陶九郎のいる茶会

織田流煎茶道のお稽古に表参道ヒルズ裏の茶室へ、10年くらいまじめに通った。
池袋にいたころは、埼京線で渋谷で降りて歩いていった。途中に今は閉店してしまったけど、
いいオヤジがやってる古本屋があった。そこには「銀花」という雑誌がときどき積んであった。
ぼくが、あるだけ、根こそぎ買っていく姿を見て、「そんなにいっぱい買っていくと、だぶっているのも
あるんじゃない?」と主人は心配した。実際、「あ、これあるわ」というのもたまにあって、その時は、
文庫くんや、おかまのMくん、とか、まわりの銀花フアンにお裾分け?したりした。
押上に移ってからは、半蔵門線で表参道で降りて、まずその古本屋にいって、リョックに銀花や気に入った
本をいっぱいしょって、お茶のお稽古、という日が続き、銀花も、創刊から最終まで、ほぼそろった。

能登の家は、本棚はなく、押し入れが本置き場だ。一階の押し入れには「茶と花の本」、台所付近の棚には「料理本」、
茶箪笥の上には、「能登」とか雑誌類、そして二階の寝室の押し入れに「銀花」が全巻収まっている。
能登の冬は寒い。一階の和室の囲炉裏の炭火に鉄瓶をのせ、その中に錫のチロリを入れて、ぬる燗
で体の外と内の暖をとった後、寝るにはまだはやい、という時、布団にもぐって、「銀花」を読み直す。
至福の時間。窓の障子をあけ、UFOの登場を待つが、いっこうに見えない。もっとも、目線は
銀花の記事を追っているので、先方が近づいていても知るよしもないけど・・

昨日は1985年第六十一号「陶九郎のいる茶会」を読んだ。加藤陶九郎、桃山陶の志野・黄瀬戸・織部
を、蘇らせた名匠、といっても今は鬼籍に入っておられるけど・・。
35年も前に、岐阜の建築家や料理人など若い文人たちと、陶九郎翁が茶会をする、という企画。
陶九郎さんといっしょに記念撮影をした写真が大きくのっている。その中に、作務衣をきたクマモン
の若かりしころの雄姿がひときわ光ってでている。
彼は、「金豊舘」の主人だ。招福楼で料理の修行をし、名古屋一、というくらいの名にしおう料理屋だった。
もとより金豊舘は、久保さんの器がふんだんに使われていたこともあり、IT関係の人たち
も時々、舌鼓を打ったもんだ。もっともIT業界の人たちに、器や軸や懐石料理がどれだけわかったか・・疑問だけど(笑)
残念なことだけど、35年前に「若者」だったご主人もこの一月に、旅立たれた。
ぼくが知る限り、日本一の料理人だった。

友を悼み 寝床にはこぶ 手向け酒     南九

今朝は早朝に釣ったハチメめばるの塩焼きを、久保さんの絵志野の長皿にのせた。
金豊舘の夏は、この皿に鮎が踊った。鎮魂。

能登で焙煎ができるようになる・・・

昨日は、思い立って、車庫の整理。
この界隈は潮風、とくに冬の風が強く、虫よけの網戸のサッシが
すべるのが日常茶飯。ほっとくと、塩でサッシが動かなくなる。
風が強い日の次の日がいい天気だったら、みんな窓ガラスを水で洗ったり
している。

だから、みな車はドアつきの車庫に入れて塩害から守っている。
うちも母家の上に、二階建ての車庫がある。今年の1月に、突風が
吹いて、車庫の瓦が3枚飛んだ。ちょうど瓦をかえようと思っていたので、
雪が解けた2月の終わりに、吹替工事をしてもらった。10坪くらいの小さな小屋の
瓦の葺き替えに、約50万ほどかかる。
ピンチはチャンスとばかりに、昨日は、車庫の中を一気呵成に片づけた。
「あこがれの小屋暮らし」が、秋くらいにはできそうだ!

