しめの蕎麦

熊本からくまもんがきて、二日間そばの大特訓をした。
朝いちばんに手本になるかどうかわからんばってん、ぼくが蕎麦を打つ。
つぎにお弟子様がそばを打つ。最初はまだ打つ時間が一時間半はかかるので、
ここでお昼ごはん。ごはんといっても、そばだ。
キシメンからそうめんまで、なんでもありますチンカラリン、の、ろばのぱんみたいな
新人麺類をゆで、食べてみる。お世辞にもうまいといえないばってん、打った本人は
「うまかっちゃん」と感嘆。

続いて、不肖師匠のそばを食べる。「同じそばだと思えないね」(これは、広島ではじめて
高橋さんの前で打った時に、言われたことば」とは、いわないけど、お弟子様が
「こんげ、ちがうんですね」と笑う。最初はみなそんなものだ。
そば湯を注ぎ、蕎麦猪口が空になったあたりで、「さ、もう一度やろか」
と、二回目の蕎麦打ちを午後に打つ。さすが、石垣島で長いこと民宿をやってきた体力と気力
がものをいわせ、二回目は一時間を切り、午前とはベツモノのそばができた。

その後は、「どんなそばやを目指すか」とか「席数は」「厨房の中の配列」や「道具や器」
の話をする。駅前のRホテル(コロナの前は一泊15000円くらいだったのが、今は半分以下で泊まれる。先週
椅子を張り替えてくれた般若くんも二泊した)が宿なので、合羽橋までの地図を書いて解散。

翌日も同じカリュキュラム。「寝る前に読めたら読んで」という、少し哲学的なそばの本を渡していた。
その本を読んだ効果?かどうかしらないばってんがくさ、昨日よりプロっぽい、少し角がたったそばが
できあがった。雨が降っていたけど、連休初日のせいもあり、暖簾はだしてないけど、お客さんが入ってくる。
宅急便やアマゾンや大地宅配や、いろいろな人が玄関から入ってくる。

お昼ころ、宝石やのまーくんが、隕石グッズを買いにきた。まだそばができあがっていないので、
前日の「そばかす」(そばをそろえるために、最初のヒトキレ、とか上をチョンと切りそろえた後のカスを、ガレット用
に残しておいたもの)を、渡す。続いて、そばのお弟子さまでもあるおっさが「珈琲豆ください」とやってきた。
いつもは、豆を詰めるまでデミカップでホボブラジルを試飲してもらうのがならわしだが、休みなので
「まだ二日目で、不ぞろいやけどそばもっていく?」と聞いたら「まじっすか  ちょううれしい っす」
といって帰っていった。続いて珈琲のお弟子様が自作のスイーツをもってきてくれたので、新人そばもんくん蕎麦と
ぶつぶつ交換。そんな光景を見ているくまもんが「東京にもこげな街がのこっとーとですね」と笑っている。
「原始的ぶつぶつ交換が、ペイペイより当たり前の街」だ。

二日目の午後、「押上で仕上げのそば」を打つ。それをもって熊本の家族のもとに帰るので、
「肥後もっこす」(熊本の頑固もん)みたいに、口数も笑顔もなく、そば打ち真剣ゼミナールだ。
「本気度」が違う、生きのいい、元気なそばができた。
来月あたりから、熊本の自宅で独学でそばの修行が始まる。実はくまもんに蕎麦を教える(プロ用)のは、彼で5人目。
そして、来月は、もうひとりのくまもんが、そば道場に入門してくる。祭りが有名な山鹿(やまが)の150年
の実家を改装中。熊本に「やまんごと」(いっぱい)蕎麦屋ができるごたー。

昨日は南島原に移住した「くちのつ巷焙煎所」のなつきくんから「純さんが、そばやにすればぴったりの古民家があるそうです」
とメールがきた。「南島原ゴールドハウス」で検索すると、純ちゃんのHPが見れる。墨田から移住したゴールドカップル!

