今日は土曜日 今年から土曜日・日曜日も16時閉店

蕎麦打ち教室や焙煎の教室が忙しくなったので、今年から土曜日も
16時に閉店して、「予備」にあけておいた。今日も女子の新人そばもんさんが入門してくる。
ちょうどマラソンでいったら、折り返し地点で、残り50人くらいが味噌作りをすると、今年の
「菌活の会」は千秋楽を迎える。

昨日は「かっぽれ」の先生。ラストがスーちゃん。スーちゃんはソフトバンクがまだ日本ソフトバンクだったころに
入社してきた。キャンディーズのスーちゃんとはまた違ったかわいらしさで人気があった。ぼくの友人ふたりが
争ったけど、後輩のGくんが若さ?にものいわせて、お嫁さんにした。その後、彼はソフトバンクの重役を
しとった。能登の家にも遊びにきてくれて、「能登路荘はいいですよ」とか、「珠洲にいい干物やを見つけました」とか、反対に新しいお店情報などを教えてくれる。「歩くヤフー」みたいな男だ。

筆子さんとスーちゃんは、昔からゴルフやワカサギ釣りをいっしょにしたり、姉妹のように仲が良い。昨年は「パラダイス酵母」をいただき、
天真庵と縁ある人たちに、優美に広がっていった。まさに、「パラダイス無限シードル」だ。
「有吉散歩」にでた話をふたりがしていて、その後「フジテレビのひょうきん族の山村美智さんの旦那さんがなくなったね」
という会話が聞こえたので、「え、タクマが死んだ?」と叫んだ。
ネットで調べたら、宅間秋史逝く、のニュースがあった。すぐにまったいにショートメール。

83年と思う。ぼくは、市ヶ谷にあったソフトバンクで働いていた。孫さんが「テレビCMをしたい」とポツリといった。
「フジテレビやったら、ヒキノショーからの親友がおるっちゃ。松崎くん。まったいが、あだ名ばい」といったら、「あわせてほしか」
というので、会社の近くの焼き肉屋で、3人で飲んだ。孫さんは、ぼくたちと同じ北九州の「引野小学校・中学校」
の一年後輩。レジで孫さんがペイペイ、いやそのころは現金?で払おうとしたら、まったいが「後輩に払わせるわけにはいかん」
といった、のを、昨日のことのように覚えている。そのころの九州人は「年がひとつでも違うと、王様と奴隷、という不文律の約束事」
があった。

翌日、まったいの尽力で東郷公園横の半地下、倉庫みたいな「日本ソフトバンク」に、グレーのスラックス、紺のブレザーを
着たナイスガイが「フジテレビのタクマです」とやってきた。今ほど、洗練されたCMではなかった(お金もなかったので)けど
そのCMは一世を風靡して、市ヶ谷の零細企業が、世界的な企業になるきっかけになった。「そこから」だった気がする。
翌年、そんな縁で、宅間夫妻の結婚披露宴にも招待された。媒酌人が、今のフジテレビ社長のお父様・遠藤周作さんやった。青山のお洒落なレストランだった。

まったいから「いいやつたったね」と返事がきた。ほんとうに、いいやつ、というのは、早くお役目が終わり、
あの世に引っ越しをするみたいだ。
フジテレビが曙橋にあった最後のころ、ぼくが画廊を始めた。一度その引っ越す前のフジテレビのロビーで、「天真庵展」を
やらせてもらった。南條先生の寒山拾得や久保さんの器を並べた。気骨の会の会長の矢吹先輩(後のフジテレビスポーツ局局長・還暦を待たず旅だたれた)や宅間氏や松崎氏、当時のアナウンサーやタレントさんたちが、いろいろな絵や器を買ってくれた。その時、手伝ってくれた大場久美子似の「ともちゃん」は、元気にしているのだろうか?
こんど、まったい、にきいてみよう・・     感謝。