚された時の「離婚祝い」にあげたもんだが、
そのあたりから、人気が沸騰し、腕もあがり、遠くは、金沢や他県からもお客さんがやってくる。
土曜・日曜は、お昼だけで「100人」くらいくるようになったらしい。いつも合言葉のように「算数ができんようになった?」
と質問する。主人は「もともとできません」と答える。備前の皿もだいぶへたってきたので、本日はまた違う長皿をプレゼントした。

そこから徒歩2分のところに、「竹葉」の数馬酒造がある。
昨年11月、世界最大のワインコンテスト「IWC(インターーナショナル・ワイン・チャレンジ)」
で「竹葉 生酛純米 奥能登」が金賞をとった。能登の酒造はみなレベルが高いが、この金賞をとったのは
初めての快挙だ。
いつものように、一升瓶6本をお店で注文していたら、若女将がでてきた。
「世界チャンピオン おめでとう」といったら、「みんなで抱き合って喜びました」とのこと。
五代目蔵元が、34歳。彼女はその嫁はん。これからが楽しみな酒蔵だ。

その後、梅茶翁にいき、梅林へ・・・
やはり今年は梅雨入りが速いので、梅がたわわになっていて、木によっは「マスカット?」
というくらい梅の実がたわわになっている。
毎年6月の終わりに「梅仕事」をするのがなわらしになっているけど、少し前にしないと、まずいかもなんばん。
さっそく能登の家にもどり、カレンダーを眺めながら・・金賞をとった「奥能登」を飲みながら、
かなり酩酊しながら、6月のスケジュールを調整中。

明日の朝、東京に向かう。忙中閑あり。
「閑」という字は、門に木の鍵がかかってある象形文字からできた。
「暇」みたいなニュアンスでいたけど、東京と能登を往復していると、時間の「質」
の違いが体全体で感じられるので、それが「暇」ではなく「生」(生かされている)という
自然と一体になった感が感じられるようになった。
「ゆたかさ」とか「幸福感」みたいなものは、この「閑」の中に入っていそう。
都会の疲れをとる。ボーッとしていても、とれへん。土を耕したり、梅林で剪定をしたり・・・
やはり「いい汗をかく」をしながら疲れをとる。そんなコツが少しつかめてきたかもなんばん。感謝。