お金も体力もいるけど、一度しかない人生。人生の〆も「そば」という粋な生き方もまたよし。感謝。

ノマドランド

今朝の新聞には、この映画が米アカデミー賞をとった話題。
「ノマド生活」というのが、静かなブームになっている。
原作は2017年にでたノンフィクションの「ノマド 漂流する高齢労働者たち」
主人公の女性は、リーマンショックで務めていた会社が倒産し、家も財産もなくし、
キャンピングカーに家財をいれ、アメリカ各地を巡りながら、いろいろな仕事につき、
ひとと触れ合い、自然に癒されたりしながら、自分のこころを見つけながら人生という旅を
していく。なんか、シンコロ時代の到来を予期していたような映画だ。

キャンピングカーや、キャンプなどが流行っているのも同じベクトルだし、
シンコロのおかげで、地方と都市の二股暮らしをする人も多くなってきた。家庭菜園や
海釣りなどもブームになっている。「便利な暮らし」から「本来の人間らしい生き方」
にシフトしているようだ。

ぼくたちも3年前から、能登と東京の二股暮らし。昨年は一回しかいけなんだが、
それプラス九州にも何度かいき、島原半島で蕎麦会をやったり、味噌作りに使う農家さんを訪ねたり
している。プチ・ノマド生活みたいなものだ。
それぞれの土地で、流れている時間や風土が違うのと、車で移動する間の土地土地の波動の違い
が「ゆらぎ」になって、いろんな発想が浮かんできたり、ひらめいたり、サムシンググレート
とチャネルがあったりするようなことが多くなってきたように思う。

能登の家もだいぶ片づけが終わり、車庫の小屋を片づけ始めた。「ねこ」という一輪車
を改装して、天気のよい日には、「どこでも焙煎」できる焙煎機もつくった。
車に積めば、全国どこでもOK牧場。来月からいよいよ、その「ねこ焙煎機」にて、能登の里山・里海
にいって、釣りをしたり、焙煎を開始する。ねこの手を借りたいほど、忙しく仕事をするタイプではないけど、
「ねこ」の手で、焙煎をする。

南島原で「くちのつ巷焙煎所」を営むナツキくんから「りんか?ドリッパーを試してみたいので
おくってください」と注文が入った。さすがに、南島原に移住しても、アンテナが錆びていない。
追伸に「焙煎機を車に積んで全国を巡っていく計画を模索中」とあった。
DNAは違うばってん、おなじようなことを考えている同志みたいなものを感じた。
彼が墨田に住んでいるころ、「元気シール」のカタログをデザインしてもらった。
昨日、山田くんから新バージョンの「元気シール 令和版」が届いたので、荷物の中に
それも同封して、今日発送する。

明日明後日はお休みだけど、くまもんでそばもんになりたか、と、いわんしゃる男子が
「鬼の大特訓 蕎麦打ち道場」にこられる。二日連続で、午前と午後蕎麦打ちをやり、
合羽橋の蕎麦道具専門店にいき、「どんなそばやを目指すか」という夢の話を聞いてみたいと思う。
楽しみだ。15年以上前になるけど、広島の山の中にあった「雪花山房」に修行にいったことを
思い出す。

原始的ぶつぶつ交換

じゃけんのう、金にものいわせ、やりたいことやっとったら、ぶっつぶすけんのう(自作の広島弁)・・・
野党がだらしないせいもあって、どげなことをしても、自民党みたいなあきらめムード
が漂っていたけど、なんやらあんりいう議員の後釜選挙をはじめ、自民党が4連敗。
「おごる平家は久しからず」の空気が流れてきた。「新しい時代の風」だ。

昨日からお店での「酒提供」がご法度になった。ホシザキの業務用冷蔵庫に冷えている日本酒
たちの出番がなくなった。近くの「酔香」のすがちゃん、「押上文庫」の文庫ちゃんが、
「使わんことになったけん、天真庵で使ってくんしゃい」(彼らは、九州ではなかった)と、
山菜とか本わさびなんかをもってきてくれた。ほんなこて、これから酒を提供するお店は、
なんでんかんでんやっていかないと、生き残れない状況である。うちもそうだ。
「お返し」に、能登からの帰路の「直売所」で調達した「天然もの」の山菜と交換。
能登でも東京でも「ペイペイよりも原始的ぶつぶつ交換」がこれからの標準になる。
さすれば、金まみれの金権政治も、お金至上主義の資本経済も、もうちったーマシになるのではなかろうかしらん。

