人生のテンカウント 

日本チャンピョン以上のボクサーが引退する時、リングの中央で
テンカウントのゴングを鳴らして、彼の功績を湛える、そんなならわしが
ボクシング業界にある。

「テンカウント 奇跡のトレーナー松本清司」という本がある。ヨネクラボクシングジム
にいた天才トレーナー。柴田国明、ガッツ石松など5人の世界チャンピョンを育て、
数々の東洋、日本チャンピオンをうんだ、名門ジム。(数年前に解散)

その本の中に日本フェザー級チャンピオンの岩本弘行さんの話がでてくる。
努力家でもう少しパンチ力があったら、間違いなく「世界チャンピオン」になったボクサー。
パンチが弱いぶん、挑戦者が果敢に攻めてくるので、11回の防衛線は、必ずといっていいほど
目じりの古傷があいて、流血した。その流血を上手にとめたのも、松本トレーナーで、それ以後
彼のことを「血止めの松本」と業界人は呼んだ。ボクサーは猪突猛進型が多く、「ここ」
という引き際を自分で始末できない。そこでテンカウントを悟らすのも、トレーナーの大事な仕事。
まじめタイプの岩本氏に印籠を渡す話も泣けた。

その岩本さんは、引退後に鮨の修行をし、大山で寿司屋「岩本」をやっておられる。ぼくも池袋に住んでいたころ、目白のヨネクラジム
に通っていた。ときどき、柴田さん、ガッツさんら往年のチャンピオンも米倉会長を訪れたりしていた。
その中に元気なOBがいて、同じ年でもあり、馬があい、ときどきいっしょにトレーニングをしたり、
寿司屋にいったり、彼が「寒山拾得展」の南條先生や久保さんの陶展に毎年遊びにきたりする関係になった。
寿司屋では、久保さんの器も多く使われている。

昨年のぼくの誕生日に電話があり、「今年いっぱいで寿司屋を閉める」とのことだった。
コロナ禍の中でもあり、20年という節目もあり、自ら、第二のリングから降りようと決心した
らしい。一抹の寂しさを感じたけど、それもまた人生。

なんて思っていたら年賀状に「6日からやります」とあった。「やった!まだ続く」と喜び、昨日
ひさしぶりに大山に鮨をつまみに参上。後楽園ホール時代か彼を応援してくれたファンたちが、鮨のテンカウント
はまだはやい、と騒いで、引退を取りやめた、らしい。酒がすすんだ。
カウンターの後ろで、写真になった松本トレーナーが彼の戦いを今もじっと見ている。
「まだまだ引退はするな」といっているように見えた。感謝。