車庫の裏に、里山から続く畑があって、栗木と柿の木があり、いちじくの木も植えた。
その畑では、春には枝豆をまき、秋に辛味大根をまく。水道はひいてないけど、雨戸井を
甕にため、その中に、隕石を入れている。その水を、如雨露で蒔くと、虫にも無視され、
イノシシも荒らさない、元気な野菜が育つから不思議だ。近所の人たちも、
今年の雪にもめげず、主人がいないのに元気なネギやタマネギを見て、「?」
な顔をしている。「隕石農法・・・」なんていうと、変な人が移住してきた、と思う(もう思っているかもなんばん)
だろうから、伏せているけど、時がきたら、教えてさしあげようか、などと思っている。
除草なし、肥料いらず、あるがままの農法。

その車庫に、「焙煎所」をつくろうと思っている。オフグリッドのまま、炭火で挑戦しようか、
などと考えている。来月あたりから、またちゃねったアイデアがあるので、ぼちぼちはじめようか?
なんて思っているところ。冷蔵庫、エアコンは使わないので、ソーラーの充電器でどうにか
なると思う。お店にする気はないので、珈琲豆は「道の駅」とか「直売所」においてもらえたらいい。
いや、それもいらない。縁ある人たちに、静かに優美に広がっていけばいいや。
東京や金沢にある知り合いのカフェや梅茶翁からは、オーダーがきそうだから、近くの郵便局から
発送すればよい。焙煎したての珈琲豆を、そこで里山や里海の景色を借景に失敬して飲む、のは
最高の贅沢だと思う。明日も「燃えるゴミ」の日なので、今日もこらから、車庫の掃除。感謝。

能登の珠洲はいいよ!海よし山よし 人もいい

昨日の能登は一日雨だった。
朝8時に出発して珠洲へ・・
開店前だけど「けんちゃんパン」で、ハムカツサンドを買い、
雨の中を車で走る。なまり色した日本海には、演歌が似合うけど、
昨日は国貞雅子のCD聴きながら、塩屋さんまでいく。
「味噌つくり」の時に、足らなくなって二回も発送してくれたおじいちゃん。
じいちゃんの昔ながらの「揚げ浜式」の塩をつかって、味噌をつくると、味が
一オクターブ以上あがる。「小豆」の味も、二オクターブくらいあがる。
もちろん、その他いろんな料理の調味料の真ん中に「塩」がある。
「巣ごもり」のおかげもあって、「違いがわかる人」も増えてきていると思う。

東京にいる時は必ず食べる「豆源郷」の豆腐も、珠洲の「にがり」を使っている。あたり前だけど、能登
の豆腐は、全体的に美味い。もっとも東京のスーパーで売っている安い豆腐では、
一丁に大豆が6粒、というレベルのものもあるらしい。

その後、ジャム屋さんに。
退職後にご夫婦いっしょに珠洲にUターンして、奥様がジャム屋、おとうさんが陶芸家
になった。10年過ぎ、おふたりともに古希を迎えたけど、元気ハツラツオロナミンは飲まないけど、だ。
季節季節になると、近くの農家さんたちが、軽トラや、ショッピングカーに、トマトや、キューイや、イチジク
などを持ち込む光景は、なんともほのぼのしていて、ほっとする。
今回は、ご主人がつくった無農薬のレモンのジャムもあったので、東京にもって帰る。
「マルガージェラートの塩ジェラートに、イチゴジャムの中のイチゴの塊をのせたら美味いよ」と、ご主人
が教えてくれた。先日遊びにこられた三輪福さんの梅茶翁から徒歩5分のところにある。
「能登ジェラトン」と命名した「隕石粉入り陶器」も、そこの塩ジェラートを食べている時に、チャネッたものだ。

帰りは、門前にある中野酒蔵へ。
「亀泉」を自宅用に調達。小さな酒蔵だけど、しっかりと「能登の酒」をつくり続けている。
店番のおばあちゃんもいつもサービス精神が旺盛で、昨日も「これもっていって」」といって、
亀泉と書かれた手ぬぐいと、アクエリアスのボトルをくれた。

それから、じんのびの湯につかり、帰ってから炭火をおこし、
隣のじいちゃんにもらったざざえをつぼ焼きにし、のと115、というアワビみたいにおいしい椎茸
なども炭火で焼き、三輪福さんがつくってくれた土産のサラダやこんかさば(糠につけたさば)
などを酒肴に、亀泉を飲む。
亀の歩みは、ウサギの歩みよりもはやい。
自然によりそういながら、長い時間をかけて、醸されてきたモノにふれあっていると、
それだけで幸せな気分になってくる。感謝。

