満まめの会

今日は気功整体の「満まめの会」を2回でやる。
パワーアップしたまーくんが、月に一度か二度やってくれている。
常連のお客さんがついていて、空きがまったくないので、ぼくは
しばらく受けてないけど、終わった後に、一分くらい気を入れてもらっても
体が温泉に入った後のように軽くなる。

今年から土曜日も16時までにして、それ以降は蕎麦打ちをやっている。
昨日は、それに味噌作りも重なり、カウンターで味噌をつくってもろうた。
思えば、昨年の今ごろは、寺子屋もやっていたので、一階で勉強会、二階で
味噌作り、という天手古舞の毎日やった。そうゆう意味では、コロナ時代の今
のほうが、ゆっくりと未来に向かって仕事をしている、という手ごたえもある。

今年の味噌作りの一番バッターは、若い陶芸家のご夫婦。ふたりあわせても、ぼくの年に
届かない。昨日はその若妻のお母さんが、チャリンコにのって、味噌作りにこられた。
UNAや般若くんたちが池袋の天真庵で個展をやる時、両親たちも挨拶にこられ、その時は
当たり前のように、両親たちのほうが、ぼくより先輩だった。
最近は、家族のようにつきあうアーティストたちの両親が、ぼくより若い世代になった。

そんなわけで、本日も16時閉店。
明日の朝は「卵かけごはん」です。感謝。

月下独酌

昨日は満月だった。
夕方、近くのジュエリーデザイナーのまーくんが味噌をつくりにきた時、知った。
能登で生活する時は、満月の月明かりでアオリイカの夜釣りをしたり、月明かりの下で
独酌しながら、UFOを待ったり、朝はやく釣りや畑仕事をしていても、「月」の存在が
大きくたちはだかる。やはり東京にいると、めったに見ない。

同じタイミングで、画家のなほちゃんが、味噌の材料(大豆・麹・能登塩)を買いにきた。
いつものように、「そばがきぜんざい」を所望され、談論風発。
すると英語の岩本先生が、なほちゃんと席ふたつ置いて、座った。
「文膳(そばやの昼酒セット)、ヒヤでお願いします」とのこと。
「ヒヤはイヤや。ぬる燗にしてくれへん」と、わがままをいい、ぬる燗にしてもらった。
酒は「李白」。「燗つけUFO」(備前の燗つけ器に、隕石入りぐいのみとセット)で、山陰の美酒を人肌にして出す。

昨年の春から、寺子屋をやっていないので、岩本先生とも久しぶりだ。彼はとある有名なシンクタンクに属していて、
世界情勢を日本語で話してくれた。天真庵の寺子屋は、酒つきで、最初は下戸だった先生。講義の途中でこっくりこっくり
することが多く、「飲みながら英会話」を「英会話の後に酒を飲む」に変えた。でも今はときどき、昼そばを手繰りに
来るとき、そば前(そばの前の一献)を一合やるのがならわしになった。昨日は「この隕石ぐいのみで飲むと、うまくなりますね」
といって、お替りして二合飲んでいった。ぬる燗にして酒が美味くなるのを「燗上がり」なんていう言葉を使う。まことに、左党(酒飲み)
は、饒舌であり風流だ。

宝石やのまーくんが、おなじく隕石でつくった「マカロニ」の形状に一目ぼれして、「これジュエリーにしたい」
というので、ひとつわけてやった。「お風呂にいっしょに入れるように、蝋引きしてくれない」と要望した。(自分が使うわけではないけど)
少し酩酊した岩本先生(酩酊しなくても、ときどき頭がピーマンになる)が、「隕石と風呂に入るといいんですか?」と真っ赤な顔して聞くので
「昔、大酒飲みの作家で、一升瓶といっしょに風呂に入って酒を飲んでいた作家知らない?」と聴き直し、立原正秋のことを説明。
『冬の旅』『残りの雪』『冬のかたみに』などを学生時代に読んだ。彼の息子さんがやっているお店では、久保さんの器が使われていて、
一度久保さんといっしょに飲みにもいった。
ますます、脱線してくる・・・「一升瓶と隕石ぐいのみとお風呂に入ると、もっと元気になれますかね?」と聞く。
「ま、幸せな気分になるやろうけど、酒の弱い先生がやると、家族がのぞきにいったら、風呂に浮かんでいた、なんて危険はあるよ」と脅す。

