今週は4日間も、大分県中津市耶馬渓、という「やばい」くらい素敵なところのことを書いた。
昨日はブログを読んだご夫婦さんが、カウンターにとまり、蕎麦を手繰りホボブラジルを飲みにこられた。
緊急事態宣言中の中、旅など絵空事の空想の中でしかできないけど、少し旅する気持ちのお手伝いができてよかった。
宣言が解除されたら、耶馬渓にいって、豆岳珈琲を飲みたい、といって、玄関をでていかれた。
一杯の珈琲を飲みながら、自分の歴の引き出しに、芳香で芳醇な思い出をしまっていける、という体験は、
人生を豊かにさせる。ひとくち飲み口の味から、冷えても変わらない味。そして、お店をでて街の空気にふれても、
体の中から自噴してくるような残り香、それに加えて、そのお店で語り合ったこと、これからの夢・・・
そんな物語が紡げいでいけるお手伝いをするのが「珈琲屋の役割」かもなんばん。
慶応大学の福沢諭吉も大分中津の出身。ぼくたちが小学校のころ、北九州の子供たちの修学旅行は、
大分だった。別府温泉に泊まり、友達と風呂に入り、毛がはえてきたとか、まだとかを確かめあい、
枕投げをしたり、酒は飲まなかったけど、勢いあまって、四の字固めや、力道山ばりの空手チョップを
したりして遊んだ。地獄めぐり、高崎山・・・などをまわった。
小学生には、あまりうけなかったけど、耶馬渓の「青の洞門」もいった。禅僧・禅海和尚が、のみと金槌だけで、30年かけて
難所にトンネルをほった。「陰徳」の極みみたいなお話。
菊池寛の小説「恩讐の彼方に」
の舞台になった。菊池寛は「父帰る」などを著したが、「文藝春秋」の創始者であり、
直木賞、芥川賞をつくった功労者でもある。
「父帰る」うちの父も3年前に旅立ち、生まれた街延岡のお墓に帰った。今年はまだいけていないけど、
毎年延岡に墓参りにいく途中、耶馬渓などに寄り道するぜいたく旅をおぼえた。
またこの自粛モードがとけたら、ゆるりとした九州の旅をしたいと思う。
大分が昔「豊の国」と呼ばれていたことが、体で感じられる旅だ。感謝。