なまこフェス

今日は、三輪福さん一家が我が家にやってくる。
いっち、こと市松は、今年20歳になるミニチュアダックスフンドは
昨年軽自動車にはねられるというアクシデントにもめげず、回復して
歩けるようになった。東京から5年ほど前に能登に移住してから、不死身
のように元気になった。

昨日は、家に能登ワインがあったので、パスタをつくった。
小倉一の寿司屋のオヤジがつくったカラスミをいただいたので、
いただきもののブロッコリー、近くでとった蕗の薹、などといっしょに
「和風カラスミパスタ」にして食べた。能登ワインとの相性もいい。

今朝は家の前の海で釣り。小さなハチメ(めばる)が5尾。
近くで、お隣のじいちゃんが、小さなタモみたいなもんで何かを取っていた。
わずか30分のあいだに、黒海鼠を5匹とったみたい。
「うちは食べないので」といって、我が家にくることになった。

なまこは、海鼠、とかく。
最初にこれを食べた人は、勇気ある人だったろう、というくらいグロテスク。
でも、内臓をとって、大根おろしにポン酢で食べたら、酒がいくらあったて
も足りない。帰りに畑から、辛味大根を一本抜いて、
今夜の宴の一品の用意をする。

今朝は、ハチメの塩焼き、ごはん、みそ汁、つけもの・・・
東京でも能登でも、一汁一菜が基本。

今年はじめての能登くらし

昨日、ひさしぶりに能登にきた。今年はじめてだ。
集落の人が、近所の神社のお札をポストにいれてくれている。
さっそく神棚のお水とお花とお酒を手向け、新しいお札をおいた。

今朝は、タコ釣りのため、タコやんをもって海にいった。
途中、イノシシがよくでる場所があるので、今回からトートバッグにマキリ包丁を
忍ばせていく。残念ながら一匹も釣れなかったけど、帰る道で、うぐいすの声が
聞こえた。緑ゆたかな能登で、花は咲き、鳥がさえずる。日本のふるさとの原風景。

月曜日に、常連さんがいつものように蕎麦を手繰りにこられた。大きな会社の社長さん。
12年くらい前、川口葉子さんの本に紹介されて以来、蕎麦を手繰りにこられる。
彼は川口さんのファンで、彼女が紹介するカフェをまわるのが、ライフスタイルなのである。
二階の「普茶料理の会」も、お仲間の社長さんや、取引先の人たちとやってくれて、
「茶会」のような宴を楽しんでいただき、京都の好日居で茶会の時も、東京から
わざわざきていただいた。来月また川口さんの新書「喫茶人かくかたりき」にて、天真庵
が紹介される。

帰り際に、挨拶状をいただいた。退職の挨拶状。エッセーも出している風流人でもあり、
毎年いただく賀状も素敵。

ときは宝をみるがごとし
おかげさまで振り返れば 宝の山ができていました

という言葉が添えられてある。さすがだ。

お返しに久保さんの黄瀬戸のぐいのみをもっていってもろうた。下手な字で箱に「晴好雨奇」と筆ペンで揮毫した。

大好きな蘇東坡(そとうば)の詩。

この処 これ道場
道窮りなし
出逢いは 人生の宝
雨も奇なり 晴れも好し

さよならだけが人生だけど、そこには宝がいっぱい、でもある。感謝。

アフロ記者

「アフロ記者」で検索すると、『アフロ記者』 (朝日文庫 稲垣えみ子著) がでてくる。
表紙の写真は彼女の「素」のアフロスタイル。
昨日まで柳橋(昔の花街)の「白日」というギャラリーで陶芸家の広瀬陽くんの陶展を
やっていた。彼らのミニマムな生活スタイルが、アンドプレミアムの3月号に大きく紹介された。
さっそく、スカイツリーの中の本屋で買って、珈琲片手に読んでみた。おもろすぎ。

雑誌の中ほどに、気になる部屋が紹介されていた。東京のフリーランサーで、えみ子。と簡単なプロフィール。
その子の部屋には、冷蔵庫もエアコンもない。もちろんテレビも掃除機もない。日当たりのいい部屋にちゃぶ台がおかれ、キッチンには、
カセットコンロ、かたわらにわらいずみ(お櫃(ひつ)をつつむ道具 ちゃんとした寿司屋には必ずあった)の自作もの、
そして、アフロの女子がベランダで、野菜を干している・・・・
さっそく、ネットで「アフロ記者」を買って読んだ。今は筆子さんや、味噌つくりにきた女子たちに
コロナの何倍かの感染力で、アフロ現象(まだアフロにした人はいない。最初にやった人には、商品を用意してます。ウソ)

