徘徊散歩

昨日、仕込みをしていたら、おじいちゃんが「ちわっす」と入ってきた。
先月柱時計を修理してくれた骨董屋みたいなお医者さん。息がきれているので
「亀戸から歩いてくるだけで、息がきれているなんて、医者の不養生ですね」
といったら、「一時間以上かかってきました」と笑っている。
「ひょっとして、道に迷った?認知が始まった?」といくと、「3月で病院を
やめたので、毎朝2時間くらい散歩することにした。今日は先月修理した時計が
動いているか気になったので、亀戸ー天真庵を往復2時間かけて散歩します」とのこと。

さっそく時計の音を聞きながら「ふむふむ 元気な音しているね」などとつぶやきながらご満悦だ。
「ところで、この店は、骨董屋?珈琲や?そばや?」と聞かれるので、「最近はみそやかな」と答える
と笑っていた。カウンターの上のコーノ珈琲のガラスのポットに、般若くん作の取っ手と、久保さん
の新作「輪花ドリッパー」を見て、「やっぱり骨董屋さんだ」と笑った。

彼のおにいさんは珈琲専門店をやっていて、「珈琲を淹れる時、最初に豆(珈琲ドーム)が膨らむと、
20秒まって、二回目を入れないと、おいしい珈琲はできない、と教わったんだけど、せっかち
なんでぼくは10秒たらずでやるんですよ。でもここのホボブラジルは、一分待つと、劇的に
おいしくなりますね」と真顔でいった。ぼくは実のところ、もっとせっかちで、珈琲ドームが
できてから、6秒くらいで二回目のお湯を注いでいるような気がする。すこし「間」をかえてみようかな?

蕎麦を手繰り、ホボブラジルを飲みながら、「医者という仕事も忙しくて、ゆっくりした時間がもてない職業だが、
今の日本人は、手間とか時間をかけて一杯の珈琲を楽しむ時間っていうのが、とても大切だと思うな~」
とまた時計に話しかけているように、ひとりつぶやいた。ほんとうに神の声のような言霊を感じて、
しばらくして、お客さんがいない間に、表のショールームに、コーノのポットや、輪花ドリッパーや、
能登ジェラトン(隕石粉入りセラミック)の珈琲カップなどを飾った。

飄々と年を重ねたおじいちゃんの話や、時計を修理する仕事ぶりには、作為がなく自然だ。
「ものをつくる」という作業も、自然が一番だが、どうしても作為が働く。まったく作為がない、というのは、ウソだ。
それを無理にけしたり、ウマヘタ、みたいに、わざと下手に見せたり、反対に「どうだ」と力みすぎるのもみっともない。
今回の一連の「珈琲まわりの仕事」には、これまでの自分の珈琲時間とか空間とか、そこで出会って話してきたこと、
悲喜こもごもの思い、なんかを、自然に「カタチ」にしたいと思い、久保さんに無理いったり、般若くんたちの力を
借りて、できあがったものだ。かっこよくいえば「無目的な珈琲ラブレター」。
自然に伝わっていく、のがよい、と思う。明後日、能登に帰る。その日に、金沢から般若くんがきて、二日かけて、
カウンターの椅子を修理してくれることになっている。彼は、自分のつくった椅子に座っているビオラ奏者のヨッシーに、
ひとめぼれして、結婚した。今は4人家族になって、ときどき、能登の家に遊びにくる。
14年ぶりに、自作の椅子の「とう」を編み直す。これとて、「無目的な椅子ラブレター」。

なにより「お金」の話が、まくらになる時代だけど、人が生きていく、というのは、時間とか空間のうつろい
であるのだから、もう一度深呼吸して、狭くても天守閣ののような「今ここ」という居場所を発見してもらいたいものだ。
椅子やテーブルなどの道具、そこに「自分が一番だと思う一杯の珈琲」があれば、いうことなし。

夜の「寺子屋」は解散した。4月27日17時からに昔やっていた「無門塾」みたいな会を臨時でやることにした。
「大道無門」・・・興味がある人は、連絡ください。身分や性別年齢は不問。コロナ禍でマンボー中なので、
6人くらい限定。7時半おひらき、会費3000円。(そば・つまみ三種・お酒一杯つき)
題は「人間の健康と宇宙誕生のかかわり」  教師はあだ名が「くりくり先生」。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です