6時の閉店になり、「お勘定」といって、ぐい飲みではなく、隕石コーヒーカップを買っていかれた。
「これといっしょに、今日から風呂に入ります」とこと。聞いたことないけど、彼はきっとAB型だろう。どことなく、ぼくに似ている。

李白は、酒と月の詩を多く残した。「月下独酌」は下戸でも知っているくらい有名。

 天若不愛酒 酒星不在天 地若不愛酒 地応無酒泉 天地既愛酒 愛酒不愧天

 もし天が酒を愛でていなかったら 酒星は天になかったろう もし地が酒を愛でていないのなら 酒泉の地が世界にあるはずもない 天地がすでに酒を愛していることかくのごとし 人が酒を好むのは天に愧じることではあるまい

酒飲みに愛される酒器に「月白均窯」(げっぱくきんよう)というのがある。能登ジェラトン(隕石器)のぐい飲みの肌は、どことなく
それに近い風情がある。スカイツリーに重なるように浮かぶ満月を愛でながら、昨夜は、ぼくも李白を一献。感謝。

一粒万倍日

何日か前の朝日新聞の朝刊に、能登の「コスモアイル羽咋(はくい)」のことが
大きく紹介されていた。高野 誠鮮(たかの じょうせん)さんが、公務員の時に、
村おこしをされたものだ。限界集落の過疎の村で、予算0から立ち上げ、
今では、UFOのグッズや、サンダーくんという宇宙人のユルキャラなどが町中で発見され、
バスやトヨタの販売店の看板もロケットだったり、予備知識がなく訪れた旅人は「UFOに拉致された?」
と錯覚するような、そんな街である。高野さんは今は、日蓮宗のお坊様として活躍されている。縁あって
昨年の春にお寺に高野さんを訪ね、不思議な宇宙の話などをさせてもろうた。能登の家からも近いので、
ときどき「コスモアイル羽咋」に遊びにいく。年間5万人以上がくるホットスポット。

水曜日・木曜日も、味噌作りのため、いろいろな人たちと、「一年ぶり」の邂逅の毎日。
「激動の2020年の物語」がその人のぶんだけあって、脳の中にいろんなものが共有された。
ここでは書けへんけど、やっぱり「大変な時代」を迎えているようだ。
だれが考えても「オリンピック」とか「GOTOなんじゃら」なんて話をしている時ではなさそうだ。

緊急事態宣言も延長される感じになってきた。そんな「巣ごもり時代」に、味噌はそれぞれの家庭で
存在価値の幅を利かし始め、3月5日までは、毎日「菌活女子」たちが、せっせと汗をかきかきチーパッパ
で、寒仕込みをしにこられる予定だ。さすがに名古屋とか大阪からやってきてた人たちは、今年はお休み、
だったり、まるなげ(こちらで作って発送)だったりするけど、全体の仕込み数は、昨年と同じくらいになった。
これもまた「時代」なのかもなんばん。

昨日は少し雪が降っていたけど、ある元気な菌活女子が自転車できた。大森から。
ストーブの横で雨具を乾かしながら、大分の大豆を仕込み、約4kの成果物をカバンに入れ、
また雨の中を片道一時間半を帰っていかれた。帰り際に「うめ星をください。」といって、一個
買っていかれた。うれしそうにポケットに入れ「今日は一粒万倍日なので、この日に隕石グッズを買うと、
効果がすごいんです」とのこと。
いつものように、「隕石効果で一億円以上たまったら、新聞紙に200万くらい包んで、お礼返しにきてね」
というと、「いえ、500万にしてください」と笑った。担当大臣が業界団体からもらう賄賂に比べたら、
笑えて、健康的なジョークである。

