一昨日は、木工の般若くん家族が金沢からお遊びにきた。
14年ぶりに、お店の椅子やドアの修理を2泊3日でやってもらい、家族サービスを
かねてやってきた。小学校5年になる長女のM子は、ぼくが命名させてもろうたので、名付け親、
ということになっている。彼女は、両親が出会ったきっかけを天真庵がつくってくれて、
それで自分や妹がいる、というわけで、大切な人というより、能登の親戚、より上の「てんしさま」みたいなものだ、
と言った。生まれる前から天真庵にきて、今は押上小学校の3年のTくんが「昨日まで、テンシアン、だと思っていた」と
先週いったことを思い出して、「M子、まさかテンシアン、と思っていないよね?」と聞くと、「違うの?」
と👀を丸くした。「天使庵」に改名しようかしらん・・
昨日は、能登町の梅茶翁にいって、年末に剪定した梅の枝を拾った。薪ストーブの火だねに使う。
昨年の春は、コロナのため、英国に帰れなくなったユーリ家族と薪割りをやったり、温床をつくったりした。
あれから1年。ユーリは昨年夏、出張先の京都で四十路をまたずに、召された。1年前と同じように、ミントなどのハーブや
ヤブツバキやボケの花が咲く庭で、山菜の天ぷら、朝掘りの筍のさしみ、庭で栽培している能登115(椎茸)、あかもくと玉ねぎのかき揚げ、
などを食べた。4人とも、5年前までは、墨田区で暮らしていた、とは思えないくらい田舎暮らしが、自然になってきた。
午後の野良仕事の時は、人参とよもぎのジュースを飲んだ。コロナが落ち着かず、能登里山空港の利用率が、平年の78%減らしい。
非常に厳しい数字だけけど、はやく元にもどって(しばらく無理だろうが)、東京から梅林ガールズたちを迎えたいもんだ。
この一年、いろいろなことがひっくり返るように激変した。いやこれからが本番かもなんばん。
でも、これまで気づかなかったこと、ありがたいこと、なども、たくさん発見した。
そんなこともまた、これから花咲く今年になりそうだ。一見、絶望するようなことばかりが目立っているけど、
「サムシンググレートのはからい」は、そんな小さなことではなく、人知を超えたところにあるのではなかろうか?
なんかそんな希望のようなものが、すこしづつ見えてきているようにも思える春。
春の海 ひねもす のたりのたりかな 蕪村
能登路は、菜の花がいっぱい咲いております。
菜の花や 月はひがしに 日はにしに 蕪村