能登と東京の二股暮らしも3年。石の上にも、の年月を重ねた。
梅茶翁の梅林の手伝いをしながら、ときどき「ちゃねったけん」と真顔で新しいことを提案してくる
三輪福さん(ぼくのお茶の一番弟子)と、不思議な世界を逍遥してきた3年でもある。
梅茶翁から歩いて5分(といっても、能登のヘソのような過疎の村)に、「マルガージェラート」
という知らない人でも知っているジェラート屋がある。そこでいつも「能登の塩ジェラート」を食べていたら、
ぼくもちゃねってきて、「能登ジェラトン」(ブリジストンをぱっくって、能登のジェラートストーン)
がどんどん浮かんできて隕石を使った器、「うめ星」から「まがたま」や「宝瓶」(ほうひん 玉露をいれる急須)、
「珈琲カップ」、「ドリッパー」・・・いろいろな「ながれもの」ができてきた。

先日は三輪福さんに「二十一世紀の旅茶碗セット」が嫁いだ。天真庵のHPの「不思議な元気グッズ?」
そんな部屋にのせていた(ほんとうは、業務連絡的に久保さんとやりとりするためにアップした)のを見つけたらしい。
押上文庫にも先月嫁いだので、般若くん作のオーバルボックスの在庫がきれた。先日能登の家に般若家族が
きたので「時間がある時よろしく」と頼んでみたけど、相変わらず、全国のお客さんにいろいろな木工家具なんかの
注文をもらっているようで、しばらく先の納品になりそうだ。

ちゃねったついでの話をすると、「能登プロジェクトX わきあいあい(仮称)」の商品を企画している。
これまでの「お金優先」の企画ではないやり方で、わかる人の手元にだけ、静かに優美に広がっていけばいい、
とゆっくりかまえている。

これから「卵かけごはん」
「暮らしの実験室」で、平飼いのストレスもなく、♂もいっしょにいて、ときどきエッチもしながら
人生(鳥生)を謳歌している鳥さんが産んだ卵を使っている。ブロイラーさんたちは、睡眠もエッチもままならぬ生活。味噌は手前味噌。
味噌汁のみは、能登から調達したワカメなどの海藻と自作のネギ、それに昨日「自分ではじめて収穫しました」
といってもってきていただいた小松菜なども・・・・「ゆたかさ」を感じるな~

今日は6時まで営業。

そば前禁止令

そばやで、卵焼きとか、いたわさ、とか、そば味噌とかをつまみながら酒を
飲む。〆のそばがくるまでの至福の酒時間を「そば前」という。
江戸の鮨を「江戸前」といったり、北の日本海を渡る舟を「北前船」といった
のと同じニュアンスで、その時代の粋みたいなものを感じる。

今日からその「そば前」も、居酒屋もカフェバーも「酒」がご法度になる。
春うららで黙っていても酒がほしくなる季節なのに、とくに左党にとっては、
刑務所にでも入った気分ではなかろうかしらん。
左党。大工は左手に「鑿(のみ)」を持ち、右手に金槌をもつ。左の「のみ」と
「飲み」をかけた。電動ノコが当たり前になった昨今では、死語に近いかもなんばん。

というわけで、昨日は「おわかれ会」のように、「昼酒組」の人たちが三密をさけてひとりでぽつりぽつり
やってきて、そば前の独酌を楽しむ姿が印象的だった。
4時からは二組の「そばもん」が蕎麦打ちに熱中してる最中でも、「かけこみ」で入ってきた
みかんくん(日本酒の卸問屋で働いている)とも、パリのワインの大会で日本酒部門で金賞を
とった「奥能登(竹葉の酒蔵)」を「ささ・・」とかいって、酌み交わしながら一献。
おさらい・・大酒飲みのことを「大寅」という。座敷遊びでも♪トラ トラ  オオートラ
なんていく古典的な遊びがある。
酒飲みが自分が飲みたいがために、「ささ、一献」とかいって、相手にすすめる「笹(ささ)」
からきている。昔から日本画に寅が描かれている構図は、竹林を借景にしている。
もっとも、パリで賞をとった「奥能登」も現代風に、ワイングラスで飲むとうまい、そんな酒だ。
ワイングラスで酒を飲むようになると、「ささ」という風物詩もへったくりもない。

