昨日は、おかまのMくんが「やっと引っ越しが無事おわったわ」の報告に、
三味線の「わかんさん」を連れて珈琲を飲みにきた。
先週能登にいるとき「引っ越し記念の三味線ライブだったはずが、まだおわんないの」
と泣きのメールが入ったけど、昨年10月から始まった、蔵書一万冊の引っ越しが
なんとか終わったらしい。
手に空の短冊の額をもっていて、彼が10月においていった玄関脇の短冊ケースと勝手に入れ替えた。
そして丁寧?に「ほんとうは、引っ越し祝いを10万くらいいただきたいところだけど、いつもお世話になっているので、
この敏さんの書、大兄に私の引っ越し記念として、進呈するわ」といって、笑った。へんな話だけど「ありがとう」と答えた。
カウンターでは、来週から北陸を車で旅する常連さんが、酒を飲んでおられた。
彼の亡きお母様の実家が北陸出身で浄土真宗だという話をしていたタイミングだったので、ときどき
おかまのMくんの、たくまざる不思議シンクロニシティーみたいなものを感じて、お説教じみた
話だが、その短冊の「敏(はや)」さんの話を少しさせてもろうた。
常連さんは、不思議な話と奇妙なMくんとぼくの会話に目を丸くしていた。
「奇遇というか、世の中、不思議なことがあるんですね」というので、「旅の友にどうぞ」と、神棚の上に並べた本の中にあった敏さんの本を一冊お貸しした。
暁烏 敏(あけがらす はや、明治10年金沢の白山市生まれ。真宗大谷派の僧侶、宗教家である。院号は「香草院」。愛称は「念仏総長」。 真宗大学在学時から俳句を作り、号は「非無」
「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母 ありなむや」この母を思う歌が人柄を表わしている。一昨年の春、金沢の松任駅前にある「中川一政美術館」にいった際に
出逢い、書、とくに途中で病気で視力をなくしてからの字がすごい、という感想をMに話したら、その日の夕方に、「これ引っ越しがおわるまで貸しといてあげる」
ともってきたものだ。
うらぶれた十間橋通りにある、倒れそうな長屋に、一万冊の蔵書と、茶人や文人や宗教家の掛け軸と同棲する不思議な「おかまのMくん」である。
彼の住んでいた旧長屋と、越し先の長屋の途中に、古い米屋さんがあり、昨日のブログに登場したGくんが音頭をとって、その場が
「イベントスペース」になる予定。その改装中の場所のちょっと早い「こけらおとし」として、おかまのMくんが、わかんさんの三味線ライブを
企画したお話。40人以上の人が集まって、三味線に興じたということだ。三味線の音が似合う街、というのも絶滅危惧種にしたいくらい、少なくなった。感謝。