墨だ!墨だ!一瞬にして自分の精神的文化力をアップ!

月曜日の営業が終わったら、能登にいく予定だった。
今年のテーマは「なにも決めない」。これまでもそうだけど、
「無目的」に生きていこうと思っている。ただ、「今ここ」
には、ウキウキとほとばしるような思いと、笑顔と感謝を
忘れずにいたいと思う。シンクロ時代には、「うきうき、笑顔、感謝」
は大切なキーワードでもある。

結論からいうと、能登にはいかなかった。能登の家は、二回目の改装をお願いしていて、
その出来上がりを見るのが楽しみでもあったけど、雪の中に閉じ込めれるのも、九州産の
温室育ちの身には、ちーときついか?などと思い。今回は東京にいることにした。
お店を開くのもいいけど、開き直って、来週の金曜日まで休みにする。
その後は25日から2月いっぱい、ひょっとしたら3月初めまで「味噌作り」で、能登にも外にも
いけないような毎日になるので、これでいいのだ精神で、サボール。

昨日は上野の骨董屋の店主から「いい蕎麦猪口が入った」と連絡があった。一時間くらいかけて
押上から上野まで歩いていった。
天真庵で使っている蕎麦猪口は、ぜんぶ久保さんにお願いしている。
京都の骨董屋で見つけた古伊万里のこぶりの蕎麦猪口のサイズにしてもろうて、織部や唐津や黄瀬戸などで
つくってもらった。ときどき蕎麦会をやる南島原や能登にも、半永久的に預ってもらっている。
もともと伊万里の蕎麦猪口は、世界中に「フリーカップ」として輸出されていたもので、珈琲や紅茶など
はそれで飲んでいた。マイセンが磁器を発明したのち、グリップがついて逆輸入されるようになり、島国日本の
いなかもんたちは「すてき~ ボリボリ」よろしくグリップに小指をたてたりして、珈琲を飲むようになった。
「らしい」歴史である。

昨日は、買ってきたきた蕎麦猪口に日本酒を入れて飲んだ。最近は、一升瓶よりも四合瓶で買う左党が多く、
徳利を使わず、いきなりぐいのみスタイルが流行っているらしい。あまり品はよろしくないが、小ぶりの蕎麦猪口
に6勺ほど入れて飲む、のも悪くない。でも独酌の時は、せめて「折敷」(おしき)と、その中に「向う附け」
はほしい。久保さんの織部の葉皿に、蕎麦豆腐をのせたら、きまった。きまりすぎて、4合瓶がすぐ空になった。
ぼくはやっぱり、一升瓶派だ。

骨董屋からの帰り、神谷バーの前あたりで雪が降り出した。急ぎ足で橋を渡って、「うんこビル」の下あたりにある
「ギャラリーアビアント」に雪やどり。17日まで、新春企画10周年の「墨だ!展」を開催している。
天真庵ゆかりの生井厳さんや、沢村澄子さん、宇野マサシさんたちの書が展示されている。宇野さんの「母」に捧げる
ような思いを揮毫したものには泣かされた。さすが・・・
また、大好きな熊谷守一や、莫山先生の書も展示されている。色紙に書いた「夢」という岡本太郎先生
の書もよかった。「いくつになっても、夢を見なくなったら、人間おしまいだ。爆発やで・・」
という声が聞こえてきそうだった。出歩くのもままならぬ気配が漂うけど、文人たちの生きざま
が憑依したような墨の芸術というのは、一瞬にして人生を変えてくれたりする「力」をもっている。感謝。