これを「やばけい」と読める人は「やばい」!今、毎日が味噌作り。耶馬渓に6年くらい前に
移住した戸倉くんが自然農でつくる大豆が、またやばく、今年もあっという間に売り切れた。
煎茶をこよなく愛した詩人の頼山陽と、大分の文人・田能村竹田の書簡は、
「一楽帖」といって、国宝になっている。普段のなにげない日常の中に、ほんわか
した「感動」が綴られていて、ふたりの有り余る感性が随所に満ち溢れている。
頼山陽は、京都の賀茂川の川端に「山紫水明処」という庵を築き、そこで「日本外史」や
「川中島」などの詩吟に使われる詩をあまたつくった人だ。
そんな縁で、頼山陽が大分に住む田能村竹田を訪れた時、風光明媚な自然に感動し、その地を「耶馬渓」
と名付けた。南島原に「青一髪」という名前の銘酒があり、それも頼山陽が島原の海を詩にした言葉
がら命名されている。
そんな流れかどうか知らないけど、ぼくらが小学校時代の運動会の「騎馬戦」は、頼山陽の「川中島」
を吟じながら、相撲の仕切りのように、盛り上がっていき、今日日の「帽子をとられたら負け」ボリボリではなく、
ガチンコで地面に落とすまで真剣にやった。今でも騎馬戦というより「川中島」のほうが、印象的だ。
地元の「詩吟クラブ」の重鎮が
♪鞭声粛粛夜よる河かわを渡わた~る
と吟じ
その後紅白にわかれた小学生が、
♪いざこのたびは 信玄を~(赤)
♪いざこの旅は 謙信を~(白) と歌う
♪討ち果たさんと信濃より~(赤)
♪討ち果たさんと甲斐路より~(白)
♪率いる兵は○万余騎~(赤)
♪率いる兵は○万余騎~(白)
・・・しばらく続き、ピストルの音を合図に、ワーと両軍が闘う。
その後は、大将戦。6年生で、体格のいい(というより、ケンカの強い)のが、信玄と謙信に
なって、一騎討をする。今のガチガチルールの教育制度の中で、そんな野蛮なことは、続いていないと
思うけど、半世紀前の秋の思い出として、昨日のことのように脳裏に焼き付いている。
附け加えると、そのころの放課後の校庭でのぼくたちの遊び、の代表が「S肉弾」
やったばい。地面に、箒の竹などでSの字をかくたい。その横に、ふたつ「島」のごた○を書くと。
Sの中は両足でたってよか(上と下)、というのがルール。島までは、ケンケンでいくと。そこは、いわゆる「すもうの土俵」
で、組んでそこから出したり、投げたりしたら勝ち。審判がおらん、というのと、北九州の人は、みなヤクザ?というくらい
ケンカが好きなので、相撲がプロレスになったり、ボクシングやキックボクシングになったりして、けっこう毎日流血を見たばい。
アカデミックな煎茶の話から、ヤクザチックな話にそれた。最近ヤクザ映画がなくなってしもうた。
高倉健さん(北九州出身ばい)が若いころは、健さん主演の映画を見た男たちは、みな健さんになりきって、
風を切るように街を歩いていた。役所広司主演で、おもしろそうなヤクザ映画が話題になっている。
彼も九州人(長崎ばい)。感謝。