ネットで検索したら今月31日(日曜日)も、「一粒万倍日」らしい。
ぼくも社員割引で「能登ジェラトン(隕石グッズ)」をひとつ買ってみようかしらん。
禅の言葉に「粒々皆辛苦」というのがある。お米の一粒一粒、おそばの一粒一粒、隕石の一粒一粒・・・
この世に生きとし生けるものには「命」があって、毎日毎日ことこつこつこつと「今ここ」を
懸命に生きている。感謝。

味噌つくりの初日

昨日は朝から寸胴で大豆や黒豆をことことゆっくり煮た。
最初のバッターは、一昨年に会社をやめ、陶芸家になった若いカップル。
今どき、陶芸家で飯が食えるのか?と老婆心ながら心配していたけど、そんな浅はかな親心を
いい意味で裏切り、すこぶる評判で、昨年はコロナで中止になったけど、海外でも個展を
やるほどの人気作家に上り詰めた。

先輩の「久保さんの作品」を丁寧に手にとってみている姿が、「ちゃんとした陶芸家」になった証みたいな感じがした。
平成生まれで、今年30になるけど、これからが楽しみなアーティストだ。

今日も夕方から、味噌作りをやるので、朝からストーブの上の寸胴が、いい香りを部屋中にめぐらす。
味噌のミソみたいなもにゃけど、昔のように、どこの家でも、まな板でトントンと、みそ汁も実や香のものを
切る音が聞こえるような日本にもどってもらいたいものだ。便利な時代になったとはいえ、「食」の文化は
大きく衰退している、と思う。いっそ、縄文時代あたりから、やり直したほうが、いいかもなんばん。

明日・明後日は、定休日だけど、味噌作りの日。

今日から味噌作り月間

昨日はずっと冷たい雨が降っていた。こんな日はペレットストーブの火が
あたたかい。

そんなことを思っていると、玄関のすぐのところにあるストーブを、若いギャル(ギャルにはばあさんいないか?)
が3人が外で眺めていた。そしてリーダーが玄関をあけ、「入っていいですか」とおそるおそる聞く。
昔そういえば、「勇気をもって玄関をあけたら、店主が仁王立ちしていて、思わず足がふるえた」みたいなコメント
がネットで流れ、界隈で話題になったことがある。足がすくむほど、怖いか?と思ったけど、人のこころなんていうものは
島倉千代子さんも歌っていたけど「いろいろ」だ。

3人だったので、「奥のテーブルへどうぞ」と誘導した。3人はカウンターの前にじっと立っている。
「足がすくんでいるのだろうか?」などと思い、意識的に笑顔にしてみたら、ひとりが
「マスターは、宇宙人ですか?」と真顔で聞くのだった。思わず「そうや。よーわかったねボリボリ」と答えた。

実は、表のショールームの中に、団扇が飾ってあって、そこに「わたし こう見えても 宇宙人なんです」
と書いてある。能登の羽咋(はくい)という町は、UFOで町おこしに成功していて、そこにある「コスモアイル羽咋」
にいくと、サンダーくんという宇宙人キャラのグッズが、あまた売られていて、昨年、能登にきた梅林ガールズ(梅仕事を手伝って
くれてる人たち)といっしょに、コスモアイル羽咋にいって、買ったものだ。

能登には縄文真脇遺跡があるから、20年くらい前から毎年のように行き、今は半分近く能登で生きている。
縄文人というのは、当たり前のようにUFOとか👽とかと、交流していた、というのが、能登に住んでいたら、よくわかる。
どうも時代は、そちらのほうに、シフトしているようにも思う。今のぼくたちも、知的で、人間的で、ゆたか、な縄文。

3人とも、UFOとか隕石に興味があるみたいで、いろいろ雑談していたら、ひとりが「味噌つくりしたいです」
といいだし、もうひとりが「わたしも」ということになり、話のはずみで「私たち梅林ガールズになりたい」というので、
さっそく水着審査をして(ウソ)、新しく若い3人が梅林ガールズに参加することになった。そろそろAKBに対抗できるレベル
になってきた。

秋葉といえば、「YOZA]という隕石やを、友達がやっている。そこの「ゆーちゅーぶ」を見ると、
ぼくが「親方」とかいう呼び名ででているらしい。親分子分という任侠の世界みたい?

