6年くらい前、末期がんの鮨職人のKさんが、
毎月8人限定で「気骨のすし会」をやってくれた。「死ぬまでやります」といって、
亡くなる直前まで3年間やってくれた。
ずっと満席やった。おかげで、酢飯の仕込み方や、鮨の握り方まで教えてもらったので
ときどき、「なんとなく鮨を食べる会」をやっている。
K氏を紹介してくれたのが「合鴨農法」でお米をつくっているHさん。
すし会の米も、彼女がつくったお米で、鮨との相性が抜群だった。
合鴨農法とは、田んぼの虫たちを鴨が食べてくれる循環型の無農薬農法。
秋の収穫が終わると、お役目ごめんで、鴨たちはおしめをされ、つまり〆られ、収穫祭と同時に謝肉祭
がおこなわれる。残酷のような話ではあるが、「死」の場面が目隠しされた都会の生活には、無縁な話
のようだが、わたしたちが毎日3食食べているのは、ほかならぬ「ほかの命」ばかりである。
「いただきます」というのは、料理をしてくれた人ではなく、いただく命に向かってするご挨拶。
その合鴨農法でできたお米は、普通にお米として流通しているけど、米粉になったり、とある酒蔵が「笑いかも」という酒に
したりする。昨日は、年末恒例で、Hさんが笑いかもと、鴨肉をもってきてくれた。
いつもはざるそばを所望されるのだが、年末だけは「アレお願いね」といって、鴨の霊が憑依したような笑顔で笑う。
フライパンを温め、鴨の油をひき、鴨肉をさっとあぶって、だし汁の中に、刻んだネギといっしょに入れる。
「鶏そば」と同じ要領だけど、鴨のほうが鶏よりもクセがあるので、かえしに少し薄口醬油を足して味を調整。
H氏は、自分が育てた鴨にネギをくわえて、左手で「OK牧場」のサインをした。
夕べのうちの「まかない」も、鴨なんばん。鴨もあの世で、笑ってくれたかもなんばん?
年末の風物詩のひとつ、「いぶりがっこ」も昨日、酔香の店主・すがちゃんがもってきてくれた。昨日だけで。10本くらい売れた。
彼はぼくより3つ下で、大学はいっしょの立命館。「グレーター立命」を歌いながら、青春を謳歌した同志。
となりの同志社とは、魂をことにする。今年10周年を迎え、「だんちゅー」にも大きく取り上げられた。
うらぶれた十間橋通りにあるお店だが、酒道を歩む人にとっては、目標のお店である。10年前までは、雑誌の編集長の顔を
してたが、今では気骨のある居酒屋の親父さん、といった風格になった。
忘年会もなくなり、年の暮れの感じもうすれているけど、いきつけの「一杯の珈琲屋」や「いっぱい飲む居酒屋」
があることは、幸せな人やと思う。正月も家に帰りにくい雰囲気がただよっている。
「いただきます」と笑って挨拶できる場をもつことは、これまで以上に大切かもなんばん。
常連になると「ただいま」と自分の家に帰ったような気分になる。「ただいま」というのは、今ここ、に
お互いが生きているを喜ぶ挨拶。
「いただきます」「ただいま」が素直にいえるようになったら、もう立派な日本人。
「ありがとう」という日本語がこころに染みるようになる。
今日は日曜日なので16時まで。
二階では復活祭。みんなを健康にするぶん、体調をくずしていたまーくんが、3か月
ぶりにもどってきて「満まめの会」
明日の朝は今年最後の「卵かけごはん」いよいよ年越しそばモード。