今日は「国際女性デー」
朝日新聞の朝刊には、それに関連して川上映子さんの短編が紹介されていた。
さすが、芥川作家。コロナ禍の中で煩悶する女性の心理を、上手に表現されている。
アフロ記者は、50歳まで朝日新聞の社会部の記者。その後退職して今はフリーランサー。
彼女の「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)は、これからの「豊かな暮らし」を創造するヒントが
いっぱい満載。やはり「一汁一菜」を旨としている。ごはん・味噌汁・漬物があれば、なんの不足もない。

これから「卵かけごはん」
ごはん・味噌汁・漬物  プラスX  今日のXは「平飼いの卵」

明日からしばらく「能登やすみ」(20日土曜日から) 今年はじめて能登にいく。
能登で暮らしはじめて3年。やはり、キッチンには、カセットコンロ。プロパンは契約していない。
お風呂の給湯器も、修理してなくて、近くの温泉にいく。そのうち、五右衛門風呂でも作ろうか、
などと思っている。トイレはコンポストトイレ。畑では、かぎりなく自然農(無農薬・無肥料・無除草)、
甕の中に雨水をため、その中に隕石を入れております。なんだかその「宇宙水」を畑にまくと、
虫も無視してくれ、イノシシやシカも避けてくれる。
今回は、タコ釣りにいく海辺の山(能登は、山と海が隣あわせ)で、タラの芽の木を見つけたので、
イノシシに遭遇してもいいように、まきり包丁を、もって山菜採りにいく予定。
能登くらしは、学(めぐみ)がいっぱい。感謝。

今日で味噌作りが千秋楽

今朝はまた冬らしく肌寒い朝を迎えたけど、啓蟄も過ぎ、日差しだどことなく春らしくなってきた。
プランターのツワブキや木賊も、もうすぐ春ですよ、と光合成を活発におこなっているし、臼の
中に土を入れたところに植えたキブシもいつものように、花を咲かせている。
朝のラジオのニュースは、上野動物園のパンダが交尾したと伝えた。
明後日から能登。タコは一年中釣れるけど、春の交尾の時は、岸から離れて、いたす、ので、
なかなか釣れない。する時は、エネルギーも使うし、腹も減るだろうに・・・
少し遠くまで投げれる棹にして、狙ってみようかしらん。タコの恋路を邪魔するのも無粋だけど。

昨日は野村萬斎似のJ太郎くんが味噌をつくりにきた。秋葉原の隕石屋で働いている。
「秋葉原 隕石」とかで検索すると、そのお店がでてくる。「銀座 隕石直売所」
と検索すると、王子のお店がでてくる。

あまり知られていないけど、天真庵のカウンターの上に、中国茶で使う「こぼし」(茶盤)をおき、
その上に、「縄文ドリポット」を置いて、珈琲を淹れる。
珈琲専用の石臼がカウンターの上に置かれていて、それに刮目する人が多いので、縄文ドリポットは
少しわき役感が強い。ドリポットは、備前の焼き締めで作られていて、下は後手の急須で、その上に
同じく備前のドリッパーをのせ、円錐形の紙をのせ、そこに石臼挽きの珈琲豆をいれ、銅のミルクパン
と雪平鍋のあいのこのような鍋を使って、淹れる。

そこに、先週できあがった新作の「織部のドリッパー」(能登ジェラトン、つまり隕石粉入り)をのせて、
珈琲を淹れてみた。溝の形状や、ドロッパーの円錐の角度の微妙な違いで、珈琲の味がかわってくる。
それに、「隕石効果」が加味されるので、「神のしざわ」みたいな珈琲ができあがる、というアンバイだ。
その微妙で繊細な味の違いがわかる人が、いらっしゃって、今週は二つ嫁いだ。
「織部」は古田織部という戦国武将であり、茶人であった人が考案したアバンギャルドな器だ。
どことなく「縄文」を感じさせるフォルム。
弥生からこっち、しばらくおとなしい、つるっとした器が幅をきかせ、どこのギャラリーにいっても、
そんな器が目立っていたけど、この「風の時代」は、また原点にもどり、縄文なる器が振り子のように
もどってくるかもなんばん。