そういえば、銀座にも「隕石直売所」があり、「星の王子」という宇宙人みたいな店主がいて、
彼もいろいろ「ゆーちゅーぶ」で発信しておられる。
お客さんからきのうメールがきていて、「星の王子さんの、You Tube の隕石体験談のpart4に 天真庵がでています」
とのこと。今朝はこれから卵かけごはんで、夕方から味噌作りがあるので忙しいけど、今晩見てみようかと思う。
そういえば、先日、文庫ちゃんがきて「ぼくも、今年は隕石チームを結成します」とのこと。
なんやら、まわりが隕石の話題でかしましくなってきた。門外漢にならぬよう、ぼくも少し足を突っ込んで、勉強してみようかしらん。

今年は、「隕石」が大ブレークする年になるかもなんばん。感謝。

おからだ お大豆に・・

「オカラダ オダイズニ・・」
九州弁と関西弁は、かなり上手にしゃべれるけど、東北弁はエセに
なってしまう。唯一、「らしく」しゃべれるのは、味噌作りの時に
洒落る「オカラダ・・・」だけである。

北海道の大豆、5年前に大分の耶馬渓に移住して無農薬で大豆とお米をつくってくれているTくん、
そして、もち麦とか黒豆茶をお願いしている四国のMさんがつくってくれた黒豆が、そろった。
明日から、味噌作りが始まる。シンコロのおかげで、遠く(静岡とか名古屋方面からもこられていた)の人は、
参加できないけど、新人さんたちも増え、例年のような「菌活人(きんかつびと)」たちが、
「やる」と手をあげてくれた。
明日はさっそく有名な陶芸家家族が、三種類の味噌をつくるので、夕べみっつの寸胴に入れ、水を張った。
これから一か月ちょっと、お店は「味噌工場」みたいになってくる。昨年から家族になったペレットストーブ
も威力を発揮する時。火の見える空間というのは、じつにあたたかい。

あまり知られていないけど、天真庵には、「秘密の味噌蔵」がある。ここを改装してくれた中心人物の中西くん(芸大建築出身)
は、池袋時代からUNAといっしょに天真庵にしょっちゅう出入りしていて、そこに床下倉庫に手前味噌をつくっている
ことまで知っていたので、昭和20年に建てた古民家の一角に「秘密部屋」をちゃんとつくってくれた。そこに
2年分くらいの味噌が眠っていて、能登の味噌蔵にも、同じくらいの味噌を保管してある。
お金持ちではないけど、たぐいまれな「お味噌持ち」だと自負している(笑)

今日は天気予報では「雪」になっており、「明日は雪見酒だ!」と楽しみにしていたけど、冷たい雨どまりの様相。
雪見酒はよそう。

今日は日曜なので16時まで。それから「蕎麦打ち道場」。5年くらい前から蕎麦打ちをはじめ、3度目に
嫁さん(その当時は結婚を反対されていて、その相手の両親に挨拶しにいく時、その蕎麦を持参して蕎麦会をやった)
の家で蕎麦をふるまったDくんが、蕎麦を打ちにくる。彼の友達のTくんが、頼山陽が命名した耶馬渓(やばけい)で
農業移住をしたひと。みんな根っこが繋がっていてすばらしい。Dくんは無事結婚でき、今は3人家族で、近所で
幸せに暮らしている。そばの「つなぎ」が、つむいだ縁?