そんなタイミングで、甥っ子の航太が珈琲を飲みにきた。
一年間の巣ごもり生活で、料理と珈琲の腕をあげたらしい。
昨日きたばかりの「輪花ドリッパー」を「おいちゃん(ぼくのことをそう呼ぶ)、これ久保さんやね。
買っていく」とのこと。さすがにDNAを共有している気分になる。
来週は、おいちゃんの蕎麦打ち教室に入門。くまもん、博多もん・・・九州人にそばが流行っている?感謝。

土曜日・日曜日は、蕎麦打ち道場!

一昨日の夜、無事東京に着いた。小布施あたりは少し混んでいたけど、
高速道路もいつもよりすいていて、スイスイと走れた。
明日から3度目の緊急事態宣言。しばらくお店で「そば前」(そばを手繰る前に飲む酒)は
ご法度になるので、在庫整理は自分で責任を取りたいと思う。

「黒川温泉」のことをブログに書いた翌日、IT時代の仕事仲間で熊本在中の社長から電話。
「友達が古民家を買って、蕎麦屋をやりたいので、教えてあげてもらえんやろくまもん?(熊本弁?)」
さっそくその友達から電話があって、5月の予定を云々・・していたら、緊急・・の話がでてきたので、
「こんどの水木で、大特訓しよか?」という提案に「OK熊牧場」になり、そんな流れになった。
もちろん、二日でそばもんにはなれんもんね・・自分の経験から、そこからどげんしてプロになっていくかの
プログラムも伝授したいと思っている。課題は「やまんごた」(山のように、たくさん、という熊本弁)あるけど、
がんばれば何でもできるごとなるばい。

昨日ひさしぶりに、仕込みの後、豆腐屋までの一里?を散策していたら、ショートメールがきた。
「蕎麦打ちを教えてもらえんやろくまもん?(しつこい)」と、また違うくまもん
からだ。返事に、「別のくまもんに同じげなことたのまれたばい。くまもんがそばもん、が、流行ってる!」
と返事したら、彼も実家の築150年の家を改装中で、そこで蕎麦を供したいような雰囲気だ。

ふたりとも、ぼくより少し若いけど、すでに赤いちゃんちゃんこを着た世代。
新しい時代に、新しいことに挑戦するその気概よし、で、できることはすべて伝授したいと思っている。
一時期、「退職後はみんな蕎麦打ち」みたいな風潮があったけど、しばらく静かだった。
地方の過疎地にいくと、「手を入れたら素敵な蕎麦屋、orレストランorカフェ・・」みたいな物件が
いっぱいある。一度しかない人生、座して死を待つようなつまらんことせんで、何かにチャレンジして
ほしいものです。いつからでもやれます。

今日明日は、ベテランと新人が混じって、ふたりづつ蕎麦打ちにやってくる。感謝。

へそのイドコロには「黒川」がある?

能登にくる前から「あいたい人」というか、必ず出会う人が5人くらいいた。
その一人が、合鹿碗を復元したMさん。昨日ははやくもおそくもない、ちょうどのタイミングで出会えた。
三輪福さんが彼と知り合いだったので、能登の「へそ」みたいなとこで待ち合わせ。
「天領庄屋中谷家」で検索すると、いろいろ興味深い記事がでてくる。「黒川」という場所。
そういえば、地球のへそ、みたいな熊本にも「黒川(温泉)」がある。
4000坪のお屋敷の門の前に駐車場があって、そこで三輪福さん直伝のカタカムナ深呼吸を
やっていたら、屋敷から男の人がでてきて、自然と話が始まった。中谷家の12代当主さん。

「今日は?」と聞かれるので、「三輪福さんとここで待ち合わせをして、Mさんにあいにいきます」
と話していたら、三輪福さんがやってきて、そこから里山をしばらく上った里山に、自分でつくられた
「アトリエ」についた。仕事がら木がいっぱい積んであり、薪ストーブ用の薪も薪棚にいっぱい
ある。人生フルーツの能登版よろしく、庭には、栗や桃やさくらんぼの木のほか、こしあぶらや、
りょうぶ、うどなんかも群生している。
薪ストーブのある応接間に、ジャズが流れていた。とても素敵なボーカルだけど、ピアノは
「彼女に違いない」と思い、「ピアノは片倉 真由子さんでは?」と聞いたら、ピンポンで
はじめて会うMさんも私もびっくり。天真庵でも3度ほど弾いてもらったことがある。

