昨日は、家の前の海でとれた「生わかめ」を、
昨年千葉からUターンでもどってこられた近所のおばさんに
お裾分けしてもらった。能登ではこの季節、「わかめのしゃぶしゃぶ」
を食べる。都会では、野菜とかお肉やらをいれて、しゃぶしゃぶするのが普通だけど、
こちらでは、旬の礒をまるごと味わうのがならわしで、わかめのみを、しゃぶしゃぶする。
このそぎ落とされた「海の恵み」を味わうには、「能登に住む」しかない。
能登の柳田というところに、合鹿という地があり「合鹿碗」という伝統的な漆の器がある。
三輪福さんが、それを再興した作家の手ほどきをうけ、自作で合鹿碗をつくった。「ごうろくわん」
その作家を紹介してほしい、とメールをしたら、おまけに「この映画見てみて」という
メッセージがかえってきたので、昨夜見てみた。
サムシンググレートなると繋がる「祈り」をテーマにしている。大好きなマザーテレサさん
やダライダマ翁などもでてくる。
最後に、素敵な詩が朗読された。昔、ニューヨークによくいってたころ、定宿やったセントラルパークの前にあった
「エッセクス・日航ホテル」に泊まり、近くの日本人がやっていた「割烹 麦」という居酒屋(仙台出身の主人)で、
ホヤを酒肴に「いいちこ」を飲んでいたら、その店に「ドネーション」をお願いしにきた美容師の女性に、声を
かけられ、ぼくもその場で100ドルのドネーションをお願いされ、それが「日米陶芸コンテスト」を主宰する、
という内容ので、そのまま審査委員のボランティアまで頼まれ、久保さんや南條先生の作品も、海を渡った、そんな縁ができたお店。
。そして、そんな流れで、「ニューヨーク州立病院の壁に刻まれた詩」のことを教えてもろうた。
そのころもピンときたけど、今の時代、「つながる意味」がより切迫しているので、今のほうがより沁みる。
「ニューヨーク州立病院の壁に刻まれた詩」
大きな事を成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚を学ぶようにと弱さを授かった
より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱をあたえられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
求めた物は一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ物であるにかかわらず
心の中で言い表せないものは全て叶えられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されていたのだ 感謝(この二文字は、刻まれていません 原文はもちろん英語)