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」
大変な時代を迎えているけど、日々是好日よろしく、同じことを飽きずに、こつこつと感謝しながら通っている今日このごろ。感謝。

今日は16時まで営業

今年から、土曜日・日曜日も12時から16時まで営業。
それからの時間割で「蕎麦打ち」とか「珈琲塾」とか「金継ぎ」とか「お仕覆」
とか、適当な距離感を保ち、ぼちぼちやっていこうと思っている。

昨日は「お仕覆」をやった。昨年暮れにこられた「かっぽれ女子」が
熱燗器を買われ、「おうちで燗番娘」よろしく、酒を楽しむらしい。
ついでに、女子力アップをかねて、その器たちを包む「お仕覆」をやる、という熱い
「今年の抱負」を年末にかかげ、ことはじめ、ということにあいなった。
今回、UNA雪駄が、男子用3個、女子用6個できたけど、一昨日と昨日で男子2個、女子2個が嫁いだ。
池袋時代は、アーティストやセンスのいい人がいっぱい買っていかれた。うらぶれたこの墨田の街でどうかな?
と心配したけど、反対に「すぐなくなりそうだ」を心配している。

大事な道具を「包む」というのは、日本人の「始末」の原点やし、すごくこれからの時代にも
ぴったりの「生活の知恵」だと思う。ひゃっきんモノは、そのかぎりではないけど、おばあちゃんや親が
使っていた道具を、金継ぎしたり、手直しして、大事で割れやすい茶道具や酒道具や華道具などは、
家のタンスにしまってある古着を使ったりして、「お仕覆」にするというのは、気持ちも掃除や脱糞した時
と同じように「すっきり」する。

お花の原田先生を紹介してくれ、原田先生が天国に引っ越した後には、立花を教えてくださった武内さんが
二階でお仕覆の会をやってくださった。3年くらい前のクリスマスのころ、まだ50代だったんやけど、
突然天に召された。その後は、筆子さんが、その意志を受け継いで、ほそぼそながら、希望者がいると、
「臨時お仕覆教室」を開催している。一回や二回、12回、いや100回くらいでは、拾得せきる技ではないので、
「本気かどうか」を確かめてから始めさせてもろうてます。

せっかく、シンコロさんが、たっぷりの「考える時間」や「自分らしさを創る時間」をくださった
のだから、いっちょ、ここはシンコロさんに「ありがとう」と感謝して、新しいウキウキすることを
はじめられたらいいと思う。まだオリンピックなどをやろう、と、あきらめの悪い輩もいっぱいいるけど、
冷静に考えても無理ちゃう。毎日近くのスーパーのオリンピックに買い物にいく道すがら、そんなことを考える今日このごろ。感謝。

味噌作りがはじまりはじまり

昨日、北海道や九州から大豆が届き、麹も茨木から届いた。
オープンエアーなベランダに置いてある冷凍庫のスイッチを入れ、
麹をいれた。25日から「味噌作り」(菌活の会)が始まる。

お店は明日からなので、今日は朝からスイッチを入れて、焙煎したり、そばのかえしを
つくったり、仕事モードになる。午後からはお仕覆(しふく)の会。かっぽれの女子たちが、
今年から始めるらしい。自分のもっている「もの(陶器など)」を、大事に「包む」というのは至福の時でもある。
金継ぎ、や、お仕覆がまた静かなブームらしい。「ものを大事にする」は、地球を大事に次の世代に渡す、と同意語。
おいしく安全な水をお金で買う前に、自分の汚れた体や衣類を洗う「合成洗剤を使うことをやめる」、ほうが、先。

今日は「燃えるごみ」の日。昨日から仕込みを始めたので、大きな袋をだした。
それをねらったカラスが近づいてくる。でもゴミ袋の中に、紙袋を入れ、その中に古新聞を
入れてあるので、カラスも歯がたたない。
かたわらの植木のところに、米ぬかをまく。すると、すずめたちが朝ごはんを食べにやってくる。
ときどき、すずめもカラスもみかけないような日がある。シンコロ時代、もともとうらぶれた十間橋
通りが、ホンモノのうらびれた感が漂い、心配になるようなこともある。
スズメとカラスでバードウォッチングというのも、なんやら、うらぶれているけど、生きとし生ける
仲間たちと、生きていくを楽しむ、という意味では、いい朝である。

今日の真民(しんみん)さん

「空の一角から」

迷うな
迷うなと
空の一角から
きこえてくる声がする
いましがた飛んでいった
小鳥たちの声であろうか      坂村真民

UNA雪駄を履くと元気になる!