Mさんの復元した合鹿碗(ごうろくわん)は、合鹿という能登のへそのところで生まれた。
もともとは庶民が普段使う生活雑器だったけど、陶器が一般になり、陶器も大量生産で中国で
生産されたりして、ひゃっきんもののようにチープなものが幅をきかし、ところ狭しの日本の家の中で
氾濫している。漆ものも、明るすぎる暮らしの中では不似合いな存在となり、ばりばり化学洗剤で
食洗器で洗う生活から遠ざかる運命にある。そんな漆器の原点みたいな「合鹿碗」をつくるために、
この地に移り住んだMの「思い」が、家の中に満ちている。

彼の合鹿碗は、日本以上にヨーロッパやアメリカのレストランで使われている。コロナ禍で、いくこと
もままならないけど、ランチで3万から5万(日本円)のクラスのお店で使われている。とても
素敵な器。使えば使うほど、古色が醸し出され「あじ」がでる。これまでは、「何年待ち」というのがあたり前だったけど、だめもとで
「在庫ありますか?」とおそるおそる聞いたら「嫁ぐはずだったものが、コロナで待機待ちのが、少しあります」
というので、「では、いただいていきます」といって、ヘソクリをだして、あこがれの合鹿碗を手に入れた。
これからのテーマ「一汁一菜」の原点器でもある。蓋つきの器。土台が「飯椀」と蓋が「汁椀」。きわめてシンプル。
一生もの、というのは、こんなモノをいの一番にあげたいものだ。買うときは少し勇気がいるけど、一生つかって、一度の
「使用料」と「幸福料」を計算したら、タダみたいなものだ。

宇宙の「へそ」みたいなイドコロで談論風発し、庭に自生している、こしあぶら、りょうぶ、あさつき、うるめなどを
土産にいただいた、その瞬間、「ぼくたちの周りにある、椅子、テーブル、陶器や漆器・・はみんな人の「思い」から
できていて、「何か」が振動してそれらを「創造」させている。波動ともいっていいけど、それらが宇宙のすべてを
作り出すのではなかろうか?みたいな声が聞こえてきた。

とても幸せな気分になり、家にもどって、「山菜めし」を酒肴に、能登の地酒を飲んでいたら、友達から
「ニューヨーク州立病院・・」を読んだ、というメール。

あの詩は「人はオギャーと生まれた時から、母や父、空気や風、海や山・・・この世の
すべて享受されていますよ。だから、あらためて幸せを求めることはありませんよ。
幸せをすでに手にしていることに感謝すると、いつまでも幸せに生きていけますよ」と教えてくれる。感謝。

能登暮らし

一昨日は、木工の般若くん家族が金沢からお遊びにきた。
14年ぶりに、お店の椅子やドアの修理を2泊3日でやってもらい、家族サービスを
かねてやってきた。小学校5年になる長女のM子は、ぼくが命名させてもろうたので、名付け親、
ということになっている。彼女は、両親が出会ったきっかけを天真庵がつくってくれて、
それで自分や妹がいる、というわけで、大切な人というより、能登の親戚、より上の「てんしさま」みたいなものだ、
と言った。生まれる前から天真庵にきて、今は押上小学校の3年のTくんが「昨日まで、テンシアン、だと思っていた」と
先週いったことを思い出して、「M子、まさかテンシアン、と思っていないよね?」と聞くと、「違うの?」
と👀を丸くした。「天使庵」に改名しようかしらん・・

