今日から 蕎麦はじめ

年末は、早朝からばんばんそばを打った。
「そばもん」たちも、たくさんきて蕎麦を打った。
いつも、そのテンションで新しい年を迎える。
今年はどこにもでかけないし、本日12時から暖簾をだしまする。

そんなわけで、元旦の昨日の午後から、珈琲の焙煎をしたり、蕎麦の汁を
つくったりで、仕事モード。夕方陽が落ちるころ、一段落して、お茶を一服。
31日に足がおぼつかなくなった常連さんの家に、年越しそばを届けたお礼に、
梅鉢屋さんの野菜のお菓子をもろうた。それをお茶うけに、星野村の玉露を煎れた。
梅鉢屋さんは、12月に長い歴史の緞帳を下げた。「お茶を飲む」という日常茶飯が
この国になくなりつつある象徴みたいなもんだ。一抹の寂しさを感じる苦みが玉露にでた。

それから、年賀状を書いていたら、甥っ子姪っ子から「あけましておめでとう。お年玉ありがとう」電話。
毎年正月はみんなで集まって、「新年・自分で鮨をにぎる会」をやるのが、ならわしになっていたけど、
今年は中止。なので年越しそばといっしょに、お年玉を忍ばせておくった。
小4のかのんが「えいちゃん、明日みんなでそばを食べにいく。私はトンサマ」と、一人前の口をきく。
昨年から「着物の着付け」に興味を持ち、筆子さんが指南している。

今年の年賀状は、同年代の友達たちが、革ジャン着てバイクにのっている写真や、畑仕事、釣りを
している写真などが、目だった。「まだ老いてたまるか」の気骨があっていい。
若い、と、老い、に年齢の基準はない。65歳以上を高齢者といったり、75歳以上を後期高齢者とか、
勝手に枠組みをされるのは、こまる。何か新しいものに挑戦しようというパッションがある限り、
みな青春の真っ只中。「能登のタコを昨年11尾釣った。今年はおか釣りにも挑戦」と返事を出した。

そういえば、こないだ、N響のMくんがそばを手繰りにきた時、釣り談義になった。新婚のチェリスト。
ぼくが「舟釣りが多いの?」と聞くと、「いえ、オカ釣り専門です」と真顔で答えた。
「ふ~ん。では彼女は、おか釣りで釣ったの?」と聞いたら、「いえ、彼女は釣りはやりません」と答えた。
まじめな青年と、ちょい悪オヤジのかみ合わない話が、なんだか季節外れの寒風のように流れた。
やはりこれも「風の時代」のはじめり、みたいなもんでしょうか?
「おか釣り」といったら、女性をナンパする意味で、私たち世代は使っておりました。広辞苑に
のっているかどうかは、さだかではありませんが・・  感謝。

風の時代 の一歩

おめでとうございます!
忘年会も、帰省もできず、らしかなぬ年末であり、らしかなるお正月。
年越そばの時、ペレットストーブの上で、四国の黒豆を煮ていた。
今朝は、その黒豆、能登の白みそでお雑煮(出汁は、年末の蕎麦汁に使った椎茸や、昆布)、
紅白のかまぼこ、いぶりがっこ、昆布がっこ、卵焼き(自作の辛味大根を擦って皿にのせる)、能登で
つくった大根と人参の甘酢漬け、昨日飛び込みで蕎麦をとりにきた隕石やの王子がくれたマグロの刺身・・お屠蘇は、「笑鴨」。うますぎて、3合くらい飲んだ。

年越した蕎麦を食べたい、という気にはならない、くらいソバソバに明け暮れた。3日間は、初心者の蕎麦打ち指南と年越しそばつくり
に追われ、食事をする時間もままならぬ、くらい忙しかった。いつものことだけど、いつもより多かった。

「自分で年越しそばを打つ」も、思った以上の新人がきた。29日の朝、お父様が打つ、という予定が、急遽仕事のため、
小学校3年生の娘さんがピンチヒッター、というのがあった。ママは、14年前、スカイツリー工事中イラストの手ぬぐいデザインで一世を風靡したN。
スカイツリーが、時系列に、だんだん大きくなっていく姿と並行して、猫が一匹から二匹になり、子供が生まれて
家族が増える、というデザインが核家族がすすむ現実とうらはらの「ほっと」する感じでうけた。そのころ独身だった彼女も、
手ぬぐいと同じように、結婚して、ふたりの子宝に恵まれ、長女は「そばもん」になった。

その日の最後は近所の蕎麦大好き一家の「蕎麦打ち」。予定時間の3分前に、3人のおそろいのエプロンとバンダナをした
「ジュニアそばもん」が、「よろしくお願いしま~す」と入ってきた。「おとうさんは?」といったら、小学校3年の長男のKくんが
「仕事になったので、ぶくたちがやりま~す」とのこと。次女のきららちゃん(この春小学校)が最初に「粉を計り」をして、長男のKくん、
KくんのガールフレンドのMちゃんと、順番にそば粉に水をなじませる「水まわし」をした。「菊練り」や「ねこ手」などは、猫の手と
さしてかわらぬ大きさの子たちには、むずかしいので、ぼくが変わりにやらせてもろうた。
そばを切る時は、順番に包丁をもたせ、包丁カバーのように、こちらの右手が彼らの小さな手を覆うようにして、いっしょに切った。
応援団のママは、「k 彼女の前でかっこいいとこ見せてよ」とエールをおくる。

新人そばもんが10人以上、31日も、今年の春あたりから始めた新人さんが4人ほどきて蕎麦を打った。
シンコロで明け暮れた一年やったけど、ぼくたちの暮らしがそれによって変わった、異常に、サムシンググレートなる
大きなはからいによって、世の中が変わっていった一年やった。今年の「冬至」からは「風の時代」になったそうだ。
理論や理屈よりも、感性やセンスのほうが優先される時代らしい。「個の時代」でもある。ますます「唯一無二」が大事な時代か。
14回目になる「年越しそば」を指南しながら、「なるほど」と思うふしが、随所にあった。

「風のとおり道 臼澤みさき 」と検索すると、「YouTube」で、さわやかな唄声が聞こえてくる。
今年は、そんな時代になるのではなかろうかしらん。彼女の「鳥になりたい」もいい!  感謝。