池袋に天真庵があったころ、毎年夏には「うな雪駄」の展示販売会をやった。
「UNA」というブランドを、みかんくんが立ち上げ、うな帽(うなの帽子)や、
マホマフ(魔法のマフラー)など、季節ごとに、いろんなグッズを天真庵で
展示していた。彼が芸大をでて、すぐのころ、デザインした作品がニューヨーク近代美術館(MoMA)が買って
展示していた。世界的なアーティストになる、とみんな期待していたが、病気になったり、いろいろあって、
少し気が落ちて低迷期がながかった。

今日はひさしぶりに、「UNA雪駄」の新作をもってきた。センスというものは、努力や精進でできるもので
ない。やはり天与の才能のような気がする。そんな作品が揃った。
彼も今年50になる。病気してOにもどったけど、人間毎日が一生みたいなもんだ。
明日がまた誕生日。なんども、毎日生まれ変わって、うきうきするものにチャレンジすればいい。

今日の真民(しんみん)さん。

あの時のことを、お互い忘れまい
二人がかたく誓いあった時のことを
深く喜びあった時のことを

思いあがった時は いつも思い出そう
初めて父となり初めて母となったあの嬉し涙を
お互い古くなっていく袋に 新しいものを入れ直そう
己を失った時はいつも語り合おう
いさめ合い、悲しみあい、苦しみあい
二人で過ごした日々のことを

人生のテンカウント 

日本チャンピョン以上のボクサーが引退する時、リングの中央で
テンカウントのゴングを鳴らして、彼の功績を湛える、そんなならわしが
ボクシング業界にある。

「テンカウント 奇跡のトレーナー松本清司」という本がある。ヨネクラボクシングジム
にいた天才トレーナー。柴田国明、ガッツ石松など5人の世界チャンピョンを育て、
数々の東洋、日本チャンピオンをうんだ、名門ジム。(数年前に解散)

その本の中に日本フェザー級チャンピオンの岩本弘行さんの話がでてくる。
努力家でもう少しパンチ力があったら、間違いなく「世界チャンピオン」になったボクサー。
パンチが弱いぶん、挑戦者が果敢に攻めてくるので、11回の防衛線は、必ずといっていいほど
目じりの古傷があいて、流血した。その流血を上手にとめたのも、松本トレーナーで、それ以後
彼のことを「血止めの松本」と業界人は呼んだ。ボクサーは猪突猛進型が多く、「ここ」
という引き際を自分で始末できない。そこでテンカウントを悟らすのも、トレーナーの大事な仕事。
まじめタイプの岩本氏に印籠を渡す話も泣けた。

その岩本さんは、引退後に鮨の修行をし、大山で寿司屋「岩本」をやっておられる。ぼくも池袋に住んでいたころ、目白のヨネクラジム
に通っていた。ときどき、柴田さん、ガッツさんら往年のチャンピオンも米倉会長を訪れたりしていた。
その中に元気なOBがいて、同じ年でもあり、馬があい、ときどきいっしょにトレーニングをしたり、
寿司屋にいったり、彼が「寒山拾得展」の南條先生や久保さんの陶展に毎年遊びにきたりする関係になった。
寿司屋では、久保さんの器も多く使われている。

昨年のぼくの誕生日に電話があり、「今年いっぱいで寿司屋を閉める」とのことだった。
コロナ禍の中でもあり、20年という節目もあり、自ら、第二のリングから降りようと決心した
らしい。一抹の寂しさを感じたけど、それもまた人生。

なんて思っていたら年賀状に「6日からやります」とあった。「やった!まだ続く」と喜び、昨日
ひさしぶりに大山に鮨をつまみに参上。後楽園ホール時代か彼を応援してくれたファンたちが、鮨のテンカウント
はまだはやい、と騒いで、引退を取りやめた、らしい。酒がすすんだ。
カウンターの後ろで、写真になった松本トレーナーが彼の戦いを今もじっと見ている。
「まだまだ引退はするな」といっているように見えた。感謝。