昨日は、能登町の梅茶翁にいって、年末に剪定した梅の枝を拾った。薪ストーブの火だねに使う。
昨年の春は、コロナのため、英国に帰れなくなったユーリ家族と薪割りをやったり、温床をつくったりした。
あれから1年。ユーリは昨年夏、出張先の京都で四十路をまたずに、召された。1年前と同じように、ミントなどのハーブや
ヤブツバキやボケの花が咲く庭で、山菜の天ぷら、朝掘りの筍のさしみ、庭で栽培している能登115(椎茸)、あかもくと玉ねぎのかき揚げ、
などを食べた。4人とも、5年前までは、墨田区で暮らしていた、とは思えないくらい田舎暮らしが、自然になってきた。
午後の野良仕事の時は、人参とよもぎのジュースを飲んだ。コロナが落ち着かず、能登里山空港の利用率が、平年の78%減らしい。
非常に厳しい数字だけけど、はやく元にもどって(しばらく無理だろうが)、東京から梅林ガールズたちを迎えたいもんだ。

この一年、いろいろなことがひっくり返るように激変した。いやこれからが本番かもなんばん。
でも、これまで気づかなかったこと、ありがたいこと、なども、たくさん発見した。
そんなこともまた、これから花咲く今年になりそうだ。一見、絶望するようなことばかりが目立っているけど、
「サムシンググレートのはからい」は、そんな小さなことではなく、人知を超えたところにあるのではなかろうか?
なんかそんな希望のようなものが、すこしづつ見えてきているようにも思える春。

春の海 ひねもす のたりのたりかな     蕪村

能登路は、菜の花がいっぱい咲いております。

菜の花や 月はひがしに 日はにしに     蕪村

サムシングルレートと繋がる詩

昨日は、家の前の海でとれた「生わかめ」を、
昨年千葉からUターンでもどってこられた近所のおばさんに
お裾分けしてもらった。能登ではこの季節、「わかめのしゃぶしゃぶ」
を食べる。都会では、野菜とかお肉やらをいれて、しゃぶしゃぶするのが普通だけど、
こちらでは、旬の礒をまるごと味わうのがならわしで、わかめのみを、しゃぶしゃぶする。
このそぎ落とされた「海の恵み」を味わうには、「能登に住む」しかない。

能登の柳田というところに、合鹿という地があり「合鹿碗」という伝統的な漆の器がある。
三輪福さんが、それを再興した作家の手ほどきをうけ、自作で合鹿碗をつくった。「ごうろくわん」
その作家を紹介してほしい、とメールをしたら、おまけに「この映画見てみて」という
メッセージがかえってきたので、昨夜見てみた。

サムシンググレートなると繋がる「祈り」をテーマにしている。大好きなマザーテレサさん
やダライダマ翁などもでてくる。
最後に、素敵な詩が朗読された。昔、ニューヨークによくいってたころ、定宿やったセントラルパークの前にあった
「エッセクス・日航ホテル」に泊まり、近くの日本人がやっていた「割烹 麦」という居酒屋(仙台出身の主人)で、
ホヤを酒肴に「いいちこ」を飲んでいたら、その店に「ドネーション」をお願いしにきた美容師の女性に、声を
かけられ、ぼくもその場で100ドルのドネーションをお願いされ、それが「日米陶芸コンテスト」を主宰する、
という内容ので、そのまま審査委員のボランティアまで頼まれ、久保さんや南條先生の作品も、海を渡った、そんな縁ができたお店。
。そして、そんな流れで、「ニューヨーク州立病院の壁に刻まれた詩」のことを教えてもろうた。
そのころもピンときたけど、今の時代、「つながる意味」がより切迫しているので、今のほうがより沁みる。

「ニューヨーク州立病院の壁に刻まれた詩」

大きな事を成し遂げるために 
力を与えてほしいと神に求めたのに  
謙虚を学ぶようにと弱さを授かった  

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに 
より良きことができるようにと病弱をあたえられた 

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった  

世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった

求めた物は一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ物であるにかかわらず  
心の中で言い表せないものは全て叶えられた 

私はあらゆる人の中で  
最も豊かに祝福されていたのだ         感謝(この二文字は、刻まれていません  原文はもちろん英語)

能登ごはん

よくお客さまに「天ぷらはやらないのですか?」と聞かれる。
昔から天ぷらは、人にあげてもらったほうが美味いので、お店でもまかないでも
天ぷらはやらない。ときどき、出張の蕎麦会をやったりするとき、その地の人が
つくってくれたりすると、そばよりも、そちらの方に自然と箸が伸びる。
昨年の夏に、長崎の雲仙でやった時、福田屋という老舗旅館の料理長さんたちが
天ぷらをあげてくれた。筆舌が及ばぬ幸福感に満たされ、彼らと飲んだことがアンフォゲッタブル長崎、
として脳裏に焼き付いている。