実験的に作ってもらった「織部のドリッパー」が、思いのほか好評なので、「現代陶のひゃうげもん」
の久保さんに、また新しい織部をつくってもらおうというアイデアがひとつ、ふたつ、みっつ。
三重県の菰野町に住む陶芸家と、東京と能登をのたりのたり往復するぼくたちは、何か気がつくと、
ショートメールの「一行」で打ち合わせをする。
ぼく「赤織部のポットに、織部のドリッパーを載せたら、五郎翁の器を凌駕した」
とかおくると、「それはほめすぎ。でもいいヒントありがとね」
みたいな返事がかえってくる。そして、忘れたころに、新作の器がおくられてくる。
最近は、隕石入りの器を、いろいろやっているせいか、どちらも「ちゃねる」ように、天から
降りてくる声なき声みたいなもんを、具現化するような作業も増えてきた。

新緑の芽吹きみたいに、新しいモノが誕生する時代を迎えているようだ。
啓蟄、とは眠っていた虫たちが動きだすこの季節のことをいう。
長引く巣ごもりで、すっかり生活スタイルも変わり、「腹の虫」のいどころも悪い人もあまたいたり、
ストレスいっぱいの人も多かろう。でも「創造」する力は、いつも、こんな時代が土台になっているみたい。感謝。

そばもん くまもん いぬもん

今年から、土曜日・日曜日とも、営業時間を16時までにして、
それ以降は「蕎麦打ち教室」にしている。「そばもん」が増えてきた。
長引く緊急事態宣言で、テレワークも業種によっては、当たり前になり、
会社側も、事務所を家賃の高額な都心から、安い場所へ引っ越しをしたり、
会社によっては、「事務所をなくす」というところもでてきている。

反対に、雇われ側も、テレワークが続くなら、都心に住む必然性がなく、
郊外の古民家なんかに引っ越しをして、畑をしたり、犬を飼ったり、釣りをしたり・・
本来の人間らしい暮らしにもどりつつある。とてもいいことだと思う。

バブルもころ、代々木に会社があり、毎朝jR板橋駅から埼京線にのって、新宿まで通った時期がある。
乗車率200%で、ホームで職員さんが、電車に詰め込むのを手伝ってくれていた。毎月、板橋の歯医者さんに
いく。そこの受付のかわいらしいWさんが「私いまでも埼京線で通ってますけど、あのころに比べたら、ましになりました」
とのことだが、今も100%近くにはあるらしい。感染者と同じく、「ゼロ」にはいかず、下げ止まり、というところか?
あの異常な電車を経験してから、事務所を歩いていける池袋に移してこっち、通勤電車というものにのったことがないけど・・

味噌作りも、今日男のこがひとり。明日女の子がひとり、で終わり。
100人以上の新記録。ぼくのそばのお弟子さまの9割以上が味噌作りをする。
うちの師匠が広島の山奥で「雪花山房」なるそばやをやっている時、弟子たちは
住み込みやった。そして「舌をしっかりするため」に、毎朝味噌汁を飲ませていた。
化学調味料だらけのファーストフードに慣れた舌には、醤油やそばの微妙な味わいがわからない、と悟った結果らしい。
長い巣ごもりの結果、家で料理をするとき、「調味料にこだわる」人が増えてきているように思う。

「ごはんを炊く」「味噌汁をつくる」「ぬか漬けで香のものをつくる」・・・これだけで、毎日飽きない食事が
できる。一汁一菜。食後に珈琲やお茶を入れる。そばも水分が50%だけど、ごはんや味噌汁、それに珈琲お茶も
「水」のうまさが味を決める。能登の水は、なにもしなくても、コンビニで買うミネラルウォーター以上のレベル。
残念ながら東京水は、ましにはなったが、そのままだと飲んだり、料理や珈琲を入れるには躊躇する。
天真庵では、ブリタの中に「うめ星」を入れて、そばや珈琲やお茶に使っている。

