月曜の朝は卵かけごはん

大震災の年から始めたので「月曜の朝は卵かけごはん」
も10年を迎える。普段は「そば」を中心のメニューにしているので、「ごはん」
はメニューにない。池袋にいたころから「手前味噌つくり」をやっているので、それの消費
や、味噌作りや具沢山の味噌汁を使った一汁一菜のすすめ、みたいなこともあり、
「月曜の朝は卵かけごはん」になった。ちなみに、野村家の朝ごはんは、ほぼ毎日が「具沢山の味噌汁の一汁一菜」
である。休みの日のときどきは、ガレットにシードル、という日もある。そばピザにビールという朝もある・・

今月25日から「手前味噌つくり」が始まる。最初はそんな「当たり前のこと」を人に伝授するとはおもわなんだ。
大阪弁まるだしのお客さんが「教えてくれへん」と熱心に頼むので、「ええよ」ということで、筆子さんとの
一対一の味噌作りが始まった。初年度は「生徒はひとり」だ。それからこっち、ほとんど口コミで、ねずみ算みたいに
増えてきて、ここ最近は100人以上の人が、参加されるようになった。今年はシンコロ騒ぎで、遠くのお客さん
なんかがこない。半面、最近お客さんになった人たちが、細菌の菌活に興味を示して参加してくれるようだ。
夜の寺子屋は、昨年から中止したまんまやし、「そろそろ能登に完全移住しようか」と思っているけど、
この「菌活娘」たちをほったらかしにできへんので、そろそろ後釜をつくらねば、などと思っているけど・・・

昨日は今年はじめての「満まめ」の会だった。ま~君の気功整体。今年も月ふつかのペースでやっていく
けど、しばらく満席みたいで、ぼくが受かられていない。そもそもはじめて彼にあったのは、ぼくが50代後半で
「五十肩」に悩んでいた時。お客さんに「凄腕の整体師がいる」といわれ、連れていってもろうた。一時間ほど
施術してもろうたら、すっかり体が楽になり、向島から押上までスキップして帰ったことを昨日のように覚えている。
その後、自転車を忘れたことを思い出して、再度スキップしながら一往復した。
彼はそれからどんどん腕を上げ、最近はみんなの施術をおえ、蕎麦を手繰り、帰る間際に一分くらいで、
カウンターの外から気を入れてくれる。5年くらい前に、一時間かかったことを、手もふれずに、一分で
楽にしてくれる。昨日は仕事が終わり、普段は「蕎麦焼酎のそば湯割り」を5杯くらい飲むのだが、3杯で
睡魔が襲ってきて、気がついたら朝だった。日本海側の大雪のようにどさっと、気が天から降ってくる感じ。

周波数とか波動みたいなもんだけど、なんか時代の波動も変わってきたけど、それに気づきのあった人たちの
レベルが急にあがってきているようにも思える。
「大変な時代」のように思えるけど、きっと「神のはからい」があるのだと思う。天恩感謝。

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