昨日、近所のおばあちゃんが「食べて」と、タラの芽、こしあぶら、を笊にいれてもってきてくれた。
これは、天ぷらが一番なので、米粉を溶いて衣にし、さっそく天ぷらにした。久保さんの伊賀の大皿に
のせ、能登ワインで夕食。一本がまたたく間に空き、囲炉裏の上に置いた鉄瓶に、角居くん作の錫のチロリを入れ、
「亀泉」を熱めの燗酒にして飲む。中村伸郎さんの「永くもがなの酒びたり」を読みながら飲んでいたら、
日ずけ変更線を超えた。朝6時の目覚まし(災害用の有線で、季節ごとに違う音楽が鳴る)で、一度
目が覚めたけど、春眠暁をおぼえず、で寝坊してしまった。

今日は「燃えるごみ」の日なので、海が見えるごみの収集場所にもっていったら、目の前の
海に伝馬船がいっぱい。春の風物詩、わかめをとっている。
それぞれの家庭に、大きな竹の笊があって、あがったわかめを、そこで天日で干して、みそ汁のみ、
端っこは小さくして、ふりかけにする。
先日、土産のそばのお返しに、はちめ、いとより、かさご・・これ食べる?といわれ、そのわかめの
ふりかけをいただいた。朝ごはんの時、持参の「八郷の暮らしの実験室の平飼い卵」で卵かけごはん
をつくり、そこに、その「能登ふりかけ」をぱらりとかけて食べてみた。
数々の「ご当地ごはん」があるけど、これは「能登一の朝ごはん」だ。

悼・田中 邦衛

なかなか味のある俳優さんだった。
「北の国から」は、フジテレビの精神的文化力が最大だったころの
世界遺産みたいな作品やと思う。作った人たちや見る「人」たちが世界遺産やったのかもなんばん。
彼が土岐という焼き物の街で、家業が焼き物だった、とは知らなかった。
ぼくの友達にも、美濃の焼き物屋で生まれ、今も京都に住んで俳優を続けているKくんがいる。

昨日の夕方、「おれのことなら放つといて」という新劇俳優で、故・中村伸郎さんのエッセイを読みながら、
ウィスキーをチビチビ飲んでいた。本の帯に・・

◎俳優中村伸郎の舞台には、ひょうひょうとした味がある。今度初めて随筆をだした。これがまた、味があって面白い。
家の近くのセブンイレブンに買い物にでようとして、奥さんに「どこへ行くんですか」ときかれ、
「イレブン・ピーエム」といってしまう、奥さんは平気な顔で、「じゃ、食パン買ってきてください」と頼む。
こんな話がさらっと書かれている。

まさに、飄々とした日常が綴られていて、何度読んでも笑顔で元気になれる一冊。
そして、俳優のKくんは元気にしているだろうか・・
と思っていたら、携帯が鳴った。Kだ。

「今日フジテレビのMさんと食事をして、明日天真庵で蕎麦を手繰ろうと思っていたら、
Mさんが、明日は休みかもしれない、というので電話をしてみた」とのこと。
「ごめん、今能登やねん」というと、「まじっすか・・」と若者言葉を使って残念がる。
芦屋釜のある北九州は遠賀川河口の街に友達がいて、飲んで話していたら、芦屋と能登との深いつながりの話、などを、
まるで主役になった俳優みたいに、一言一言を大事に噛みしめるように話す。まるで、映画のシーンで北九州のうらびれた
居酒屋で飲んでいるような気分になる。さすが俳優だと思わされた。会うといつもそんな感じになる。
長い大部屋暮らしの苦労が、しっかりした土台になって、なんとも言い難い味わいのある人間性を醸し出している。

最後に「東京にMくんと野村くんが友達でいてくれるのが、ぼくの自慢や」という。
「こちらこそ」をお返ししたい。ぼくもどちらかというと「おれのことなら放つといてくれ」という性格だが、
時々友が遠方より遊びにきてくれると、またうれしからずや、でもある。感謝。