梅茶翁3周年

今週の20日に、梅茶翁の三周年のイベントがある。
今朝は三輪福さんから、梅林の梅が開花した写真がおくられてきた。
「この花さくや姫」よろしく、華憐な花たちが春を告げる。
ペチカをつくる手伝いをしてくれた人や、この3年の間にいろいろ
縁を紡いでくれた面々が集まる。
なんとか都合をつけて、その日に伺いたく思ったけど、「そばもん」
たちのスケジュールがおしていて、あきらめた。

今朝は、波が高く、釣りはあきらめて、近くの里山を散策。
熊はいないけど、イノシシと遭遇する可能性が高いので、マキリ包丁を
もって歩く。ヤブツバキが旬を迎えていて、蕾の枝を一枝ちょうだいする。
玄関に置いてある久保さんの信楽の花器に投げ入れると、家いっぱいに生気が満ちる。
梅茶翁の三周年記念にも、久保さんの信楽の花器をひとつ贈呈した。
きっと今朝は、瑞穂の里山の椿が投げ入れられていると思う。

帰りに野良仕事にでかけるおばあちゃんと会った。
「おはようございます」と挨拶すると、「はーい」と笑顔のお返事。
ニュアンスが伝わりにくいと思うけど、こちらの人の挨拶は、
「はーい」と返すことが多い。真民さん風にいうと、「はい、は、一番きれいな日本語」
だ。

そのおばあちゃんは、金婚式を過ぎたらしいが、結婚するまで、じいちゃんと
あったことがなかった(そのころは、普通らしい)。
じいちゃんは、遠洋漁業の船乗りで、定年までの間、ほとんど海の上の単身赴任。
留守の間に、3人の子供を育てながら、畑をやったり、海藻をとったりしながら
して家をまもってきた、という苦労話を、「このへんの人はみなそう」
と、笑いながら話す。「いつ終わるかしれない余生をゆっくりじいちゃんと過ごしています」
とのこと。

おじいちゃんが、横浜や横須賀の港に着く、と連絡があると、三明(ここから一番近くにあった駅)までバスでいき、
それから羽咋と金沢で乗り換えて、夜汽車で港町まで子供を連れて、合いにいった話を、懐かしそうに話していた。
大正の終わりか昭和のはじめに、ここ富来から新橋まで、二日かけて上京した筆子さんのおばあちゃんも、
同じような感じで東京にでたのだと思う。
♪花嫁は夜汽車にのって・・・だ。

金沢から東京まで2時間ちょっとでいける。能登空港をつかえば、ここから東京もあっという間だ。
便利な時代にはなったけど、不便だったころの「ロマン」みたいなものは、薄れてきたのじゃないかしらん。
なんでも「お金」で買おうとする習慣から、少し事の外に身をおいてみると、「ゆたかさ」の価値がかわってくる。
明日は東京へ。感謝。