先日、亀戸の骨董屋に顔をだし、近くのペットショップで、おもしろいグッズ(散歩する時にシッコに水かけたり、給水できるもん)を発見し、買った。
筆子さんが「また犬飼うの?」と喜んだが、「ブー」と答えた。これに「うめ星(正確には隕石粉のマカロニ)」を入れたら、犬の散歩、プランターの水やり、そして自炊の水としてもいける。ちょうど、文庫ちゃんが珈琲を飲みにきて、「これすごいですね」と、驚いてくれたので、一個プレゼントした。
押上文庫の屋上は、家庭菜園になっていて、これまでも「うめ星」を入れた水で、野菜を育てている。なんか「未来」
を感じる光みたいなものを感じた。「いぬもん」とかいって、商品化して、「押上文庫ブランド」にしようかしらん。
ついでに、お昼のカフェ部門が休眠中なので「押上わんこ」にしたらどうだろう?
ペット同伴も可で、わんこそばを供す。開店記念に「いぬもん」を100人限定でプレゼットしたら、押上駅から行列が
できるかもなんばん・・・?

味噌作り  あと~ ふ.た.り

今年は桜がはやく咲く?そんな予想がでた。春近しだ。
100人超えした味噌作りもあとふたり。自分たちのぶんは
あまりつくれなかったので、能登から帰ってきてから、ぼちぼちやろうと思う。

昨日は午前中が「珈琲の焙煎塾」で午後が「お仕覆」。
シャーマンのような、いや宇宙人みたいなふたりの女子が、毎月通ってきている。
午後のお仕覆の人たちも、もともと「かっぽれ女子」なので、闊達でどことなくみんな
飛んでるような人たちだ。この一年、笑い声などがご法度で、どことなく暗い顔した人ばかりが目立ち、
「笑顔」が少ないような気がするけど、そんな中にあっても元気な人は、ただいるだけで、まわりを
元気にしてくれる。やさしい元気を広げていける人が活躍する時代だ。愛のまなざし・・かもなんばん。

今日の真民(しんみん)さん

「愛のまなざし」

すべては
愛である
どん底に
落ちたひとを
救いあげるのも
愛のまなざし

千里万里を
飛びゆく
鳥たちの
あのまなざしを
見つめよう

強くあれ
優しくあれ
清らかであれ      坂村真民

あこがれのハワイ航路

昔そんな歌が流行った。

昨日はハワイ在住の女子が味噌をつくりにきた。
正確にいうと、昨年春に実家のある東京に里帰りした後、コロナの緊急事態に
なり、ハワイに帰れなくなった。昨年梅茶翁でいっしょに野良仕事をしたイギリス人の
ユーリ家族も同じような状況だった。

やっと4月にハワイに帰れることになり、♪あ~あ あこがれのハワイ航路
ではないけど、かつてから一度やってみたいと思っていた「味噌作り」を初体験する
ことになった。実は先週味噌つくりにきたSちゃんが、「送別会ではないけど、押上に蕎麦食べにいこう」
と誘って、餞別変わりに「味噌作り」を無理くりやらせる、というサプライ企画。
3時過ぎにきて、「文膳」という「そばやの昼酒セット」をやりながら、少し酩酊したあたりで
「実は・・・これから・・・あのストーブの上で煮込んでいる大豆を・・あなたが・・・味噌つくりして、
ハワイにもっていく・・・」という企画です、という流れだった。目を丸くして驚いた、と同時に、
そこから酒を黒豆茶にかえて、本番を待った。そして、夕方無事終了して、満面笑みで帰っていった。

日本にいると、糠床をつくったり、手前味噌をつくったり、梅干しをつくったりするのは、あたり前田のクラッカー
だが、ハワイや欧米に移住した人たちは、簡単にいかない。まず大豆のいいのが少ないので、ヒヨコ豆やほかの豆で
代用することが多いらしい。その土地土地の気候や風土にあった「食」が長い時間を醸しながら育っていく、というこっちゃね。
今年も味噌作りは100人を超えて最高記録だ。押上は300世帯くらいしかない?ので、うちだけで3割強の人
たちが、手前味噌をつくる?そんな割合で手前味噌が増えていったら、「健康で持続可能なくらし」がどこの家庭でも
実現するのだろうが、現実はさまざまな手前勝手な言い訳いいながら、朝飯ぬきや、何か月も腐らないようなパンを
食べているのが、今の日本人の「日常茶飯」らしい。

今日は久しぶりの恵みの雨。
味噌作りの人たちは、傘さして、手前味噌になる「味噌前」をもって帰ることになる。ごくろうさま。感謝。